東京ディズニーランドにある若い夫婦が訪れました。
そしてディズニーランド内のレストランで彼らは「お子様ランチ」を注文したのです。
もちろんお子様ラン
チは9歳以下とメニューにも書いてあります。
子供のいないカップルに対してはマニュアルではお断りする種類のものです。
当然の如く、「恐れ入りますが、このメニューにも書いておりますが、
お子様ランチはお子様用ですし、大人には少し物足りないかと思われますので・・・」と
言うのがマニュアルです。
しかし、アルバイト(キャスト)の青年は、マニュアルから一歩踏み出して尋ねました。
「失礼ですが、お子様ランチは誰が食べられるのですか?」
「死んだ子供のために注文したくて」と奥さんが応える。
「亡くなられた子供さんに!」とキャストは絶句しました。
「私たち夫婦には子供がなかなか授かりませんでした。
求め続けて求め続けてやっと待望の娘が産まれましたが、
身体が弱く一歳の誕生日を待たずに神様のも
とに召されたのです。
私たち夫婦も泣いて過ごしました。子供の一周忌に、いつかは子供を連れて来ようと話していたディズニーランドに来たのです。
そした
ら、ゲートのところで渡されたマップに、ここにお子様ランチがあると書いてあったので思い出に・・・」そう言って夫婦は目を伏せました。
キャストのアルバイトの青年は「そうですか。
では、召し上がって下さい」と応じました。
そして、「ご家族の皆さま、どうぞこちらの方に」と四人席の家族
テーブルに夫婦を移動させ、
それから子供用の椅子を一つ用意しました。
そして、「子供さんは、ことらに」と、まるで亡くなった子供が生きているかのように
小さな椅子に導いたのです。
しばらくして、運ばれてきたのは三人分のお子様ランチでした。
キャストは「ご家族でゆっくりお楽しみください」と挨拶して、その場を立ち去りました。
若い夫婦は失われた子供との日々を噛みしめながら、お子様ランチを食べました。
このような行為はマニュアル破りの規則違反です。
しかし、東京ディズニーランドでは先輩も同僚も彼の行動を咎めません。
それどころか彼の行為はディズ
ニーランドでは賞賛されるのです。
マニュアルは基本でしかありません。
マニュアルを超えるところに感動が潜んでいるのです。
この出来事に感動した若い夫婦は、帰宅後に手紙を書きました。
「お子様ランチを食べながら涙が止まりませんでした。
まるで娘が生きているように家族の団欒を味わいました。
こんな娘との家族団欒を東京ディズニーラン
ドでさせていただくとは、夢にも思いませんでした。これから、二人で涙を拭いて生きて行きます。
また、ニ周忌、三周忌に娘を連れてディズニーランドに必ず
行きます。
そして、私たちは話し合いました。今度はこの子の妹か弟かをつれてきっと遊びに行きます」と言う手紙が東京ディズニーランドに届きました。
このような感動した内容の手紙が東京ディズニーランドには連日届きます。
そして、直ぐに張り出され、コピーされ、舞台裏で出演の準備をするキャストに配られます。
舞台裏ではキャストとして働いている多くの男女の若者が共感して泣くそうです。
でも、しばらくして先輩が号令を掛けます。
「涙はここ(舞台裏)まで、パーク内では涙は禁物。今日も日本中いや世界中の人が、ここディズニーランドに感動を求めて来ています。今日はどんなドラマを誰が創るのかな?それでは、みんな笑顔で準備を!」と。
ミッキーマウスの産みの親ウオルト・ディズニーがディズニーランドに求めたもの、それはお客様が映画の世界に入り込み、一緒に感動を作り上げていくことでした。
だから東京ディズニーランドではお客様をゲスト(共演者)と呼び、従業員をキャスト(出演者)と呼びます。
キャストはいつも感動を探しています。
東京ディズニーランドでは立ち止まって地図を見ていると、キャストが必ず笑顔で寄ってきて「何かお探しですか?」と声をかけてくれる。
「ここを探している
んです」と言うと。
キャストは「そちらは、ここを真っ直ぐ行かれて、あのヤシの木の右側が、そのエリアです。楽しんで行ってらっしゃい!」と言ってくれま
す。
写
真でも撮ろうものなら掃除担当者の人も寄ってきて「私が撮りましょうか!」と尋ねてくれ「はい、チーズ!」とシャッターを押してくれる。
そして「とても素
敵な写
真が撮れましたよ。行ってらっしゃい。
楽しんで!」とまた笑顔で応対してくれる。
人を感動させるところには、人が集まります。
そしてそこにお金を落とすのです。またキャストのメンバー自身も、人に喜んでもらえることで自分の存在価値を感じています。
だから彼らは自発的なのです。
それが生きていることへの確認になります。
誰かに親切にすることで、「ありがとう」や笑顔が返ってくる、それが生きていることの実感につながる。