好きなテレビ番組にNHKのクローズアップ現代がある。


30分の、時事ネタを掘り下げるって感じの番組。



ブログのタイトルは、今日のその番組のテーマ。




出先でゴソゴソしながらだったので、じっくりと見たわけじゃないんだけど、すごく考えさせられる内容だった。








今、大手のスーパーが放射線検知ゼロを目指します、というキャンペーンを行なっている。


まず疑問。
なんで放射性セシウムとかストロンチウムって書き方しないのかなぁ。


なんでも、人間は、日頃から50ベクレル程度の放射線は口腔摂取し常時3000~4000ベクレルは体内に蓄積されているらしい。


もちろん、自然界に存在する放射性物質から、だ。






もし放射性物質ゼロというなら、自然界のものも否定する、ということなのか?






無論、今自分が言っていることがこじつけの暴論であることは百も承知の上だ。


これを読んでくださる、少数の方だけにでも、ゼロを追求する、という言葉のもつ恐ろしさを考えてほしいから、あえて書いている。







「ゼロ」には自然界に存在するものを含まないのは言うを待たない。




が、不思議なものでゼロと言われ続けるとゼロでなきゃならない、という錯覚に陥る。




X線写真はもちろん、自然界のものも拒否しなければならない、という雰囲気にすら感じられる。







それ以上に怖いのは、正直であれ、と、極微量の、まさに国の新基準の数十分の一のセシウムが含まれた食品であると消費者に知らしめたが為に、在庫の山を抱えることになる生産者や加工業者がいること。



正直であれ、と義務もないのに表示をしたことで、「バカを見た」と考えてしまうこと。







震災直後の対応の不手際から、政府の言うことは信用できない、と思われる方がいらっしゃることはわかるし、その考え方を否定もしない。


が、せめて良心的にその数値を公表されている業者さんなどは、その好意が無にならないように我々消費者は無論、流通、小売業者も考えていかなければならないのではないだろうか。







もちろん、好んで放射性物質を口にしましょう、と言っているのではない。
が、必要以上に神経質になりすぎたり、片方の意見、情報などにしか耳を傾けない、などの行為は、生産、消費の両者にとって不幸なことでしかないのではないか。
繰り返すが、好意がその行為者の首をしめることになるような、そんな社会であってはならない、そう強く思う。










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