この世には一口に言って、男と女しかいない、と思っている人は多い。


だが、異性愛者の他にセクシャルマイノリティーと呼ばれる人もいる。


しかし、彼(彼女)らといえど、男と女の枠を外れた外側に存在する人々ではない。


必ず、男と女の間にあるグラデーションの中のどこかには存在する。


男と女という区別をすると、セクシャルマイノリティーやアライの人々から、すでにそれが差別発言だと批判を食らう社会になった。


もちろん、「世の中には男と女しかいない。その他の奴らは人間じゃない。」と、とんでもない、人間が生まれついてから持っている、人としての基本的人権さえ奪いかねない発言を、当たり前のことのように口にする時代遅れの男女(彼らは、2006年にジョグジャカルタ原則として、国際法律家委員会と国際連合人権委員会、及び有識者達の話し合いにより決定された、前文・29項目の原則、並びに付加勧告の内容を持つSOGI「ソジ」という、異性愛者とその他の全てのセクシャリティーを持つ全人類を包含する定義により、シスジェンダー「体の性と、自認している性に違和感のない人」)の中にいる異性愛者として位置づけられている。「シスジェンダーには、ゲイ・バイ・レズビアンも含まれる」。※シスジェンダーに対して、体の性と、自認している性が交錯している人は、全てトランスジェンダーと言われている)がいることも事実だ。


ちなみに、LGBTという言葉が、異性愛者を一般的正常者とし、それから外れた人々を、セクシャリティーマイノリティーとして区別している、差別意識をその中に含んでいる可能性がある言葉であるのに対して、SOGI(ソジ)は、全ての人が、あらゆるセクシャリティーになり得る要素が存在するということを大前提として(それは健常者と言われている人も、次の瞬間に身体障がい者や精神疾患を患っている人になる可能性がいつでもあるのと似ている。たまたま、今そうであるというだけの実は危うい話なのだ。「明日はわが身」と言う言葉は真実である)、区分けされている言葉であり、そこに差別意識はない。


さらに言えば、いわゆるセクシャルマイノリティーと呼ばれる人々に関して、遺伝なのか、後天的環境要素によるものなのかは、色々と現在まで様々なことが言われて来ている。


例えば、ゲイを例に挙げると、遺伝的要素によるとする人の中には、それが性染色体(xx、xy)の中にあるx染色体内の遺伝子によって遺伝されると仮定した。


ゲイ男性は、全て性染色体(xy)内に性別を決定する性遺伝子を持っているが、男性にしかないy遺伝子は、女性と性交渉を持たないゲイ男性から、子供に受け継がれないことになる。


全てのゲイが女性と性交渉を持たなければ、もしy遺伝子にゲイになる遺伝子があるのなら、やがて、ゲイ男性はこの世からいなくなることになる。


しかし現実には、ゲイ男性であっても、社会的要請による諸事情から、女性と性交渉が可能な場合は、結婚して子供を設けることはあるし、実際にそういう例も少なくないので、その性交渉により生まれた子供がゲイになる可能性は否定できない。


ゲイの男性が、全て子供がゲイになるような遺伝子を持っているとは言えない。


それは、親の才能が子供に受け継がれなかったという話とはちょっと違う。


こちらは身体の至るところにある、常染色体という、常に一対で働く染色体のことだからである。


また、異性愛者同士の夫婦からも、ゲイの男性は生まれて来るから、もし異性愛者の男性のy染色体の中にゲイの遺伝子が存在するなら、ゲイは消滅しないことになる。事実、異性愛者同士の夫婦からもゲイの子やレズビアンの子、トランスジェンダーの子、その他のセクシャルマイノリティーの子供が生まれて来ている。


彼らが、自分が他の異性愛者の人と違うとはっきり自覚するのは、男の子と女の子が一緒に着替えをしたりするのを禁止する10才頃からである。


それまで、同性同士でいたずらや恋愛ごっこをしていても、異性愛者の方はつまらなくなり、同性との遊びを卒業して、次の段階(異性)に興味が向かう。


本当の同性愛者は、同じ性指向の仲間を探し始める。


人生の分かれ道だ。


x染色体の中の遺伝子に、ゲイ遺伝子が存在すると仮定した科学者は、ゲイ男性の全てが女性と性交渉を持たないという前提を絶対条件として、ゲイ遺伝子はx染色体に存在するという仮説を立てたもので、ゲイ男性が一定の割合で子供を作っていている現実の中で、x染色体を2つ持つ女性にだけ、ゲイ遺伝子が存在すると断定するのは、科学的な証明に無理がある。


