国の成り立ちからするとアメリカには人種差別はあっても階級社会はないのでは、と子どものころ無邪気に考えていました。それだけに、たぶん中学生の時だったと思いますが、初めて『陽のあたる場所 A Place in the Sun 1951を観た時は、それなりにショックを受けました。 

 恵まれない家庭に育った青年が、上流階級に入るチャンスを失わないようにするため、妊娠した恋人を殺害しようとした物語。原作者はそれを『アメリカの悲劇』と呼びました。

 

<あらすじ> ※ネタバレ注意

 ジョージモンゴメリー・クリフト Montgomery Clift 1920-1966)は、叔父が経営する水着メーカーの工場で仕事をすることになった。工場には、アリスシェリー・ウィンタース Shelly Winters 1920-2006)という若い女工もいて、二人はたまたま映画館で一緒になったことをきっかけに親しくなる。

 一方で、ジョージは工場を視察に来た叔父から昇進を約束され、自宅で開くパーティーに招かれる。パーティーの席で、ジョージは叔父と家族ぐるみで付き合っているアンジェラエリザベス・テイラー Elizabeth Taylor 1932-2011 )と知り合い、二人は恋に落ちる。

 ジョージは、アンジェラとアリスの2人と交際を続けていたが、ある日、アリスから妊娠したことを知らされる。

 家族で過ごす別荘に来てほしい、とアンジェラから誘われたジョージは、叔父に会いに行くとアリスに嘘をつく。しかし、モーターボートでアンジェラたちと遊ぶ写真が新聞に載り、アリスは自分が騙されたことに気がつく。アリスは別荘近くまで行ってジョージに電話し、「自分を迎えに来て欲しい。もし来なければ、そちらに行ってすべてを話す。」と脅す。

 ジョージは母親が倒れたとアンジェラたちを偽り、アリスのところに行く。結婚を迫るアリスにジョージは殺意を持ち、湖に誘い出して一緒にボートに乗る。ジョージに殺されると思ったアリスが立ち上がったため、ボートが転覆する。ジョージは岸にたどり着くことができたが、アリスは死んでしまった。

 アリスの遺体が発見されたことから捜査が進み、ジョージは殺人容疑で逮捕される。裁判でジョージは殺意があったことは認めたものの、ボートで話しているうちに自分には殺せないと思うようになった、と述べた。そして、ボートが転覆したのは事故だった、と主張したが、陪審の評決は有罪で、死刑が執行されることになった。

 死刑を待つジョージの元を母親やアンジェラが訪れ、最後の別れを告げる。死刑の日、ジョージは係の者に促されて刑が執行される部屋に歩いて行った。

 

1951年のアメリカ映画

ジョージ・スティーブンス監督(George Stevens 1904-1975)

アカデミー監督賞・撮影賞(白黒)・脚色賞・作曲賞・衣装デザイン賞(白黒)・編集賞を受賞

 

 

<モンゴメリー・クリフト Montgomery Clift 1920-1966

 私は10代の時に『陽のあたる場所』を観たので、モンゴメリー・クリフトの存在は昔から知っていました。ジェームズ・ディーン(James Dean 1931-1955)を思わせるような繊細な演技は強く印象に残りましたが、たぶんほかに出演映画を観ていないからでしょう、私にとって彼は、気にはなるけどあまりよく知らない俳優の一人でした。

 モンゴメリー・クリフトは、ジェームズ・ディーンやマーロン・ブランド(Marlon Brando 1924-2004)などの名優を輩出したニューヨークのアクターズ・スタジオの出身です。元々舞台で活躍していましたが、ハリウッドからの強いオファーを受けて、映画にも出演するようになりました。しかし、頼まれれば何でも出るというわけではなく、気に入った役しか演じなかったと言うことです。

 『陽のあたる場所』に続いて、『地上より永遠に From Here to Eternity 1953などの話題作に出演してスターの仲間入りをしました。しかし、酒だけでなくドラッグも常用し、1956年には交通事故で顔にけがをして麻痺も残りました。その後も映画出演を続けましたが、しだいにかつての輝きを失い、1966年に心臓発作で亡くなりました。

 

<エリザベス・テイラー Elizabeth Taylor 1932-2011

 アメリカ映画史に燦然と輝く大女優の一人、と言っていいと思います。

 その美貌のゆえでしょうか、生涯に7人の男性と結婚し、イギリスの名優、リチャード・バートン(Richard Burton 1925-1984)とは、一度別れた後、翌年、また結婚しています。

