パン一つ食べられる幸せ…
ローマの人達がパンを食べるために…
多くの奴隷が必要だった…
一つのパンにはソレだけの価値がある…
ソコを考えると…
人はパンのみにて生きるにあらず
等のパンにまつわる言葉達にも、別の意味が加わるコトになる…
仕事をする…
生きていくコトは食べていくコト、一日の狩猟時間と一日の農作業にかかる時間を…
自分が食べていくベースで比べた場合…
農作業の時間は狩猟時間の軽く三倍は超える…といいます(゚-゚)
人間が安定を獲るためにはじめた農作業は、より多くの負担を個人に与える結果となりました
それにも増して安定という魅力が、当時の人々にあったというコトです
それ以降の社会形成については別の話なのでココではいいません
でも、そのようにして多大な個人としての労力を費やした上で、米や小麦は手に入ります
その手間の結晶を、更に加工した高級品が当時のパンだったのです
ローマの当時の粗食といえば、小麦等の粉を水やミルクで炊いたモノに魚醤やハチミツなどをかけて食べていたといいます
ソコから考えれば、更に蒔きを、そして人の労力を使えばパンが高級品であるコトは疑いようのない事実です
人間らしい生活の定義は、人それぞれで…モラルの定義も人それぞれ…
ただ…
人は高級品のみにて生きるにあらず
と置き換えるコトができる事実と…
そうした時に、高級品とはなんなのか?
という羞恥心やモラルを…
先ずは気づく必要があると…
その先にある僕の意見は敢えていいませんが…
………
現実を否定する気はない…
ただ、
人は、他人が組織を形成した時点で、奴隷として狩られる対象にもなるのだ…
社会に出るとはそういうコトなのだ…
その場合の、物欲やステイタスとしての高級品に対する自分の投影…
本来ならば、生きるという意味での高級品であるパンが…
コンビニでゾンザイに扱われ、無造作にならべられているのを見て…
川崎大師へと向かう電車の中で…
そんなコトを考えました…
でわ