改稿『タクシードライバー』 ~安倍元総理銃撃を受けて~  | 老いてますます映画!!

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還暦過ぎにNetflixを始めたことで、映画を再びよく観るようになりました。そしてつくづく思うのは、わずらわしい日常を忘れさせてくれる映画の力です。往年の名作から最新作まで、皆さんと夢の世界を共有したいと思います。

 安倍晋三元総理大臣が銃撃されて死亡しました。事件の一報を知った時、私はある映画のことが頭に浮かびました。1976年に公開されたアメリカ映画『タクシードライバー Taxi Driverです。

 大統領候補を暗殺しようとして失敗したベトナム帰還兵の狂気を描いたこの映画について、私は、去年1月にブログを投稿しました。今回の事件とこの映画を通して、人間の狂気や狂気がはびこる社会についてあらためて考えてみました。

 

 

<あらすじ> ※ネタバレ注意

 ニューヨークの街にベトナム戦争の帰還兵、トラヴィスロバート・デ・ニーロ Robert De Niro 1943-)がいた。不眠症の彼は、夜、タクシードライバーをやって稼ごうと、仕事を求めてタクシー会社を訪れた。

 ニューヨークをタクシーで流すうちに、トラヴィスは、街とそこにうごめく人間たちの汚らわしさを見る。そんな時に出会ったのが、ベッツィーシビル・シェパード Cybill Shepherd 1950-)アイリスジョディ・フォスター Jodie Foster 1962- )だった。

 トラヴィスは、大統領候補の事務所で働くベッツィーをデートに誘いだすが、よりによって行った先はポルノ映画館。激怒したベッツィーは映画館を出てきてしまう。

 一方、アイリスはニューヨークに家出してきた少女で、犯罪組織の世話になりながら売春をしていた。トラヴィスは、彼女を更生させようとするが、逆に煙たがられてしまう。

 狂気に満ちた街、ニューヨークは、しだいにトラヴィスの精神をむしばんでいった。大小さまざまな銃を購入し、ベッツィーが選挙スタッフを務める大統領候補を暗殺しようとする。しかし、シークレットサービスに見つかり、演説会場から逃走する。

 次に向かったのは、犯罪組織がアイリスに売春をさせるために用意したアパート。そこでトラヴィスは一味と銃撃戦を繰り広げ、重傷を負うもののアイリスを組織から救い出すことに成功する。

 トラヴィスは少女を救ったことで、一躍ヒーローになる。新聞に大きく取り上げられ、アイリスの家族から感謝の手紙を受け取る。しかし人々は、同じ人間が大統領候補を暗殺しようとしたことは知らない。

 怪我の癒えたある日、運転手仲間とお喋りをしているとトラヴィスのタクシーに一人の客が乗り込んだ。バックミラーで後部座席を見ると、そこにはベッツィーがいた。目的地に着いてタクシーを降りる際、彼女はもう少し話していたそうな素振りを見せるが、トラヴィスはそのまま車を走らせ、光と闇に包まれたニューヨークの街に吸い込まれていった。

 

マーティン・スコセッシ監督(Martin Scorsese 1942-)

1976年のアメリカ映画

 

 

<アメリカの狂気>

 去年1月10日に投稿したブログで私が伝えたかったのは、アメリカの狂気です。私は次のように書きました。

 

「ベトナム戦争が北ベトナムの勝利で終結してから1年経った1976年にこの映画は公開された。ジョンソン大統領の時代に本格化したベトナム戦争はアメリカ社会に暗い影を落とし、戦争が終わった後も、心や体に傷を負ったベトナム帰還兵の存在が大きな社会問題になっていた(トム・クルーズ(Tom Cruise 1962-)主演の『7月4日に生まれて Born on the Fourth of July 1989が、この問題を真正面から描いている)。トラヴィスもこうした帰還兵の一人であった。

 1960年代から70年代にかけてのアメリカは、63年のケネディー大統領暗殺。ベトナム戦争への本格介入。68年のキング牧師とロバート・ケネディー(ケネディー大統領の弟で大統領を目指していた)の暗殺。ウォーターゲート・スキャンダルとニクソン大統領の辞任。ベトナムからの撤退と、まさに負の連鎖が続き、かつての輝きを失い、よどんだ空気に覆われていた。

