アカデミー賞の作品賞を受賞した『オッペンハイマー OPPENHEIMER』が、ようやく日本でも公開されました。公開初日に映画館に行ってきました。 

 オッペンハイマー博士による原爆の開発と戦後の苦悩を描いたこの映画。実際に原爆を落とされた、しかも二度にわたって、国の国民として何の抵抗もなく受け入れることはできませんでしたが、核の脅威を訴える監督の思いは確かに伝わって来ました。

 

<物語と背景> ※ネタバレ注意

 1939年9月、ヒトラー率いるナチス・ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まりました。そして1941年12月にハワイの真珠湾が日本軍に攻撃され、これをきっかけにアメリカも第二次世界大戦に参戦しました。

 戦争を進めるにあたってアメリカは核兵器の開発が急務と考え、国内の研究者を集めて原爆の開発に取り組みました。「マンハッタン計画」です。その中心となった人物が、理論物理学者のオッペンハイマー博士キリアン・マーフィー Cillian Murphy 1976-)でした。

 第二次世界大戦では、1943年にイタリアが、1945年5月にドイツがそれぞれ連合国側に降伏しました。イタリア、ドイツが降伏した後もアメリカは原爆の開発を進め、7月に実験に成功しました。そしてその一か月後の8月6日と9日に広島と長崎に原爆を投下し、ポツダム宣言を受諾して降伏した日本は15日に天皇陛下がラジオを通じて国民に敗戦を伝えました。

 「原爆の父」として一躍ヒーローになったオッペンハイマー博士ですが、広島と長崎の惨状を知るにつれて核兵器の存在に懐疑的になり、水爆の開発に反対するようになります。米ソの冷戦が激しさを増す中、アメリカ国内ではマッカーシ―上院議員によるマッカーシズム=赤狩りが猛威を振るいます。妻や弟たちがかつて共産党員だった博士は、博士に個人的な恨みを持つ原子力委員会のストローズ委員長ロバート・ダウニー・Jr Robert Downey Jr. 1965-)のたくらみによって危険人物のレッテルを貼られ、機密情報へのアクセス権をはく奪されて事実上の公職追放の処分を受けます。

 

クリストファー・ノーラン監督(Christopher Nolan 1970-)

2023年のアメリカ映画

作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞などアカデミー賞を7部門で受賞

 

 

<当時の原爆開発>

 1939年に始まった第二次世界大戦中、アメリカだけでなくドイツ、日本、ソ連の三つの国が原爆の開発を進めていました。『オッペンハイマー』は、このうちドイツとソ連に触れていて、アメリカが原爆開発を急いだ理由としてドイツに先を越されたくなかったからだとしています。

 一方、日本では海軍と陸軍がそれぞれ原爆の開発を進めていましたが、研究施設が空襲によって焼失したため、計画が中止されました。

 歴史を考察するうえで「if」について考えることにどれだけの意味があるのかよくわかりませんが、当時、アメリカと同じ連合国側にいたソ連はともかくとして、もし日本とドイツがアメリカより先に原爆を開発していたら使っていたでしょうか?もちろんここから先は個人的な考えになりますが、私は使った可能性が高いのではないかと思います。とりわけ戦況が悪化した後に劣勢を挽回するため使ったのではないかと考えます。

 しかし、敵国だったドイツや日本が使ったかもしれないのだから、アメリカの原爆投下は仕方がないことだったかというと、私はそうは考えません。歴史や政治を考えるうえで何よりも大切なことは、事実の重みであり結果の重大性だと思うからです。

 

<アメリカの戦争犯罪>

 映画も伝えているように、アメリカが原爆開発を急いだ理由は、ドイツに先を越されたくなかったからです。しかし、そのドイツは1945年5月に降伏しました。つまりアメリカはドイツに先を越される心配はなくなったわけです。しかし、アメリカはそこで原爆開発を中断することはせず、今度は「日本を早く降伏させるため」という理由を掲げて開発を加速させました。戦後、ソ連に対して優位に立ちたいという思惑もあったのでしょう。

 この「日本を早く降伏させるため」ですが、確かに原爆を投下していなかったら、私は日本の降伏はもう少し遅くなったと思います。日本を降伏させるために、アメリカは沖縄と同じように本土への上陸作戦を敢行し、結果的に日米双方にさらに犠牲者が出たはずです。

