先日、NHKの、確か「爆笑学問」という番組だったと思うけど、「ホスピス」について、てことだったから少し興味を持ち始まるのを待っていた。
と、いきなり映し出された看板は「野の花診療所」
院長は徳永先生!
その瞬間、「少し」だった興味が真剣な姿勢へと変わっていた。
自分の母は平成19年3月に故人となっているが、ALS「進行性筋萎縮側索硬化症」という、原因不明、完治の見込みどころか進行を遅らせる手段がわずかにあるだけ、という難病を患っていると告知されたのが、平成17年の6月。
発症箇所により、進行速度に個人差はあるが、母は喉から発症したため、喋ること、飲み込むこと、そして呼吸すること、という、生命維持にもっとも重要なことが自力でできなくなることは時間の問題だった。
翌平成18年初夏、立って歩くことも不自由になっていた母はオヤジに「タンスの上のバッグを持ってきてください」と言った。
そして「ここに連絡してください」と「あるもの」を取り出した。
「あるもの」とは、平成17年8月16日の朝日新聞の「野の花カルテ」という記事だ。
そこには「呼吸器と意志」という題で彼女と全く同じ病名で、進行状況も非常によく似た患者さんの最期を看取るまでのことが述べてあった。
その男性の患者さんは、治らないということが決まったからには、気管切開等の延命措置は一切せず、尊厳死の道を選択し、全てを先生にまかせられて、天寿に逆らわれなかった。
彼女は「徳永先生のところに入院する。尊厳死を認める先生で気管切開しないでやって下さる先生」とオヤジに書いた(すでにまともな会話は困難だった)らしい。
当時広島にいた自分にもオヤジから連絡があり、相談したが、結局、先生にお世話になることはなかった。
一番の原因は、オヤジの住む山口と、診療所のある鳥取の、距離の問題だった。
番組の主人公が、徳永先生で、映し出されている場所が、母が行きたいと望んでいた場所だ、と思うと、亡くなった母のことを思い、同時に、あちこちの病院などに問い合わせ、癌以外の患者を受け入れてくれるホスピスの少なさを痛感した、あの頃のことを思い出していた。
死を待つ、という空間に、決して暗さはなく、治すことよりケアを重点に、おまかせする家族も納得する、静かな終わりを迎える医療の現場、という雰囲気が画面を通して伝わってきた。
浜辺祐一という、現役救命救急の医師の著作にも、『「いろんなチューブをたくさんつけ、遺体にすがりつくことすら困難」な別れより、「ご自宅の布団の中で身内に囲まれた」別れのほうが、人間らしいという思いもある』と書かれていたような記憶がある。
実は、オヤジには「こんなテレビやってたぞ」と言っていない。おそらく、言うこともないだろう。
未だに母の介護に対して、どこか後悔を引き摺る彼に、今以上の心痛は耐え難いものになるだろうことはあきらかだから。
暗い、長い拙文、最後まで読んでいただきありがとうございました。
え、もっとおふくろの話聞きたいって?
それについては文芸社 「二人のありがとう」 て本を読んでくださいね(^O^)
結局宣伝かいっ!
と、いきなり映し出された看板は「野の花診療所」
院長は徳永先生!
その瞬間、「少し」だった興味が真剣な姿勢へと変わっていた。
自分の母は平成19年3月に故人となっているが、ALS「進行性筋萎縮側索硬化症」という、原因不明、完治の見込みどころか進行を遅らせる手段がわずかにあるだけ、という難病を患っていると告知されたのが、平成17年の6月。
発症箇所により、進行速度に個人差はあるが、母は喉から発症したため、喋ること、飲み込むこと、そして呼吸すること、という、生命維持にもっとも重要なことが自力でできなくなることは時間の問題だった。
翌平成18年初夏、立って歩くことも不自由になっていた母はオヤジに「タンスの上のバッグを持ってきてください」と言った。
そして「ここに連絡してください」と「あるもの」を取り出した。
「あるもの」とは、平成17年8月16日の朝日新聞の「野の花カルテ」という記事だ。
そこには「呼吸器と意志」という題で彼女と全く同じ病名で、進行状況も非常によく似た患者さんの最期を看取るまでのことが述べてあった。
その男性の患者さんは、治らないということが決まったからには、気管切開等の延命措置は一切せず、尊厳死の道を選択し、全てを先生にまかせられて、天寿に逆らわれなかった。
彼女は「徳永先生のところに入院する。尊厳死を認める先生で気管切開しないでやって下さる先生」とオヤジに書いた(すでにまともな会話は困難だった)らしい。
当時広島にいた自分にもオヤジから連絡があり、相談したが、結局、先生にお世話になることはなかった。
一番の原因は、オヤジの住む山口と、診療所のある鳥取の、距離の問題だった。
番組の主人公が、徳永先生で、映し出されている場所が、母が行きたいと望んでいた場所だ、と思うと、亡くなった母のことを思い、同時に、あちこちの病院などに問い合わせ、癌以外の患者を受け入れてくれるホスピスの少なさを痛感した、あの頃のことを思い出していた。
死を待つ、という空間に、決して暗さはなく、治すことよりケアを重点に、おまかせする家族も納得する、静かな終わりを迎える医療の現場、という雰囲気が画面を通して伝わってきた。
浜辺祐一という、現役救命救急の医師の著作にも、『「いろんなチューブをたくさんつけ、遺体にすがりつくことすら困難」な別れより、「ご自宅の布団の中で身内に囲まれた」別れのほうが、人間らしいという思いもある』と書かれていたような記憶がある。
実は、オヤジには「こんなテレビやってたぞ」と言っていない。おそらく、言うこともないだろう。
未だに母の介護に対して、どこか後悔を引き摺る彼に、今以上の心痛は耐え難いものになるだろうことはあきらかだから。
暗い、長い拙文、最後まで読んでいただきありがとうございました。
え、もっとおふくろの話聞きたいって?
それについては文芸社 「二人のありがとう」 て本を読んでくださいね(^O^)
結局宣伝かいっ!