女優、夏目雅子。彼女が亡くなってからまもなく36年が経とうとしています。1970年代後半から80年代前半の日本映画界を鮮やかに彩り、とても華やかなイメージがある一方、はかなさも感じさせます。白血病のため27歳の若さで亡くなったことと、夫の伊集院 静が書いた小説『乳房』、それに映画『時代屋の女房』がそうさせるのだと思います。
<夏目雅子 1957-1985>
1985年の9月11日、私は東京、渋谷の国立オリンピック記念青少年総合センターで中国残留孤児の取材にあたっていました。会場にあったテレビが、夏目雅子が亡くなったというニュースを流しました、同じ1957年12月の生まれということもあって、私は彼女に同級生のような親しみを持っていました。それだけに、そのニュースを見て、心にぽっかりと大きな穴があいた気持になりました。
夏目雅子は、19歳の時にカネボウ化粧品のキャンペーンガールとなり、「クッキーフェイス」のCMで注目を集めました。小麦色に日焼けした彼女が弾けるような笑顔を見せていた時、私は浪人生活の真っ最中。彼女の存在がとてもまぶしく感じられました。
その後の活躍はご存じの方も多いでしょう。『鬼龍院花子の生涯 1982』、『瀬戸内少年野球団 1984』などの映画。『西遊記 1978-1980』や『ザ・商社 1980』などのテレビドラマに出演し、瞬く間に日本を代表する女優の一人に駆け上がりました。
そんな彼女が、1983年に出演した映画が『時代屋の女房』です
<『時代屋の女房』 ※ネタバレ注意>
この映画で彼女は、東京、大井町にある古道具屋の時代屋に、野良猫のアブサンと一緒に転がり込む真弓を演じています。
真弓は持ち前の明るさで、たちまち時代屋の看板になりますが、時々、「ちょっと出てきます。アブサンの餌、忘れないでね。」と留守番電話にメッセージを残していなくなってしまいます。時代屋の主人、安(やっ)さん(渡瀬恒彦 1944-2017)は、そのたびに不安になりますが、「何も言わず何も聞かずが好きだから、俺たち」とやせ我慢をして、真弓が帰って来ても「どこに行っていた」と聞こうとしません。
安さんには、喫茶店のマスター(津川雅彦 1940-2018)やクリーニング屋の今井さん(大坂志郎 1920-1989)、それに飲み屋の「とん吉」の夫婦(藤木 悠 1931-2005 藤田弓子 1945-)といった友だちがいます。マスターは借金に、今井さんは青春時代の思い出に振り回されながら、日々をどうにか生きています。
夏目雅子は一人二役で美郷(みさと)という女も演じます。美郷は結婚のため故郷、岩手に帰る前の夜、たまたま「とん吉」で一緒になった安さんたちとどんちゃん騒ぎをします。東京を離れる寂しさを癒してもらうため、その晩、美郷は安さんと一夜をともにし、翌日、駅のホームで見送ってもらいます。
4回目の真弓の家出。さすがに今度は帰って来ないだろうとあきらめかけていた安さんですが、喫茶店のマスターから、彼女から電話がかかってきて、「のぞきからくり売ってくれる」という伝言を頼まれたと伝えられます。手がかりを求めて、安さんは半年前に彼女と行った岩手県の旅館を車で目指します。しかし、前の晩に真弓が泊まって南部鉄瓶を買ったことまではわかりましたが、彼女を見つけることはできませんでした。
失意のまま東京に帰る安さんですが、途中、一度、時代屋に真弓を訪ねてきた若い男(沖田浩之 1963-1999)と偶然、出くわします。安さんはその男から、母親を亡くしてつらかった時、真弓と知り合って優しくしてもらい、以来、時々会っていたと知らされ、彼女が家を空ける理由がわかりました。
それからしばらくして、安さんが時代屋の2階にいると、初めての時と同じように日傘をくるくる回しながら真弓が横断歩道を渡って来ました。彼女の腕には南部鉄瓶がぶら下がっていました。
森崎 東監督
この映画で、夏目雅子が演じた真弓と美郷は、あふれんばかりの笑顔をふりまく一方、どうしようもなく悲しい表情を見せます。
安さんに抱かれながら、なぜか真弓は涙を流し、「涙ってバカみたい。耳の穴から入って元の心に戻る気かしら。」とつぶやきます。
故郷に帰る美郷は、「あした見送って欲しい。泣いて手を振ってホームの端まで走って欲しい。そうされて帰りたい。」と安さんに必死に頼みます。
真弓も美郷も、心に悲しみを抱えながら生きているのです。
<伊集院 静との結婚>
『時代屋の女房』が公開された翌年の1984年に、夏目雅子は作家の伊集院 静(1950-)と結婚します。伊集院 静は山口県防府市の出身で、私も記者になった1982年から3年間、山口で働いていました。
伊集院 静と結婚する前だったので、1982年か83年だったと思います。何かのキャンペーンで、夏目雅子が当時の山口県徳山市のデパートにやって来ました。先輩がそれを取材して放送したのですが、徳山市は人口が10万人程度で、キャンペーンとはいえ、なんで彼女がわざわざ来たのか不思議に思った記憶があります。その後、伊集院 静と結婚したことを知り、「そうか、彼の実家にでも挨拶に行ったんだな。」と、勝手に思ったものでした。
伊集院 静と結婚した彼女は鎌倉に住み、幸せな毎日を送ります。しかし、やがて病魔に襲われ、治療のため東京の慶応病院に入院します。白血病でした。
伊集院 静は一切の仕事を断って、妻の闘病生活を支えます。彼女の死後、その経験をもとに書いた短編小説が『乳房』(1990)です。
主人公の憲一も、病気と闘う妻の里子を支えるため、仕事をやめて妻の入院先で寝起きします。互いを思いやる気持ちが行間からあふれ、特に最後の部分を読むと、病床の夏目雅子を想ってしまい、いじらしい仕草に涙を誘われます。
病室に戻って、妻の身体をふいた。
私を待ち続けたちいさな背中が月明かりに小鹿の背のような影をつくっていた。背後からパジャマを着させると、妻は私の手を両手でつかんで、その手を自分の乳房にあてた。細い指が私の手を乳房におしつけるようにした。掌の中に、妻のたしかな重みがあった。里子は静かに私の手に頬ずりをしながら、顔を少し斜めにして窓の外を見上げて言った。
「なんかロマンチックだね」
私は妻の髪に頬を寄せた。赤いギンガムチェックのリボンから、木綿の匂いがした。
<華やかで、はかない人生>
夏目雅子が亡くなって11年後の1996年に、あるCMで彼女の笑顔を久しぶりに見ることができました。
そのCMで使われた曲が松田聖子(1962-)の「あなたに逢いたくて」でした。
「あなたに逢いたくて 逢いたくて 眠れぬ夜は... あなたのぬくもりを そのぬくもりを思い出し... そっと瞳 閉じてみる」
作詞 Seiko Matsuda
さびの部分のこの歌詞が、本当に夏目雅子のことを歌っているように思えて、CMを見ながら、聞きながら、そして口ずさみながら、こみあげてくるものがありました。
『時代屋の女房』の真弓は、時々いなくなってしまいますが、最後は必ず安さんの元に戻ってきます。でも、夏目雅子は、もう帰って来てくれません。
36年前の9月11日。彼女は、若く美しいまま死んでいきました。とても華やかで、はかない人生でした。生きていれば、私と同じ63歳。どんな女優に、そして、どんな女性になっていたのでしょうか。63歳の彼女にスクリーンで逢いたかった。心からそう思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。