 そんな時代の申し子ともいえる映画が『タクシードライバー』だった。トラヴィスの狂気。ごみ溜めのようなニューヨークの街。そしてトム・スコットが演奏する気だるいサックスの音色が、時代の空気を見事に描き出した。

 それから45年経った今、アメリカは再び狂気に包まれている。社会全体がコロナ禍に苦しむ中、選挙の敗北を認めない大統領に扇動された支持者たちが連邦議会に乱入し、混乱の中で5人が命を落とす。

 『タクシードライバー』の描いた狂気とはまた違った狂気。意見の異なる者をけっして認めようとしないゆがんだ情熱がアメリカ社会を覆おうとしている。」

 

 アメリカの狂気は今も続き、今月4日の独立記念日にも、シカゴの近くで21歳の男が銃を乱射し、7人が死亡、30人以上がけがをしました。

 

<事件について>

 今回の事件で、私の頭を『タクシードライバー』がよぎったのは、有力な政治家が狙われるという事件の態様が映画と似ていたからです。犯人の特性がわかるにつれて、その思いが強くなりました。

 ロバート・デ・ニーロが演じたトラヴィスは、ベトナムからの帰還兵で、大量の銃を購入し、その付属装置は自らが作りました。犯行の動機は、自分に冷たくした女性が応援する大統領候補だからという以外にはありませんでした。

 今回の事件で逮捕された犯人も、以前、海上自衛隊に勤務したことがあり、犯行に使った銃は自分で製造したものでした。動機については、「特定の宗教団体に恨みがあり、安倍元総理がこの団体と近しい関係にあると思い狙った」「母親が団体にのめり込み、多額の寄付をするなどして家庭生活がめちゃくちゃになった」「もともとはこの宗教団体の幹部を殺害しようとしたが、できなかったので、元総理を銃で撃つことにした」などと供述し、今のところ政治的、思想的背景はなかったものと見られています。

 なぜ、宗教団体に対する恨みが銃撃にまで一気に飛躍するのか?まさに、常人には理解しがたいゆがんだ情念が、民主主義の根幹である選挙の応援演説をしていた安倍元総理の命を奪ったわけです。そこに私は、『タクシードライバー』のトラヴィスと同質の言いようのない不気味さを感じます。

 

<追悼>

 私は、放送局に勤めていた時、当時、自民党幹事長だった安倍元総理の街頭演説を取材したことがあります。ただ、所謂、政治記者ではなかったこともあり、元総理と直接、話す機会はありませんでした。

 「森友学園」、「加計学園」、それに「桜を見る会」の問題は、いずれも安倍一強政治からくるおごりだったと思いますし、安倍元総理の皇室観には違和感を覚える部分があります。ただ、北朝鮮による日本人拉致事件に取り組む安倍元総理の姿勢は評価しています。とりわけ、2002年に元総理が官房副長官として小泉総理の北朝鮮訪問に同行した時に言ったとされる言葉は強く印象に残っています。

 この時、日本側は、金正日朝鮮労働党総書記から、横田めぐみさんたち一部の拉致被害者がすでに亡くなったと聞かされました。安倍官房副長官は、「むごすぎる」と言って、日朝平壌宣言に署名せずに直ちに帰国するよう総理に進言したということです。拉致事件に取り組む安倍官房副長官の姿勢や人間性があふれ出た一瞬だったと思います。

 その政策のすべてに賛同するわけではありませんが、安倍元総理が自らの信念に従って日本のあるべき姿を考え、それを実現しようとした政治家だったことは間違いないと思います。

 『タクシードライバー』が描き、今もアメリカ社会を覆う狂気が、これ以上、日本にはびこらないようにしなければいけないと思います。そして、今は何よりも、元総理が安らかな眠りにつかれることを願わずにはいられません。

 

 安倍晋三元総理のご冥福を心よりお祈り申し上げます。