ゲイ男性が、ただの一人も女性との間に子供を作らないという前提が、既に理論的に現実に照らし合わせて崩壊しているからである。


ゲイ男性も、異性愛男性者も1つx染色体を持っているから、女性の持つx染色体内だけにゲイ遺伝子があるとするなら(ゲイになる遺伝子は女性の持つx染色体内にあるという仮説)は、男性の持つx染色体と、女性の持つxx染色体は違う質のものであるという証明をしなければならない。


xx、xyという2つの性染色体をそれぞれに持つ、女性と男性のx染色体は祖先からの遺伝子情報は別々であるにしても、x染色体として持つ役割は同じである。


性染色体は、他の体に働く常染色体とは違い、性別を決定する時だけに働く染色体で、性決定後の生命の維持や体の発達のためには、男女共にx染色体1本だけが働くようにしないと、遺伝子の情報過多(2倍)になり、生命維持が困難になるという。


それで、女性の片方のx染色体は、必要なタンパク質により、縮小され折りたたまれて役に立たなくされる。


男性のy染色体も、性別決定後は、働かなくなり、x染色体1本のみが機能するようになる。


これが、生命維持に2本必要な常染色体との大きな違いである。


人間の原型は、原則は全て女性であり、生命維持に必要なのはx性染色体1本だけであるという遺伝子研究の成果からわかることは、性染色体の内の1本(xまたはy)は、性別決定の時だけに使われるものであり、やがてそれは不活性化して、形を変えて体内に存在し続けるが、生命維持のためには役に立たないものであり、2本が働くと生命維持ができないという事実があり、生命維持に必要な性染色体はx1本だけであり、それが男女ともに共通であるという事実は、もし、ゲイになる原因が遺伝子にある(この仮説を唱えた科学者は、その遺伝子は女性の性染色体xにあるとしている)と言うのならば、それとは全く関係のない話である。


要するに、根拠に乏しい信頼するには値しない仮説だということである。


この科学者は、その遺伝子を女性のx染色体内にある遺伝子の場所を特定出来たと言っていたが、その後どうしているのだろうか。


そのような科学的な研究成果に関連して考えると、旧約聖書の「神は初めに男を創られた」という記述は、甚だ真実な話として事実認定するには、あまりにも根拠に乏しいと言わなければならない。


何らかの意図があって、男性を初めに創ったことにした、という後付けの話のように思えてならない。


創世記が書かれた、2,000年以上前のユダヤ人社会は完全に男性上位社会だったに違いない。


だから、あのような記述も何の違和感もなく受け入れられたのだろう。


しかし、男性の肋骨の1本から女性が造られたという話は、あまりにも突飛すぎていただけない。


そもそも、何で肋骨からなのかがわからない。


人間に理解させられない時に、キリスト教指導者が抜く伝家の宝刀は、「神のなさることを人間は全て理解出来るわけではありません。わからないことはわからないままに、ただひたすら疑わずに信じなさい。」だ。


誰が、そんな話を信じるものか。


例えば、身体の構造がレントゲンで写し出されるようになって以来現代まで、男性の肋骨は女性より1本だけ必ず少なくなっているという事実があるのならともかく。


しかし、どんな医者からも手術で切り取った以外に、男性の肋骨が女性より1本少ないという話は聞いたことがない。


閑話休題


ということで、ゲイの素質は遺伝に拠るものであり、その遺伝子はx染色体上にある。従って、ゲイの素質は、xx染色体を持つ女性の性染色体内にあるとした科学者の仮説は、完全にエビデンスとしての信用性に欠ける仮説である。


現在では、同性愛者やトランスジェンダーになる要因は、胎児期の性別を決定する胎児への脳への母体によるホルモン照射の異常によるものと、家庭環境などの後天的な要素が、その主な原因とされている。


