『オール・ザ・キングスメン ALL THE KING`S MEN』のブログを投稿した後、今年行われるアメリカ大統領選挙についてもう少し調べてみようと中公新書の『白人ナショナリズム』を読み返しました。この本はアメリカ社会の分断の原因の一つになっている白人ナショナリズムについて論じたもので、映画の『ジョーカー JOKER』が白人ナショナリストの共感を生んだことが書かれていました。

 『ジョーカー』は私も観ていますが、そのような視点でこの映画のことを考えたことはありませんでした。なぜ白人ナショナリストはこの映画に共感したのか、私なりに考えてみました。

 

<あらすじ> ※ネタバレ注意

 この映画は、バッドマンシリーズでお馴染みのジョーカーの誕生の経緯を描いています。

 

 年老いた母親とゴッサムシティで暮らすアーサーホアキン・フェニックス Joaquin Phoenix 1974-)は、突然、笑い出すという脳の障害があり、まわりから気味悪がられています。ピエロに扮して店の街頭宣伝などを行っていますが、将来はコメディアンになりたいと思っています。

 ある日、職場の同僚から護身用にと拳銃を渡されますが、子どもたちの前でピエロを演じている時に誤って落としてしまい勤め先を辞めさせられます。その夜、地下鉄の車内で3人の酔っぱらいに絡まれて暴行を受け、持っていた拳銃で彼らを射殺します。

 おりしもゴッサムシティは清掃組合のストライキで街頭にゴミがあふれていました。そのストレスもあってか、人々は殺されたのが証券会社のエリート社員だったことを知って喝采を挙げ、犯人はピエロだったという目撃証言が伝えられるとお面をかぶって街に繰り出します。アーサーも3人を射殺したことで貧困や差別などこれまで自分を苦しめてきたものから解き放たれたような気分になり、自分の出生の秘密を隠していた母親の口元に枕をあてて窒息死させ、自分に拳銃を渡したことを隠そうとする元同僚を殺害しました。

 そのころ、テレビの人気番組の司会者のマレーロバート・デ・ニーロ Robert De Niro 1943-)が、まったく客に受けないアーサーのスタンダップコメディーの動画を見て彼を番組に呼びます。ピエロのメイクで出演したアーサーは、自分のことをジョーカーと呼んで欲しいと頼みます。そして生放送中に突然、地下鉄で3人を殺害したのは自分だと告白し、笑いものにするために出演させたのだと言ってマレーを射殺します。アーサーの殺人劇をテレビで見て興奮した人々はピエロのお面をかぶって街に繰り出し、暴動を繰り広げます。そこに逮捕されたアーサーを載せたパトカーが通りかかり・・・。

 

トッド・フィリップス監督(Todd Phillips 1970-)

2019年のアメリカ映画

アカデミー主演男優賞(ホアキン・フェニックス)と作曲賞を受賞

 

 

<『白人ナショナリズム』>

 この本はアメリカ政治が専門の慶応大学の渡辺 靖教授が書いたもので、サブタイトルは「アメリカを揺るがす「文化的反動」」です。

 渡辺教授によりますと、「白人ナショナリズム」とは「白人至上主義」と「自国第一主義」が結びついたものです。「白人至上主義」は黒人への弾圧を続けて来たクー・クラックス・クラン(KKK)。「自国第一主義」は孤立政策を掲げたモンロー主義に代表されるように二つとも古くからアメリカ社会に根付いてきました。渡辺教授は、2017年のトランプ大統領の誕生以降、この二つが結びついた「白人ナショナリズム」が台頭し、その結果、社会の分断が進んだと指摘しています。

 

<『ジョーカー』への共感>

 その『白人ナショナリズム』の中に次のような記述があります。

 折しも欧米の一部では、リベラルな啓蒙理念そのものを否定する「新反動主義」、あるいは「暗黒啓蒙」と称される過激な思想が一部の注目を集め、2019年には映画『ジョーカー』が全米で3億ドル、全世界で10億ドル以上を稼ぎ出す大ヒットになった。

 コメディアンを目指す心優しき白人男性アーサーが不遇と失意の中、殺人者になり、暴動を煽動する悪のカリスマへと変貌するさまを描いた同映画は冷笑的で、反リベラル的な加速主義の世界観に重なるものとして白人ナショナリストたちからも共感を呼んだ。若者に人気の極右の陰謀論者ポール・ジョセフ・ワトソンは「記憶に残る映画はほとんどないが、『ジョーカー』の息詰まるような冷笑主義は他に類を見ないほど心に焼き付く。真に文化的な瞬間のように感じた。最近では極めて稀なことだ」と100万人以上のフォロワーに向けてツィートしている(2019年10月11日)。

