近い将来、世界は大きな戦争を迎えることが、聖書のエゼキエル書38章、ヨハネの黙示録9章などからわかります。
発端はロシア、イラン、トルコなどによる、イスラエル侵攻によるものと考えられます。エゼキエル38書には古代名として、これらの国々が登場してきます。

黙示録には「見よ、わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを堅く守る者は、幸いである。」とイエス様の言葉があります。

これは聖徒ヨハネが2000年前にイエス様に与えられ預言の言葉ですが、当然ヨハネがこの言葉を聞いたらすぐに、世界大戦が起こるというものではありません。

すぐというギリシャ語はTACHOS(タコス)で、ここからタコメーターやタクシーという言葉が派生しました。
ご存知のとおり、タコメーターは一定の時間、1分間の回転数を測る計器ですから、イエス様がヨハネを通して現代の私達に言わんとしていることは、物事の回転数、加速度が増した時、すなわち聖書に数々記された世の終末に関わる出来事(預言)が現れはじめたら、すぐにイエスさまが来られるというニュワンスです。

ところで、2015年にロシアとイランによる空爆によって、シリアのアレッポという都市はすでに瓦礫の山と化していますが、戦火の舞台は今、シリアの都市ダマスコに移りつつあります。これは、ダマスコの地下にフセイン時代に送られた大量破壊兵器、化学兵器があるためで、反イスラエルのイラン、ヒズボラなどの手に渡ることを懸念するイスラエルが、国防のため先制攻撃をせざる得ない状況下で行っていることなどによります。

将来聖書のイザヤ書17章によるならば、このダマスコの町も廃墟になることが預言されています。

近年地中海ファイハ沖やゴラン高原で地下資源のガスや石油の発見がされるなど、国が大変潤っているイスラエルに対して、現在ロシアは経済崩壊の危機に瀕しており、結果これをねらうため、先の戦火を足がかりに軍事侵攻されるものと考えられます。

そしてこの軍事行動に抗議するのがサウジアラビアとイギリスと考えられます。それはエゼキエル書38章に記された古代名シェバ、デダン、タルシシが現代のサウジ、イギリスと読めるからです。
イスラムの教典であるコーランにはユダヤ人とクリスチャンは斬首せよとの教えがあり、聖地メッカがあるイスラム国サウジアラビアですが、近年サウジアラビアは親イスラエルに変化してきています。

黙示録9章によれば、この戦争により人類の3分の1が殺されると記されています。

また、2016年年末の国連安保理会議で、イスラエル、パレスチナ中東和平問題に関しての国連決議案、決議2334は可決されましたが、年があけて先日の15日には、パリのおいて72カ国がパリ和平サミットに出席、その草案によるならば、イスラエルの地を1967年の国境を基にパレスチナ国を創設し、結果エルサレムの分断を命令するようで、2500年前に聖書のゼカリヤ書では、エルサレムが分断されることが預言されており、聖書の預言、神様の言葉の真実さを、私達は現在目にしていることを物語っいます。

また、ロシアなどによるこの戦争が始まる前にクリスチャンの携挙があることが黙示録からよみとれることができます。
 
聖書ではこの携挙の後の時代を艱難時代と呼び、人類に対しての神様の裁きが行なわれる7年間です。
とこで現在ローマカトリックは聖書の真理から逸脱しており、世界統一政府並び世界統一宗教の核となる存在に進行しつつあります。巷で良く知られている666は、世界統一宗教の偽預言者のシンボルであり、現在マイクロチップを体内に埋め込んで個人情報を管理されることが、1部海外では広がりつつありますが、将来この666の刻印がないものは、物の売買が出来なくなるような世界になって行きます。
これは、黙示録13章に預言されています。

何千年もの昔から、世界に将来起こることをご存知である聖書の神様は、これらの裁きから人びとを逃れさせたいがため、聖書に救いの道を示しています。
もうそれほど時はないと思われます。


  『この時代の終わりが近いことをご存知ですか?』

天地万物を創造された聖書の神様のヒストリーが、一つの節目を迎えようとしています。

それは神様が天地万物を創造された事に始まり、イエス様の十字架刑による神様の救いが完成されたこと、このイエス様は人が救われる道を完成されて天に帰られましたが、彼を自分の救い主として受け入れた人(クリスチャン)を迎えに来られる携挙が間もなく近いということです。

その兆候の一つは、数千年もの前に書かれた旧約聖書エゼキエル書38章に登場するロシア、イラン、トルコ、サウジアラビアに代表される国の動向に現れて来ているということです。数年前には想像もできなかった国の有り様が、聖書の預言の通り今私達の目前で急速に展開し、成就しつつあります。

  『神って本当にいるの?』  

聖書の神様の御性質は愛そのものです。時をさかのぼる事数千年、預言者が語られた預言の言葉の成就を通じて、真の神様がおられる事を人に示しておられます。又イエス様が罪人と神様との関係を修復されるために十字架にかかられたこと、それを信じ受け入れるならば神様に創られた者として親子関係が回復し、永遠の滅びから救われるという神様の計画に神様の愛が現れているのです。

  『自分が犯してきた罪は決して許されない』『私は死んだら、どこに行くのだろう』

この罪責心、心のわだかまり恐れを一掃するのが神様、イエスキリストの救いと愛と許しです。

  『今が、この恵みによる救いを受け入れるのに最終的なチャンスです』

やがて、エゼキエル書38章に登場するロシア、イランを中心とした軍事同盟国がイスラエルに侵攻することに始まり、7年間の艱難時代が到来すると思われます。キリストの救いを保つ事が大変困難な期間で、さまざまな天変地異に見舞われる時です。

『この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、わたしたちが救われるべき名は人に与えられていないからです。聖書』

愛なる神様、イエス様に『私の救いをうけいれ、地上にある勤めを良く果たした』と言われる生活を今からしませんか。



不謹慎?

 『 天地万物を創られたお父さん(神様)は暇だったのかな?ー 』

            こんなことを、たまに考える事があります。(もちろん冗談で)

なぜって、昆虫やあらゆる動植物、空の鳥海の魚生きとして生けるものそのすべて、その種類の多さとそこにある存在意義と、見た目に好ましいと好ましくないとに係らず、そこに命さえあれば本当によく出来ていて、それぞれにこだわりがあり、今風に言えば『なくてもよかったんじゃっねー?!』と思えるものさえある、、、

聖書では、その万物は神様が創造されたと記されている。そしてそのあまりにも創造力の豊かさに

  『 お父さんそこまでする???? 』
  『 お父さんも凝り性だねー 』と、心でどうしてもニマニマしてしまう。

そう考えると、何だ!『 神様って楽しいじゃん!!』神様は神様だから当然畏敬の念を持たなければいけないけれど、、、、
でも神様のニコニコした顔が見えて来ませんか?『これを人が発見したら、一体どんな反応をするだろうなんていう、、、、』

ここで、愚問。貴金属、ステンレススチールスチール、セラミック、プラスチックなど時計の部品になるものを空中になげて、一体何度目にして時計としての完成品ができ上がるでしょうか?、、、、

当然そこに物が存在しているという事は、『こうゆう物があったらいいな!!』という、作り手側の気持ちや情や計画がなけれ何も生まれてこない。

だから、人ってすばらしいと思う。あなたも私も、そこには天地創造の神様の面影があるから!!

その神様ご自身があなたと共に生きたいと、あなたの心に住まわせて下さいと願っておられます。

『見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでも私の声を聞いて戸をあけるなら、私はその中に入って彼と食を共にし、彼もまた私と食を共にするであろう。』 聖書