 一方で、演技力も高く評価されていて、『バターフィールド8 BUtterfield 8 1960『バージニア・ウルフなんかこわくない Who`s Afraid of Virginia Woolf ? 1966アカデミー主演女優賞を受賞しています。 

 彼女は、『陽のあたる場所』で共演したモンゴメリー・クリフトと親しかったということで、彼が交通事故に遭ったのも彼女の屋敷で開かれたパーティーの帰りでした。それもあったからでしょうか、彼女は、不遇時代の彼を励まし続けたと言います。

 二人について書いた、『モンゴメリー・クリフト 挽歌への旅路という本があります(井上義照著 人間の科学館)。読んでみたいと思っています。

 

<ジョージ・スチーブンス監督 George Stevens 1904-1975

 ジョン・フォード(John Ford 1894-1973)ウィリアム・ワイラー(William Wyler 1902-1981)などと並ぶ、戦後のアメリカ映画の巨匠の一人です。

 『陽のあたる場所 』以外にも、『シェーン Shane 1953『ジャイアンツ Giant 1956の監督として知られています。このうち『ジャイアンツ』で、『陽のあたる場所』に続き二度目のアカデミー監督賞を受賞しています。

 

<アメリカの悲劇>

 この映画の原作は、ドライサー『アメリカの悲劇』です。ドライサーは、宗教心の厚い母親の元で育った純粋な青年が金と欲に目がくらみ、自分の子どもを身ごもった女工を殺害しようとした物語を書き、タイトルを『アメリカの悲劇』としました。

 映画が公開されたのは1951年。第二次世界大戦で戦勝国になったアメリカは、イギリスをはじめヨーロッパの各国が戦争の痛手から回復できない中、超大国として繁栄を謳歌し、若者たちは経済的な豊かさを追い求めました。

 アメリカという国は、後にピルグリム・ファーザーズと呼ばれるようになる人たちが宗教弾圧を逃れてイギリスから渡ってきたことをきっかけに誕生しました。それだけに、私は子供のころ、アメリカには人種差別はあっても階級社会はないものと無邪気に思っていました。しかし、アメリカのエスタブリッシュメントを語る際にしばしばWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)という言葉が使われるように、階級社会は厳然として存在しています。

 映画の主人公のジョージは、水着メーカーの社長がたまたま叔父だったことと、裕福な家庭の娘に愛されたことで、上流階級の仲間入りをするチャンスをつかみました。そしてそのためには、自分の子どもを妊娠した恋人の存在が邪魔で、ボートに乗せて殺害しようとしたのです。彼もまた、アメリカの階級社会や成功至上主義が生んだ犠牲者だったのかもしれません。

 

<アメリカは変わったのか>

 この映画は、監督のジョージ・スティーブンスがアカデミー監督賞を受賞するなど、高い評価を受けました。それは、純粋だった青年を、恋人を殺害しようとする男にまで変えてしまうゆがんだ風潮が、当時、確かにアメリカにあり、それに対する反省の気持ちを社会全体が共有していたからと思います。

 しかし、その後のアメリカ社会を見ると、経済格差は依然として続き、以前、ブログでも取り上げましたが、「ヒルビリー」「ノマド」と呼ばれる人たちの存在が大きな社会問題になっています。そしてそれは、非正規雇用の労働者の問題にも見られるように、日本にとってもけっして他人ごとではありません。

 

 映画の後半に、死刑判決を受けたジョージをアンジェラが刑務所に訪ねるシーンがあります。上流階級にいるアンジェラの親にとっては、ジョージに会うため娘が刑務所に行くこと自体、あり得ないことだったに違いありません。

 アンジェラはジョージに別れの挨拶をします。

 「愛しているわ、ジョージ。それを伝えたくて。

 あなたを愛し続けます、命のある限り。

 さようならジョージ。私たち、さよならを言うために出会ったのかしら。」

 

 「アメリカの悲劇」を描いた『陽のあたる場所』は、人間の弱さや愚かさを観る者に突きつける重いテーマの映画です。それだけに、私は彼女のこの言葉にとても救われ、もしかしたら監督は、彼女のような清らかな心を持った人間に未来への希望を託したかったのかもしれないな、と思いました。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

参考

 『陽のあたる場所』は、9月9日(木)午後1時からNHKBSプレミアムのBSシネマで放送される予定です。