胎児は、性染色体の分裂、再統合により体の性別はその時点で決定する。


但し、性自認については脳が判断することなので、先に言ったように、胎児期を含めた後天的な要因によって決定される。


胎児期のホルモン照射の異常には、妊娠中に母親の受ける心理的な影響が大きい。


太平洋戦争時代直前の昭和14年には、兵隊を増やす目的で、産めよ増やせよ政策が国策となり、一億総決起というプロパガンダのもと、戦争好きな軍隊指導者が政権を握り、国の政策に従わない者は国賊扱いという風潮の中で、男の子を産んで、兵隊さんにさせ、お国に尽くす人になってほしいと軍部とマスコミに洗脳された日本人の妻は、男の子を産みたいという希望が強く、性別は自然の法則でしか決定されず、男女の産み分けなど医学的にはまだ確立されておらず、自分ではどうにもならなかった時代だったが、男子を産みたいという願望は、結果として妊娠時期には、母親が胎児の脳を男脳にするためのホルモン照射は増えたに違いない。


とすると、体が女性と決定された女性にも、母親から男脳にするためのホルモン照射が行われた可能性は十分にある。


だとすると、戦争中は男役のレズビアンも多く生まれているはずである。


太平洋戦争時代は、勇ましいスローガンのみが持て囃されていたから、男が男らしいのは当たり前とされていたが、女性も「欲しがりません勝つまでは!」という、国家総動員法のもとで、女らしいおしゃれなど求めてはならないという完全なる男優先社会だった。


しかし、秘かに戦争で出兵して我が子を失いたくないと思った母親の中には、女の子が生まれれば兵隊になって命を落とさなくてもよくなるかもしれないと思い、既に胎内で男の子の身体として成長している子に、男脳にするためのホルモン照射はあまり出したくない心理的状態にあった人もいただろう。


その結果、男性脳にするためのホルモン照射自体が足りず、体は男の子だが、気持ち(脳)は、女の子のような子供(ゲイ、MTF)が生まれたかもしれない。


このような、先験的条件で生まれた子供は、人生の途中でいわゆる男らしさを獲得するのは難しいかもしれない。


学習の結果としてそうなったのではなく、脳が女性化して女性脳を持って生まれてくるからである。


よく俗に、三つ子の魂百までというが、3才迄に、一生の生き方の基盤が家庭内で作られてしまうと言うが、3,才児どころか、生まれ落ちた時から、既にそうなっていたとすると、思春期から後、男のようになれと言われても、もう無理だろう。


せいぜい出来ることは、社会の中でできるだけ女らしい面を隠すことだけである。しかし、それは表面的なことであり、本質は変わらない。


だが、生育歴でそうなった場合(父親と母親の力関係が逆転していた、上がすべて姉妹であり、ただ一人の男の子の末子だった、親が女の子を欲しがり、そのように育てたなど)には、本人の自覚次第で、人間としての独立心を養って行く過程で、バイや異性愛者の素質も加わっていくようになる場合もある。


さて、まず前提を長々と述べてしまったが、今までの話を踏まえた上で、表題の話に引き継ぐ。


もう、題名を忘れてしまった人のためにもう一度書いておく。


「くそ女、くそ男は、男、あるいは女に対する差別用語か」である。


くそ「人間」といえば、男女平等なのか。


クズ男、クズ女という言葉もある。


当然、クズ人間とか、人間のクズいう言葉もある。


くそとかクズというのは、価値のないものに対する表現である。


糞は、肥料に使えるが、クズはどうだろう。


リサイクル次第では、クズも再利用できる時代になった。


くそ人間、クズ人間と言われる人々も、せめてくその役にくらいは立ってほしいし(何かの肥やしになる)、クズ人間でも、社会的厚生施設で再教育の機会を与えられて、何とか更生して、社会の底上げができないものかと思っている。


それは、基本的には、税金で国民生活の向上を図るために、法律を作り政策を実行している日本の政府がやるべきことである。


しかし、現実を見ると、社会を今よりも少しでも良くするために、一番金を掛けなければならないことに有用に税金を使わず、既に持っている者がさらに豊かになるような政策をやったり、自分で出した金でもない、国民の血税に対して、国民に選ばれたという自分の地位に胡座をかいて、人の金を何とも思わず、無駄な使い方をしているように思えてならない。