選挙活動していた時のことです。
その時は、北海道にF(フレンド)がある人は、頼みましょうと命令された。
私は九州だから誰も北海道の人は知りません。
しかし、そこで簡単に諦めてはいけないのが創価学会です。
家族が北海道に住んでいる人を探して、住所や電話を聞き出せと命令されました。
近所に息子さんが北海道に住んでいる人を思い出しました。世間話をしていてたまたま知った情報でした。
そして、近所の人に電話して
今度選挙があるから、息子さん、北海道ですよね。連絡先教えてもらえませんか?
と言いました。
その時、相手がものすごく落胆しているのが、分かりました。
「あー。」と
『なんで、息子が北海道に住んでいること、しゃべったんだろ。』
そんな物言いでした。
その時、私もショックでした。やってしまった。と落ち込みました。
踏み込んではいけない領域に踏み込んでしまったからです。
そうなんです。
学会活動って、勇気を出して戦え!
それが正義だ。
仏は見ているぞ!とか
成仏するためには、学会活動をやっていくしかない!
と言われていますが、
なんとなく、
いつも思っていたのは、
『なんかモヤモヤ』する気持ちでした。
その頃の私は、《一人で放ってもらう権利》なんて知らなかったし、勇気を出して学会に言われたことをやるしか広宣流布はない、成仏できないと信じていました。
だけど、本当は、
『相手からしたら、迷惑』というのを、心の奥底では感じていたんですよね。
だって、本当に迷惑なんですから。
学会の幹部は、信心していない人があたかも学会員に好意的であるかのような話ばかりしていましたが、実際、現場では人間関係がズタズタになっている人がほとんどではないでしょうか?
以前、書いた電気びりびりの話みたいに、
『選挙を頼みたくても、行く友人がいない』そんな学会員は多いと思う。
創価学会の衰退の原因は、学会員の高齢化と言われていますが、私はこのムリクリ他人の領域に土足で踏み込んでいくやり方に限界が来てるんだと思う。