📖 前回のあらすじ

昭和51年の「平岡の街」へと足を踏み出した健一たち。マンモス団地や平屋の市営住宅が立ち並び、子供たちの声が響く懐かしい通学路を歩きながら、それぞれの家へと向かうのだった――。


【第十四話】ただいま


「……なんか、緊張してきたな」

宮本がランドセルの紐をぎゅっと握りしめながら呟いた。

「家に入ったら、オカンがおるんやろ? 2013年に親父を亡くして、そのあとを追うように逝ったお袋が……。今のお袋の年齢って、40代前半か?」

「そうよ」

水野が静かに頷く。彼女の目は、すでに少し潤んでいるように見えた。

「変に意識しないで自然に、って松田さんは言っていたけど……ドアを開ける手が震えそう」

「俺ら、中身は還暦過ぎたおっさんとおばはんやのに、親の前では12歳のガキに戻らなあかんねんな。……じゃあ、俺はここやから。また明日な」

宮本がそう言って、トタン屋根の平屋が並ぶ市営住宅の路地へと折れていった。

水野も「また明日ね」と小さく手を振り、自分の家へと向かっていく。

一人になった俺は、深く息を吸い込んだ。

錆びついた鉄格子の門、勝手口に置かれた青いポリバケツ、生垣の匂い。すべてが50年前の記憶のまま、そこにある。

病院のベッドで小さくなり、2016年に見送った親父とお袋。

あの二人(ふたり)が、このドアの向こうには、まだ白髪も混じっていない40代の若さで生きているのだ。

俺はズボンのポケットの中にあるあの茶封筒を上から一度確かめるように叩き、意を決して、引き戸に手をかけた。

「……ただいま」

ガラガラと音を立てて開けた玄関。

奥の台所から、カツカツと包丁がまな板を叩く小気味いい音と、出汁のいい匂いが漂ってきた。

「お帰り健一! 今日は随分遅かったやないの。大喜多先生にまた怒られたん?」

パーマをあてた、まだシワのないお袋が、割烹着姿でひょっこりと顔を出した。

その元気な声を聞いた瞬間、俺の胸の奥から、堰を切ったように熱いものが込み上げてきた――。