あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 暮れの29日に、役所広司がカンヌ国際映画祭で主演男優賞を受賞した『PERFECT DAYS』を吉祥寺の映画館で観て来ました。東京都心のトイレ清掃を仕事とする主人公の日常と、彼に起きるいくつかの出来事をあたたかな眼差しで描いた映画です。役所広司演じる主人公の生き方に木洩れ日のぬくもりを感じました。

 

<あらすじ> ※ネタバレ注意

 この映画には起承転結のある物語はありません。スカイツリーにほど近い押上のアパートに一人で暮らし、渋谷区内の公園にあるトイレの清掃を仕事としている平山役所広司 1956-)の日常と、彼に起きるいくつかの出来事を描いています。

 平山の日常は、仕事のある日でしたら、早朝に起きて鉢植えに水をやり、歯を磨いた後、缶コーヒーを飲みながらトイレのある公園まで車を運転します。そして便器や床の汚れを丁寧に落とし、木立の間からこぼれる木漏れ日に目を細めながら公園で昼食を取ります。仕事が終わって帰宅すると自転車で銭湯に出かけ、地下の居酒屋で酒とつまみを食べてアパートに戻ります。寝る前のひと時、布団に入って本を読み、しばらくすると明かりを消して眠りにつきます。

 休みの日は、コインランドリーに自転車で行って仕事着などを洗濯することと馴染みのママのいる和風スナックに行って酒と手作りの料理を楽しむことが日課となります。

 平山の生活は基本的この繰り返しですが、時々予期せぬ出来事が起きます。コンビを組んで一緒にトイレを清掃している若い男が電話一本で仕事を辞めてしまったり、平山にとっては姪にあたる妹の子どもが家出して、突然、彼のアパートを訪ねてきたりします。そのたびに平山の生活にさざ波が立ちますが、やがて何事もなかったかのようにいつもの日常が戻ってきます。

 映画は、東京の街並みを見せながらそうした平山の日常を慈しむように描き、平山になり切った役所広司が寡黙で誠実な演技で観る人の心をとらえます。

 

ヴィム・ヴェンダース監督(1945-)

2023年の日本・ドイツの合作映画

役所広司がカンヌ国際映画祭で主演男優賞を受賞

 

 

<ヴィム・ヴェンダース監督 >

 ドイツ映画界の巨匠。とは言ってもヨーロッパ映画をあまり観ていない私は、正直言うとヴェンダース監督の作品は『ベルリン・天使の詩』(1987)しか観たことがありませんでした。評判を聞いてある女性と二人で観に行ったのですが、私にはなかなか難解な内容でした。一緒に行った女性もそう思ったのか、映画館を出た後、「どっちが誘ったんだっけ?」と冗談交じりに責任をなすり付け合ったほどでした(笑)。

 『ベルリン・天使の詩』に比べると『PERFECT DAYS』は分かりやすく、これをきっかけにヴェンダース監督 の作品をもっと観てみようと思います。次は『パリ、テキサス』(1984)を考えています。

 

<平山という男>

 この映画の主人公の平山は、言ってみれば謎だらけの男です。「何故、公園のトイレ清掃の仕事に就いたのか?」「一人暮らしをしているということは家族はいないのか?」映画は平山の来歴についてほとんど何も語っていません。ただ、平山から連絡を受けて子どもを迎えに来た妹麻生祐未 1963-)が、父親との関係修復を勧めたことで、もしかしたら今のような生活を送るきっかけの一つに父親との確執があったのかなとにおわせてはいます。妹からの勧めを平山は苦笑いしながら首を振って断ります。

 この妹は運転手付きの高級車で子どもを迎えに来て、遠慮気味に「本当にトイレの掃除してるの?」と平山に問いかけます。平山は運転手付きの高級車に代表される出自への反発から今の生き方を選んだのかもしれず、私はその生き方に自分の意志を貫き通す強さを感じていました。それだけに、二人が帰った後、全身を震わせながら慟哭する姿を見て、私は人間なら誰でも持っている迷いや弱さを平山も持っていることを知り、ある意味ホッとしました。

 

<「雨ニモマケズ」>

 平山の生き方を見ているうちに思い出したのが、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」です。

 

 雨ニモマケズ

 風ニモマケズ

 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

 丈夫ナカラダヲモチ

 慾ハナク

 決シテ瞋(いか)ラズ

 イツモシヅカニワラッテヰル

 一日に玄米四合ト

 味噌ト少シノ野菜ヲタベ

 アラユルコトヲ

 ジブンヲカンジョウニ入レズニ

 ヨクミキキシワカリ

 ソシテワスレズ

 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ

 小さな萱ブキノ小屋ニヰテ

 東ニ病気ノコドモアレバ

 行ッテ看病シテヤリ

 西ニツカレタ母アレバ

 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

 南ニ死ニサウナ人アレバ

 行ッテコハガラナクテモイイトイヒ

 北ニケンクヮヤソショウガアレバ

 ツマラナイカラヤメロトイヒ

 ヒドリノトキハナミダヲナガシ

 サムサノナツハオロオロアルキ

 ミンナニデクノボートヨバレ

 ホメラレモセズ

 クニモサレズ

 サウイフモノニ

 ワタシハナリタイ

 

 平山は、突然辞めた相方の後釜を早く見つけるように会社の留守電に向かって怒鳴り声をあげるので、「決シテ瞋(いか)ラズ」というわけではありません。また、現代の東京に生きているので「野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小さな萱ブキノ小屋ニヰテ」というわけにもいきませんが、あとはだいたい宮沢賢治が「雨ニモマケズ」で描いたような人物です。

 宮沢賢治がこの詩で自分の理想とする生き方を描いたように、脚本も共同執筆したヴェンダース監督は平山の中に自分が本当はそうなりたかった人物像を投影させたのだと思います。でも二人が理想通りに生きたか、あるいは生きているかというと、恐らくそうではないでしょう。そうではないからこそ、こんな詩を書いたり映画を監督したに違いありません。私に至っては、欲はあるし、すぐ怒るし、自分を勘定に入れたがるし、「雨ニモマケズ」の人物や平山とは真逆の生き方をしてきたように感じています。

 開き直るわけではないんですが、程度の差こそあれ、生きていくためにはそうせざるをえない面があります。でもその一方で、「雨ニモマケズ」の中の人物や『PERFECT DAYS』の平山に魅力を感じるのも事実です。きっと自分の欠点とか至らなさが分かっているからこそ、彼らの生き方に憧れに似た感情を持つのだろうと思います。ちまにみこの映画のキャッチコピーも、「こんなふうに生きていけたら」です。

 

<木洩れ日のように>

 映画では、木漏れ日の映像が繰り返し出てきます。ポスターにも木漏れ日が使われているし、細かな内容までは覚えていませんが、映画の最後では木漏れ日の説明文まで流れます。木漏れ日がこの映画の鍵となっています。

 木漏れ日はぬくもりやあたたかさ、それに優しさを感じさせます。ヴェンダース監督は、木漏れ日のような存在として平山を描きたかったのだろうと思います。

 「木漏れ日のように人々を優しく包み込むことができたら」

 私にはとても無理とは思いながら、『PERFECT DAYS』を観ていると、そんな気持ちになって来ました。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。