ジョディ・フォスターと聞いて、真っ先に思い浮かぶ言葉は「才女」。この夏、彼女の半生を綴った『ジョディ・フォスターの真実』(フィリッパ・ケネディ著 集英社)を読みましたが、若いころの才女ぶりは半端ではありませんでした。
そのジョディが、初めてアカデミー主演女優賞を受賞した映画が『告発の行方』。製作現場でも、彼女の才女ぶりは遺憾なく発揮されていたようです。
<『告発の行方 The Accused 1988』 ※ネタバレ注意>
レストランでウエイトレスとして働くサラ(ジョディ・フォスター Jodie Foster 1962-)が、ある晩、酒場で3人の男にレイプされた。サラの証言を元に大学生を含む3人が逮捕されるが、彼らはサラの方から挑発し、合意の上でのセックスだったと容疑を否認した。
事件を担当した地方検事補のキャサリン(ケリー・マクギリス Kelly McGillis 1957-)は、当時、サラがマリファナを吸って酒も飲んでいたことなどから主張を全面的に押し通すのは難しいと判断し、相手側弁護士と事前協議した上、レイプではなく過失傷害の罪で3人を訴追した。
しかしサラはこれに納得せず、キャサリンの家に押しかけて強く抗議した。さらに、立ち寄ったレコード店で酒場にいた男に出くわし、事件のことでしつこくからかわれたため、思わず我を忘れ、この男の運転するトラックに車ごと突っ込んだ。
サラはけがをして病院に運ばれ、見舞いに来たキャサリンに、もうろうとした意識の中で「味方だと思っていたのに」とつぶやいた。これを聞いたキャサリンは、犯人側と事前協議したことを激しく後悔した。
キャサリンは事件を再捜査し、当時、酒場にいて犯人をはやし立てた3人の男たちを教唆の罪で訴追しようと考え、サラに法廷で証言するよう依頼した。
証言台に立ったサラはレイプされた時の状況を説明するが、3人の教唆を立証するまでには至らなかった。そこでキャサリンは、当日、酒場にいて事件を警察に通報した大学生を割り出して証言を依頼する。彼はレイプ犯の学生の友人で、依頼を断ったが、サラと話すうちに助けになりたいと思うようになり、法廷に立って自分が見た事件の状況をありのままに証言した。
陪審員は、審理の結果、教唆の事実を認め、3人を有罪とした。
ジョナサン・カプラン監督(Jonathan Kaplan 1947-)
1988年のアメリカ映画
<ケリー・マクギリス Kelly McGillis 1957->
1980年代後半に『刑事ジョン・ブック 目撃者 Witness 1985-』、『トップガン Top Gun 1986』、『告発の行方』と立て続けに話題作に出演し、トップ女優になりました。しかし、その後、あまり作品には恵まれない印象を受けます。
『ジョディ・フォスターの真実』によりますと(以下、同本による場合はクレジット省略)、『告発の行方』の製作陣の中には、サラ役にケリーをキャスティングしようという考えもあったようです。しかし、実は彼女は実際にレイプ被害に遭ったことがあり、それもあってそのアイデアが実現することはありませんでした。
<『告発の行方』出演のきっかけ>
1980年にイェール大学に進学したジョディは、寮にしつこく手紙を送ってきたり電話をかけて来たりしたジョン・ヒンクリーがレーガン大統領暗殺未遂事件を起こしたことに強いショックを受けますが、大学在学中も映画出演をやめることはありませんでした。しかしどの作品も、13歳の時に出演した『タクシードライバー Taxi Driver 1976』ほどの注目を集めませんでした。そんなジョディが大学卒業の翌年に出会ったのが、『告発の行方』の脚本でした。
『告発の行方』は、1983年にマサチューセッツ州で起きた事件を下敷きにしています。アメリカでは、当時もレイプ犯罪が大きな社会問題になっていて、脚本を読んだジョディは、サラの役こそ自分の求めていたものだと直観したと言います。
製作陣の中にはヒンクリー事件の影響を懸念する声もありましたが、彼女はスクリーン・テストを受けてこの役をつかみました。
映画は、最後の方でサラが3人の男たちにレイプされるシーンが3分間にわたって続きます。もちろん映画にとっては重要なシーンですが、肉体的にも精神的にもハードな撮影だったようで、途中ジョディは「こんなまねはできない。あなた方の映画を台なしにして、ほんとうにごめんなさい」と言って、役を降りようとしたこともあったということです。
しかしなんとか最後までやりきり、彼女の迫真の演技は、高い評価を受けました。この映画で初のアカデミー主演女優賞を受賞し、子役出身の有名女優は大女優への階段を駆け上がったのです。
<才女伝説の数々>
