「ありあまるほどの、幸せを」 232 | 空に揺蕩う 十時(如月 皐)のブログ

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 ベリエルにおやつを貰ってご機嫌なエルピスを微笑ましく眺めながら、アシェルは太陽の光が差し込む窓辺に車椅子を停め、以前に図書室から持ち出していた書物を開いた。

 それは幼子が思い浮かべるような夢物語であったが、その希望に満ち溢れた、ちょっと出来過ぎている物語がなぜか胸に心地よく、懐かしい。いつだったか、もう一度読んで、と何度も何度も同じ本を手に強請ってきた――、

(あれ、は……)

 ボンヤリと浮かぶ光景は、しかし霧が濃すぎて人影しかわからない。思わず眉間に皺が寄って、ツキリと痛む頭を無意識に指で押さえる。そんなアシェルにエリクがどうしたのかと視線を向け、近づいてきた。

「頭が痛みますか?」

 膝をついて下から見上げるエリクにアシェルは小さく首を横に振った。考えるのを止めて、眉間に力を入れなければすぐに治まる。その考え通りに努めて身体から力を抜き、車椅子に背を凭れさせて深く息を吐きだせばツキツキとした痛みは落ち着いていった。書物を閉じて視線を向ければ、エルピスがおやつのおかわりを求めて憐れにか細く鳴き、ベリエルを困らせている。常は表情を変えることなく淡々と仕事をこなす優秀すぎるほど優秀な執事であるのに、子猫の愛らしいおねだりにはタジタジのようだ。困ったという顔を隠せていない彼にクスリと微笑んだ時、来客を告げるベルが鳴り響いた。

「客人?」

 今鳴ったのは玄関のベルだ。食材などを届ける商人などは裏口に回るため、正面玄関のベルは滅多に鳴ることは無い。貴族の屋敷に尋ねてくるような者は大抵、事前に訪問して良いかなどの書簡を寄越すのだが、ベリエルとエリクがほんの僅かに疑問を浮かべていることから、そのような書簡はなかったのだろう。なにより、アシェルしか屋敷にいない時間に尋ねてくる理由もないはずだ。