昨日に引き続き、オヤジの本の宣伝を…
ま、売れたからって俺が潤うわけじゃないし、増版にならなきゃオヤジの小遣いが増える、てことにもならないんだけど、やっぱりみんなに知ってほしいし読んでほしい
こんな素敵な夫婦っていいな、て……
決して頭脳明晰だとか才気煥発ではなかったが、一口に言って彼女は「賢い人」であり、「面白い人」だった。
……中略……
なぜこのような表現をするかというと、私は彼女の「思慮」「配慮」「心の美しさ」にずいぶん助けられた人生を送ってきたからである。その時はさほどに感じなかったが、今となってみて、「ああ、あの人のお陰だったんだな。あの人は賢い人だったんだな」と改めて思うことが沢山あるからである。
こういう文章で始まる、作品の終章…「おわりにー愛する妻へ」
全283ページのうちの、わずか13ページだが、せめてこの章だけでも、みんなに読んでほしい…
オヤジは282ページ目から、こう記している
さて、世間一般の価値判断からすれば、彼女は決して特別な存在でも賢い人でもないかも知れない。しかし夫である私からすれば、かけがえのない賢さを備えた人であった。
賢い人だったから、夫を尻に敷くような言動もなかったし、私の短所を知り尽くしながらも、それを取り上げてなじったり咎めたりすることはせず、それとなくほのめかして、気付かせてくれた。男の甲斐性を金で測るようなこともなく救われた。言うべきことはちゃんと言っていたが、人前では勿論のこと、私をさしおいて何かをするとか、何かを言うとかいうようなこともなかったし、控えるべきところをちゃんと心得ていた。歳をとってからの彼女は皺も増えたが、表面的な美しさよりももっと人を引き付けるもの…言ってみれば、子供を慈しむ母のような懐の温かさが感じられる人であった。身の回りにいつも和やかで温かい雰囲気を漂わせていた。
持って生まれた性格は変えようがない、てよく言うが、人間は心の持ちようで変わるものである。若い頃の妻を思い浮かべるたびにそう思う。
彼女に巡り会えたお陰で自分がいかに癒されていたかを、彼女の死によって思い知らされた。彼女との四十数年間一緒におれたこと、私に尽くしてくれたこと、「慈しみ…」の言葉を共有できたことに、深く深く感謝せねばならない。
もし、彼女が今生きていて、こんな文章を見たら、おそらく舞い上がって喜んでいるだろう。そして顔を赤らめて、「こりゃ少々言いすぎだよ。買いかぶりだよ」とも言うだろう。
実際のところ、少々プレミアもついているかも知れないが、今は本当にそう思えるのである。こんな妻を持ったことを生涯の誇りに思う。正直、私には過ぎた伴侶であった。
長くなったけど、70すぎのじいさんの、なんの臆面もない言葉と、それを言わせたおふくろ。
自分にとって、生涯自慢の親である
徳久禎美著 「二人のありがとう」 文芸社刊
ま、売れたからって俺が潤うわけじゃないし、増版にならなきゃオヤジの小遣いが増える、てことにもならないんだけど、やっぱりみんなに知ってほしいし読んでほしい
こんな素敵な夫婦っていいな、て……
決して頭脳明晰だとか才気煥発ではなかったが、一口に言って彼女は「賢い人」であり、「面白い人」だった。
……中略……
なぜこのような表現をするかというと、私は彼女の「思慮」「配慮」「心の美しさ」にずいぶん助けられた人生を送ってきたからである。その時はさほどに感じなかったが、今となってみて、「ああ、あの人のお陰だったんだな。あの人は賢い人だったんだな」と改めて思うことが沢山あるからである。
こういう文章で始まる、作品の終章…「おわりにー愛する妻へ」
全283ページのうちの、わずか13ページだが、せめてこの章だけでも、みんなに読んでほしい…
オヤジは282ページ目から、こう記している
さて、世間一般の価値判断からすれば、彼女は決して特別な存在でも賢い人でもないかも知れない。しかし夫である私からすれば、かけがえのない賢さを備えた人であった。
賢い人だったから、夫を尻に敷くような言動もなかったし、私の短所を知り尽くしながらも、それを取り上げてなじったり咎めたりすることはせず、それとなくほのめかして、気付かせてくれた。男の甲斐性を金で測るようなこともなく救われた。言うべきことはちゃんと言っていたが、人前では勿論のこと、私をさしおいて何かをするとか、何かを言うとかいうようなこともなかったし、控えるべきところをちゃんと心得ていた。歳をとってからの彼女は皺も増えたが、表面的な美しさよりももっと人を引き付けるもの…言ってみれば、子供を慈しむ母のような懐の温かさが感じられる人であった。身の回りにいつも和やかで温かい雰囲気を漂わせていた。
持って生まれた性格は変えようがない、てよく言うが、人間は心の持ちようで変わるものである。若い頃の妻を思い浮かべるたびにそう思う。
彼女に巡り会えたお陰で自分がいかに癒されていたかを、彼女の死によって思い知らされた。彼女との四十数年間一緒におれたこと、私に尽くしてくれたこと、「慈しみ…」の言葉を共有できたことに、深く深く感謝せねばならない。
もし、彼女が今生きていて、こんな文章を見たら、おそらく舞い上がって喜んでいるだろう。そして顔を赤らめて、「こりゃ少々言いすぎだよ。買いかぶりだよ」とも言うだろう。
実際のところ、少々プレミアもついているかも知れないが、今は本当にそう思えるのである。こんな妻を持ったことを生涯の誇りに思う。正直、私には過ぎた伴侶であった。
長くなったけど、70すぎのじいさんの、なんの臆面もない言葉と、それを言わせたおふくろ。
自分にとって、生涯自慢の親である
徳久禎美著 「二人のありがとう」 文芸社刊