比読という方法論は、間違いなく使える。


 人生は短い。つまり読むことができる本の数も限られている。

 そんな中では、できるだけ優れた書物だけを読みたい、というのが人情というものであろう。


 しかし、単なるリストや他人の評判だけで、よい書を見つけるのは難しい。

 比読は、こういった難点を突破する力を持っている。


 ある学習参考書に取り組んでみたときに違和感を感じたら、必ず同種の違う本を読んでみたほうがいい。

 名著だとみんなが言うからと言ってそれにしがみつく必要は全くない。

 

 比べて読んでいくうちに読むべき本が見つかる。


 読書の中級レベルにおいて、この比読の効果は極めて高いと思う。少しお金はかかるが。多読がよく勧められるのも、この比読の効用が得られる面も大きいのではないか、と思っている。


 受験英語は役に立つか立たないか、という話がよく出てくるが、大学受験を突破したはずの、大学生のTOEICの平均点は400~500くらいであり、これは英語力がどうしたとかいえるレベルの話ではない。


 それなりにレベルが高い受験生でも、TOEIC800点くらい、英検準1級くらいであり、これもレベルが高いとは言えない。TOEIC950以上、英検1級以上で大学受験を突破する学生は、かなりの少数であるから、もはや、これは受験英語の果たす役割とは話が違うだろう。また、英語ができるか、という意味では、TOEIC950だろうが、英検1級だろうが、大したことはない。


 つまり、受験英語が役に立つかどうか、の前に、受験英語で要求されている水準は、間違いなく「低い」ということである。受験英語を題材に高いレベルの英語教育の話をすることは可能である。出題される英文にもレベルの高いものがないわけではない。しかしそれでもそれを突破するための英語力は「低い」。


 この受験英語はそもそもレベルが「低い」という視座が議論に入ってこないのはどうしたことだろうか。


 壁が低いのだから、教師もその壁さえ越えられれば十分と考えるのは当然だろう


 似たような主題、ジャンル、形式の書籍を、比べて読む。名付けて「比読」。たとえば、英和辞典を3冊購入し、同じ単語をそれぞれの辞書で調べるといった読み方。


 25くらいから、再勉強をし直して以来、常に私が、取り組んできた読書の方法論はこれだったと思う。


 一つの辞書に書いてある記載が、ほかの辞書にはない。ある辞書に書いてある記載とま反対のことがもう一つの辞書に書いてある。こういった経験は、読書の経験の中でも、最も愉楽に満ちたものである。

 

 これからも私の読書の本道にこの比読があることは疑いえない気がする。書籍代は3倍になるかもしれない。しかし、内容理解は、3倍どころではないような気がする。