嫌なことやつらいことがあった時、それが眠られぬほどのものでなかったら、私はひたすら寝るようにしてきました。もちろんそれで状況が改善されるわけではありませんが、少なくとも自分の気持ちはちょっとは楽になるような気がしています。

 戸籍ごと他人になった男たちを描いた『ある男』を見て、現実から逃れる、あるいは忘れるために、自分以外の誰かになりすますというのもアリなのかも知れないなと思うようになりました。

 

<あらすじ> ※ネタバレ注意

 夫と離婚し、宮崎県で文房具店を営む実家に戻って男の子を育てる里枝安藤サクラ1986-) 。その文房具店にある日、見知らぬ男大祐」(窪田正孝 1988-)がやって来た。やがて二人は恋に落ちて結婚し、女の子も生まれるが、「大祐」は伐採作業中に誤って木の下敷きになって死んでしまった。里枝は「大祐」の兄を探し出して連絡する。しかし1周忌の法要にやって来た兄は「大祐」の遺影を見て別人と伝えた。

 自分はいったい誰と結婚したのか。里枝は離婚の際にお世話になった弁護士の城戸妻夫木 聡 1980-)に大祐と名乗っていた男について調べてもらうことにした。在日コリアンの3世の城戸はですでに日本に帰化していたが、日本の社会に残る差別や偏見を意識しながら毎日を送っていた。城戸は「大祐」の調査にのめり込んでいった。

 調査の結果、大祐と名乗っていた男は3人を殺害して死刑になった男の息子で、本名は小林 誠であることがわかった。誠は、戸籍ブローカーの手を借りて群馬県の伊香保温泉の旅館の次男の谷口大祐と戸籍を変えていた。旅館の次男坊であるがため、将来に夢を持てなかった大祐も別の人間として生きたいと思っていたのだ。

 謎が解けたことで、城戸は時間と心に余裕が持てるようになった。そんな矢先、たまたま手にした妻のスマホのLINEメッセージから、妻が浮気をしていることを知った。

 映画の最後のシーン。城戸はバーのカウンターで隣の男と雑談を交わしていた。城戸には男の子がひとりしかいなかったが、自分には男の子と女の子がいると嘘を言った。しかも城戸が語った子どもの年齢は、大祐と名乗っていた男が里枝と育てていた二人の子どもの年齢だった。 

 

 

石川 慶監督

2022年公開

日本アカデミー賞最優秀作品賞、監督賞(石川 慶)、主演男優賞(妻夫木 聡)、助演男優賞(窪田正孝)、助演女優賞(安藤サクラ)、編集賞(石川 慶)を受賞

 

<安藤サクラ 1986->

 この映画の冒頭、夫と離婚して子どもと一緒に故郷に帰った里枝が、実家の経営する文房具店で店番をしながら人知れず涙を流します。これまでの人生とこれからの人生を考え、心の奥深いところからにじみ出て来たような涙でした。安藤サクラの見事な演技に、あっという間に私は映画の世界に引きずり込まれました。

 彼女が出演した『万引き家族』(2018)のブログでも書きましたが(去年2/26)、演技派の彼女は、とりわけ泣く演技に定評があります。『万引き家族』がカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞した時、審査委員長を務めたケイト・ブランシェット(Cate Blanchett 1969-)は、安藤サクラの演技について「安藤サクラのお芝居、特に泣くシーンの芝居がとにかく凄くて、もし今回の審査員の私たちがこれから撮る映画の中で、あの泣き方をしたら、彼女の真似をしたと思ってください。」と話したそうです。

 

<自分以外の誰かになる>

 この映画は、最後に在日コリアン3世として日本社会で生きて来た城戸が、妻の浮気をきっかけにやはり他人になりすまそうとするところで終わります。私は冒頭の安藤サクラの涙とともにこのシーンが強く印象に残っています。

 弁護士として成功したように見える城戸さえもが、自らの出自や妻の浮気という現実から逃れる、あるいは忘れるために他人を装おうとしました。城戸ほどではないにしても、我々もまた嫌なことやつらいことをたびたび経験し、時にはすべてを放り出してしまいたいと思うこともあります。しかし現実には、なかなかそうするわけにもいかず、私などは、ひたすら惰眠をむさぼることで嵐が過ぎ去るのを待つようにしてきました。

 大祐と名乗っていた男は、人殺しの息子として差別や偏見を受け続け、そんな過去と決別するため戸籍ごと他人になりました。また本当の大祐も、老舗旅館の次男というしがらみから逃れるため男との戸籍の交換に応じました。

 さすがに彼らのようなやり方は非現実的だと思います。でも、たとえその時だけでも心に安らぎを得られるなら、見知らぬ街や行ったことのない店で人様に迷惑をかけない範囲で他人を装うっていうのは、もしかしたらアリなのかもしれないなと思うようになりました。

 監督が映画の最後にバーのカウンターで隣の客に嬉しそうに作り話をする城戸を持ってきたのは、誰もがみな、自分以外の誰かになりすまさなければやっていられないほどの不満や不安を抱えながら生きている現実を私たちに伝えたかったからではないかと思っています。

 この映画は、芥川賞作家の平野啓一郎さんの同名の小説を映画化したものです。私はまだ原作を読んでいませんが、さっそく読んでみるつもりです。

 

<国際D(デジタル)シネマ映画祭>

 私はこの映画を職場のある埼玉県川口市のSKIPシティで観ました。そのSKIPシティで、来月、「国際D(デジタル)シネマ映画祭」が開かれます。

 この映画祭は2004年から始まり、若手監督の登竜門として知られるようになってきました。『ある男』の石川 慶監督も2009年に開かれた第6回映画祭の短編部門に作品がノミネートされたことがあり、この映画祭がその後の飛躍のきっかけになりました。

 20周年を迎える今年は、来月15日から23日まで開かれます。国際コンペティション部門に世界中から過去最多の1,041本の応募があり、このうち10作品がノミネートされて映画祭で上映され、グランプリが決まります。また国内コンペティション部門では、長編と短編部門にあわせて14の作品がノミネートされました。

 

 

 もちろん、将来の世界や日本の映画界を担う才能の持ち主に出会うことも楽しみですが、なによりも期間中、足しげく映画祭に通い、映画の世界にどっぷりとつかりたいと、今から楽しみにしています。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。