3月30日午前3時18分


今年は実家の2階で布団にくるまって迎えた。

夢すらみない、熟睡だった。



2007年の3月30日未明は、当時住んでいた広島のマンションの部屋で電話をしていた。


途中、親父からキャッチが入ったが、
間に合わずかけなおした。

時間も時間なので、心中穏やかでないが、何度電話しても繋がらない。



やがてきたメール



「お母さん亡くなった」



そう、昨日は母の命日だった。

なにをおいても、この日は実家に帰ることにしているが、かといってオヤジと二人、何をするわけでもない。

昨日も、同じ山口県の光市というところに住む、おふくろの弟の家にでも行こうか、と、朝から電話するが繋がらない。





ちょっと古い言い方かもしれないが、宗家、いわゆる跡取りの叔父、もしかしたら市内のおふくろたちの生まれ育った家にきているかも、と、わずかな可能性にかけて実家を覗くと、叔父の車が停まっている。











何年も住む人のいない、まさに荒屋だが、おふくろたち兄弟姉妹とその配偶者たち10人が、タマネギや芋を収穫するために集まっている、集会場でもある。



毎年二回、初夏と秋の恒例の集いだが、おふくろが去り、そして叔父の連れ合いも去り、叔父が畑の世話をする回数も減っていたのだが、これもおふくろの引き合わせなのか。












自分がここまでじっくりおふくろの実家を眺めたのは、いつ以来だろう。

ガキのころ、登った木や餅つきをした一段高い裏庭など、どこを見ても懐かしい。おふくろだけじゃなく、祖父母のおもかげすら思い出させてくれる
光景。





自分が「実家」と呼べる場所が、今、オヤジがいる、あの家だけではないことを感じ、嬉しく思えた1日だった。








幼稚園のころ、この上から真っ逆さまに落ち、血だらけで家まで帰ったっけなぁ………







Android携帯からの投稿