 

※「加速主義」とは、近代社会が依拠していた自由や平等といった(広義の)啓蒙主義を「ポリティカル・コレクトネス」=政治的タテマエと一蹴し、むしろそこからの脱却、その破壊を急ぐべきだとする考え(『白人ナショナリズム』)。

 『ジョーカー』は「白人至上主義」や「自国第一主義」を描いているわけではなく、その意味では一見すると白人ナショナリストとは関係のない映画のように思えます。

 しかしあらためて考えてみると、3人のエリート証券マンを射殺したジョーカーを自分たちのヒーローと讃えるゴッサムシティの人々と白人ナショナリストたちは共通のメンタリティを持っていることに気づきます。

 白人ナショナリストたちの中には、鉄や石炭を使った重厚長大産業の衰退によって経済的に困窮した人たちも多くいます。彼らはウォール街で働く人たちに代表されるような高学歴・高所得のエリートたちを敵視し、自分たちの不幸の原因を移民によって職を奪われたからだと考える人もいます。そうした人々を支持基盤とするのがトランプ前大統領です。「Make America Great Again=アメリカを再び偉大にする」を合言葉に不法移民対策としてメキシコとの国境に壁を作ろうとしたり、治安を名目に一部のイスラム諸国からの入国を制限したりして、白人ナショナリストたちの喝采をあびます。渡辺教授によりますと、トランプ前大統領は「私は低学歴の人びとを愛している」とまで言ったそうです。

 清掃組合のストによって放置されたゴミが腐敗臭を漂わせる中でゴッサムシティの人々が募らせる歪んだ感情は、白人ナショナリストたちの怒りと相通ずる部分があるのではないでしょうか。ゴッサムシティの人々がジョーカーを崇めるように白人ナショナリストたちはトランプを崇めているのかもしれません。

 

<ジョーカーとトランプ前大統領>

 映画のラスト近く、アーサーを護送するパトカーが暴動参加者の運転する車に衝突されます。外に運び出されたアーサーは車の上に乗り、ピエロのお面をかぶった人々の前で踊ります。私はこのシーンを見て2021年の1月にアメリカで起きたある事件を思い出しました。トランプ前大統領の支持者による連邦議会の襲撃事件です。

 

                              (Wikipediaより)

 

                              (Wikipediaより)

 

 『ジョーカー』が公開されてから1年3か月後に起きたこの事件では、民主党のバイデンを次期大統領に選ぶための選挙人投票の集計などを妨害しようとして当時のトランプ大統領の支持者が連邦議会を襲撃して多数の死傷者が出ました。Wikipediaによりますと、襲撃に先立ってトランプ大統領はホワイトハウスに隣接した広場で演説を行い「選挙の勝利は極左の民主党の連中によって盗まれ、さらにフェイクニュースのメディアによっても盗まれた」と述べ、「この後、議事堂へ歩いて向かおう。俺もいっしょに行く」「強さを見せるんだ。あなたたちは強くなければならない。なぜなら弱さでは私たちの国をとりもどすことはできないからだ」「我々は戦う。ともかく死ぬ気で戦う。もし死ぬ気で戦わなければ国はもはやない」と鼓舞したと言います。

 もちろんトランプ前大統領とジョーカーを同一視することはあまりにも乱暴すぎるでしょうし、襲撃事件に『ジョーカー』が直接的な役割を果たしたこともなかったでしょう。しかし、アーサーによる殺人劇をテレビで見て街に繰り出し、車の上で踊る彼を教祖を見るように見つめるゴッサムシティの人々の姿は、私にはトランプ大統領の言葉を受けて連邦議会を襲撃した人たちの姿と重なって見えてしょうがありませんでした。

 

<そして大統領選挙>

 トランプ前大統領は、先日、サウスカロライナ州で行われた予備選挙でも勝利し、共和党の大統領候補に一歩また一歩と近づいています。大統領の座を失ったトランプ前大統領が11月の選挙でバイデン大統領を破って復活を果たす可能性はかなり高いのではないでしょうか。

 『白人ナショナリスト』を読み返した上であらためて『ジョーカー』を観て、私は今年のアメリカ大統領選挙とそれに続くアメリカ社会からますます目が離せなくなってきました。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

<追記>

 『ジョーカー』の結末をネタバレすると、再び身柄を確保されたアーサーが医療刑務所を脱走しようとするところで映画は終わります。逃走の際、アーサーの足の裏には血のりがべったりとついていて、それまで一緒にいた女性カウンセラーを殺害したことをにおわせています。

 その後のジョーカーの悪逆非道ぶりについては、これまでに公開されたバッドマンシリーズがつぶさに描いています。