ジョディは、『タクシードライバー』に出演する前、3歳の時から子役として活躍していました。子どもの時から彼女の聡明さは際立っていたようで、5歳の時には自分で台本を選んで練習もせずに読むことができたということです。またセリフ覚えも早く、『タクシードライバー』と同じ年、『ダウンタウン物語 Bugsy Malone 1976』に出演した際、監督が書き直した3ページ分のシナリオを一回読んだだけで、自分のセリフをすべて暗記してしまったということです。
大学に進むまでロサンゼルスの名士の子どもたちが通うリサ・フランセで学び、おかげでフランス語が堪能になりました。クラスのトップの成績でリセを卒業し、イェール以外にもハーヴァード、プリンストン、コロンビア、カリフォルニア大学バークリー校、スタンフォードとアメリカを代表する有名大学が彼女の入学を許可し、文字通り引く手あまたの状態でした。
彼女の聡明さは時に周囲といさかいを起こすこともあったようで、『告白の行方』の撮影の時も自分とは直接関係のない配役について監督に意見し、現場では「ミス権力者」とか「B(ossy)L(ittle)T(hing) ボス風を吹かせる小娘」というニックネームをつけられたということです。これについて『ジョディ・フォスターの真実』は、「ジョディはただ、どうしようもなかったのだ。何かが間違っていると感じたら、引っ込んだまま何も言わないのは彼女の性分ではなかった。技術担当者やメーキャップ係と非常に仲が良かったため、彼女はスタッフの意見もわかっていた。そんなわけで、彼女が頻繁に行う提案に監督が耳を貸すことを、周囲の人々は実は望んでいたのである。」と書いて、彼女に理解を示しています。
私にも、かつて優秀な女性の部下がいました。私が報道の現場でデスクをやっていたころは、まだ女性記者の数が少なく、接し方がよくわからなかったからかもしれませんが、彼女たちが何か意見を言うと、私は必要以上に身構えてしまっていたような気がします。
ジョディ・フォスターのような優秀な女性記者を部下に持ったら、頼もしい反面、相当、気も使うと思います。彼女を使った監督の苦労が、よくわかるような気がします(笑)。
<テータム・オニール Tatum O`Neal 1963->
やはり子役出身で彼女と同世代の女優にテータム・オニール(Tatum O`Neal 1963-)がいます。テータムは、9歳の時に父親のライアン・オニールと出演した『ペーパー・ムーン Paper Moon 1973』でアカデミー助演女優賞を獲得し、アカデミー賞演技部門史上最年少受賞者となりました。1976年に公開された『がんばれ!ベアーズ The Bad News Bears 1976』にも出演して人気を集めましたが、その後は作品に恵まれず、プロテニスプレーヤーのジョン・マッケンローとの結婚と離婚、コカイン購入で逮捕とスキャンダラスな話題で世間をにぎわすようになりました。
テータムはジョディの一つ下で、学校も同じリセ・フランセに通っていました。しかし、ジョディが子役から大人の女優へと成長をとげたのに対して、テータムは女優として上手く成長することができませんでした。原因は色々あるかと思いますが、テータムのファンでもあっただけに、とても残念な気がします
テータム・オニール
<これから>
ジョディ・フォスターについては、セクシュアリティが話題になることがよくあります。簡単に説明しておきますと、彼女は同性愛者で、2014年に女性写真家のアレクサンドラ・ヘディソンと同性同士で結婚しています。その前にも長年連れ添った同性のパートナーがいました。男の子二人の母親でもありますが、父親の名前は公表していません。
59歳になった今も、ジョディ・フォスターは、女優として、また監督として活躍しています。このうち監督としてジョージ・クルーニー(George Clooney 1961-)とジュリア・ロバーツ(Julia Roberts 1967-)を起用して製作した『マネーモンスター Money Monster 2016』では、高い評価を得ました。
今後、彼女が映画界にどのように貢献していくのかはわかりませんが、個人的には監督業を仕事の中心に置いてほしいと思っています。
今年、アカデミー監督賞を受賞したのは、『パワー・オブ・ザ・ドッグ The Power of the Dog』のジェーン・カンピオン(Jane Campion 1954-)。アカデミー作品賞に輝いた『Coda コーダ あいのうた』の監督も、女性のシアン・ヘダー(Sian Heder 1977-)でした。また、去年、作品賞を受賞した『ノマドランド Nomadland』も女性のクロエ・ジャオ(Chloe Zhao 1982-)が監督し、彼女自身も監督賞を受賞しています。
半世紀以上のキャリアを持ち、映画製作のすべてを知り尽くしたジョディが、近い将来、自分の持つ知識と経験を駆使して映画史に残るような名作を監督することを心待ちにしています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。