「ありあまるほどの、幸せを」 252 | 空に揺蕩う 十時(如月 皐)のブログ

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「あら、もうそんな時間ですのね」

 名残惜しいとばかりにエルピスを撫でまわすフィアナに苦笑していれば、近づいてきたルイもまた微笑み、膝をついてアシェルに視線を合わせた。

「アシェルも顔色が良いですね。楽しめましたか?」

 頬に優しく触れ、柔らかに微笑む姿は実に優雅だ。先程の雄々しさを完全に隠した紳士の姿にアシェルは思わずクスリと笑う。

「どちらがあなたの誠の姿なんだろう。あるいは、どちらもあなた自身であるのか」

 どちらの姿も無理をして装っているようには見えない。もっとも、アシェルは自らの目にあまり自信はないので、どちらのルイも装っている姿であるかもしれないが。

「ん? 誠の姿とは? 何かありましたか?」

 よくわからないと首を傾げる姿はどこか幼い。そういえば、大人びた言動ゆえに忘れがちになるがルイはアシェルよりも年下だった。フィアナはアシェルの大切な、小さなお姫様だ。ならば――。

「いや、なんでもない。ルイの仕事が終わったのなら帰ろう。エルもお腹を空かせているだろうし」

 ルイの手を借りて車椅子に乗り、寂しそうにするフィアナからエルピスを受け取る。ここで別れるのかと思いきや、フィアナは馬車まで送ると言って共に部屋を出た。

 フィアナとルイが穏やかに話しているのを聞きながら車止めに向かい、エリクに頼んで先にエルピスを馬車に乗せる。ふと、何かがよぎってアシェルは己を抱き上げようとするルイの手を止め、フィアナに向き直った。

「フィアナ」

 両手を伸ばせば、フィアナは不思議そうな顔をしながらも近づき、少し身をかがめてくれる。近づいてきた妹の頬を両手で包み込み、愛おしむように指の腹で撫でた。

「もっとよく顔を見せて」

 美しい女性になった。でも、昔と何も変わらない。頬を撫でていた手を離し、柔らかな茶の髪を撫でる。

「僕の可愛いお姫様」

 刻み込まんとするかのようにジッと見つめるアシェルに何かを感じ取ったのか、フィアナは兄の手を握り、頬をすり寄せた。

「お兄さま、また会いに来てくださいね。私も、お忍びで遊びに行きますから」

 約束してほしいと願う妹に、兄は優しく微笑んで迷うことなく頷いた。

「わかったよ」

 ハッキリとそう告げて手を離したアシェルは、ルイに抱き上げられて馬車に乗り込む。しっかりと扉が閉められ走り出す馬車をずっと見つめ続けていたフィアナは、その姿が僅かも見えなくなると、ポツリと呟いた。

 

「嘘つき」