 こうした事態を防ぐためにアメリカは広島と長崎に原爆を投下したとしています。しかし、だからと言って民間人を中心に推定20万人以上の命を奪った広島と長崎への原爆投下は明らかな戦争犯罪で、アメリカの罪が許されることは絶対にないと思います。

 

<描かれなかった原爆投下後の惨状>

 この映画には、原爆投下後の広島と長崎の様子はまったく出て来ません。これについてノーラン監督は、去年、ニューヨークで行われた試写会で「オッペンハイマーの経験から逸脱することはしたくなかった」と話しています。確かにオッペンハイマー博士は原爆投下をラジオで知ったのですが、一方で、映画は原爆投下後の広島と長崎の様子を伝える報告会に出席する博士を描いています。この時、博士は最初スクリーンに目をやっていますが、しばらくすると視線を落としてしまいます。放送局に勤めていた関係で私は映像編集について一定の知識を持っていますが、こうしたシーンでは、普通、博士が観ることを拒否した映像がどのようなものであったのかを観客に伝えることが編集の基本となります。

 ノーラン監督の狙いが、原爆投下後の惨状を知って苦悩するオッペンハイマー博士を通して核の脅威を訴えたかったことにあるのだとすれば、やはりその惨状を映像で見せることは必要だったのではないでしょうか。それをあえてしなかったことで、私は、原爆投下国のアメリカの観客をあまり刺激したくなかったといった思惑が監督にあったのではないかと疑念を持ってしまうのです。

 また、その決定に監督がどれだけかかわっていたかは分かりませんが、日本での公開がアメリカより8か月も遅くなったことにも私は政治的な意図を感じてしまいます。

 

<オッペンハイマー博士の苦悩>

 このように私は、実際に原爆を落とされた、しかも二度にわたって、国の国民としてこの映画を何の抵抗もなく受け入れることはできませんでした。しかし、核の脅威を訴える監督の思いは伝わって来ました。

 この映画は、広島への原爆投下の前と後で大きくトーンが変わります。前半は、本当に原爆を投下してもいいのか疑問を持ちながらもドイツに先を越されるわけにはいかないと開発を急ぐオッペンハイマー博士の姿を描いています。そのハイライトが、広島と長崎に原爆を投下する一か月前に行われた実験です。燃え上がる紅蓮の炎を見ながら博士は一瞬、呆けたような表情を見せますが、すぐに喜びの輪に加わり、仲間とともに実験の成功を祝います。

 それが広島に原爆を投下した後に行われた祝賀会を境に物語のトーンが大きく変わります。この祝賀会でオッペンハイマー博士は、「日本はいやだったろう」とか「ドイツにも使いたかった」と刺激的な言葉であいさつします。しかしその一方で映画は、祝賀会に参加した女性の皮膚が剥がれ落ちていく様子や黒い灰と化した子どもの遺体を誤って踏みつけてしまう様子をイメージ映像として見せ、言葉とは裏腹に博士の心が激しく動揺していることを示します。

 実際、オッペンハイマー博士は、原爆投下後の広島と長崎の惨状を知って自らが犯した罪の重さを意識するようになり、戦後、面会したトルーマン大統領に「自分の手が血塗られているように感じる」と語ります。しかしそのことで大統領の怒りを買い、やがて水爆の開発に反対したことをきっかけに共産主義との関係を疑われ公職を追放されてしまいます。

 

<「我は死なり、世界の破壊者なり」>

 映画を前半と後半の二つに分けると、ノーラン監督が重きを置いたのは明らかに後半だったと思います。自らが開発した原爆によって広島と長崎で20万人以上を殺害したことに対する罪の意識。そして、日本への原爆投下がきっかけとなって、戦後、米ソの核開発競争が起こり、結果としてより破壊力のある水爆まで登場させてしまったことに対する良心の呵責。世界を破滅させる兵器を開発してしまったオッペンハイマー博士の苦悩の象徴として、映画は核兵器が世界各地で使われ、地球が炎に包まれる様子を描いて終わります。

 アメリカが広島と長崎に原爆を投下してから来年で80年。この80年の間に核兵器の保有国は9か国に増え、ロシアのプーチン大統領は核の使用をちらつかせながらウクライナへの侵攻を続けています。

 映画の中で紹介されるヒンズー教の聖典「バガヴァッド・ギータ―」の一節「我は死なり、世界の破壊者なり」という言葉に、私は荒涼とした風景が広がるオッペンハイマー博士の心の内を見た思いがしました。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。