海の向こうのメジャーリーグで大谷選手が活躍しているのを見ているうちに、『フィールド・オブ・ドリームス Field of Dreams』をまた観たくなってきました。「それを造れば彼が来る。」という声に従って、トウモロコシ畑に野球のグラウンドを造っちゃう映画です。野球を通した父と息子の絆を描くファンタジーですが、なかなか難解な物語でもあります。

 

<あらすじ> ※ネタバレ注意

 レイ・キンセラケビン・コスナー Kevin Costner 1955-) は36歳。妻のアニーエイミー・マディガン Amy Madigan 1950-)の故郷、アイオワ州でトウモロコシを栽培し、妻と娘のカリンの3人で暮らしている。ある日、畑にいると、どこからともなく声が聞こえてくる。その声は「それを造れば彼が来る。」と告げていた。

 声はその後も繰り返し聞こえる。やがてトウモロコシ畑の中に、カクテル光線に照らされた野球のグラウンドと往年の名選手、シューレス・ジョー・ジャクソンレイ・リオッタ Ray Liotta 1954-)の幻影が見えるまでになった。

 父親の影響で野球ファンだったレイは、その声が自分に送られたメッセージと受け止める。そして妻に「親父にも夢はあっただろう。だが何もしなかった。何ひとつ冒険をしなかった。僕はそうなるのが怖い。」と伝え、「野球場を造りたい。」と話した。妻は、「あなたが本当にそうしたいと思うならするべきよ。」と賛成してくれた。

 レイはトウモロコシ畑の一部をつぶし、まわりから変人扱いされながら美しいグラウンドを造った。しばらくは何も起きなかったが、ある日、シューレス・ジョーがやって来る。彼は、1920年に八百長事件で球界を追放されたホワイト・ソックスの8人の選手の一人で、やがて一緒に追放されたチームメイトもやって来て、練習をするようになる。彼らの姿はレイたち家族3人には見えるが、ほかの人たちには見えなかった。

 この後も、レイには「彼の苦痛を癒せ。」とか「やり遂げるのだ。」という声が聞こえた。彼はその声に従ってボストンやミネソタ州のチザムに行き、隠遁生活を送っている作家のテレンス・マンジェームズ・アール・ジョーンズ James Earl Jones 1931-)や1イニングだけ守備についてメジャーリーグを去ったアーチ―・ムーンライト・グラハムバート・ランカスター Burt Lancaster 1913-94)に会った。

 レイは彼らを連れてアイオワに戻ってきたが、彼の留守中に、野球場が借金のかたに取り上げられようとしていた。しかし、レイは野球場を売ることを拒否する。そんなレイにテレンス・マンと娘は、やがて大勢の人が入場料を払って野球を見に来る、と予言した。

 グラウンドでは、シューレス・ジョーが、ほかのチームの選手たちも呼んで試合をやり、ゲーム終了後、一人また一人とトウモロコシ畑の中に消えていく。シューレス・ジョーに招待されたテレンス・マンも畑に消える。最後にシューレス・ジョーとキャッチャーが残る。キャッチャーは、若き日のレイの父親、ジョンだった。父親は、マイナーリーグで1~2年プレーしたことがあり、「夢が叶った気分だ」とレイに感謝する。

 夕暮れの中、二人はキャッチボールを続け、球場の外ではグラウンドに向かう車の長い列ができていた。

 

フィル・アルデン・ロビンソン監督(Phil Alden Robinson)

1989年公開のアメリカ映画

 

 

<ケビン・コスナー Kevin Costner 1955-

 ベトナム戦争を背景に、大学を卒業したばかりの若者たちのバカ騒ぎを描いた『ファンダンゴ Fandango 1985』で初めて主役を演じて以来、『アンタッチャブル The Untouchables 1987』、『ダンス・ウィズ・ウルブズ Dances with Wolves 1990』、『ボディガード The Bodyguard 1992』などのヒット作に立て続けに出演しました。とりわけ、南北戦争の時代、まだ開拓途中だったアメリカのフロンティアを舞台に北軍の兵士とインディアンとの心の交流を描いた『ダンス・ウィズ・ウルブズ』で監督と主演を務め、アカデミー作品賞、監督賞、脚色賞、撮影賞、作曲賞、録音賞、編集賞を受賞しました。

 最近も『ザ・テキサス・レンジャーズ The Highwaymen 2019』など、コンスタントに映画に出演していますが、かつての勢いはなくなってしまったような気がしています。余計なお世話かも知れませんが、同じように俳優と監督の二足の草鞋を履く大先輩のクリント・イーストウッド(Clint Eastwood)を目標に、これからもいい作品を世に送り出してほしいものです。

 

<バート・ランカスター Burt Lancaster 1913-94

 戦後のハリウッドを代表する名優の一人です。個人的には、『OK牧場の決斗 Gunfight at the O.K.Corral 1957』のワイアット・アープ役の印象が強いのですが、あらためてキャリアを調べてみると、現代劇、史劇、戦争物と実に幅広い映画に出演しています。

 『エルマー・ガントリー/魅せられた男 Elmer Gantry 1960』でアカデミー主演男優賞を受賞しています。

 

<シューレス・ジョー・ジャクソン Shoeless Joe Jackson 1887-1951

 元メジャーリーガー。マイナーリーグ時代に足にあうスパイクシューズがなかったため裸足でプレーしたことからシューレス・ジョーと呼ばれるようになりました。

 右投げ左打ちの外野手で、ホワイトソックス時代の1919年、シンシナティ・レッズと戦ったワールドシリーズでチームメイト7人とともに八百長事件に関与したとされ、翌20年に球界を永久追放されました。シンシナティ・レッズが5勝3敗でホワイトソックスを破ってワールドチャンピオンになったこのシリーズで、彼はバックホームに大暴投していますが、一方で打率375、ホームランも打っています。本当に八百長に関わったかどうか、今も議論が尽きないということです。

 通算打率.356。いずれにせよ名選手であったことは間違いないようです。

 

                                         シューレス・ジョー・ジャクソン                                  

                                                   (Wikipediaから) 

 

 <父と息子のファンタジー>

 ファンタジーだからあたり前なのかもしれませんが、なかなか難解な物語です。「声」、「八百長で追放された今は亡き選手たち」、「亡くなった父親とのキャッチボール」など、不思議なことだらけです。たぶん、一つ一つの意味を考えるのはあまり重要でなく、トータルとして、この映画が何を伝えようとしているのかを考えることが大切なのだと思います。

 何を伝えようとしているのか。それは「夢」とか「野球への愛」、それに「父と息子の絆」ではないでしょうか。

 まず「夢」については、レイの父親はメジャーリーガーになりたいという夢がありましたが、あきらめてしまいます。そしてレイは、夢を夢のままで終わらせたくないと言って野球場を造りました。

 次に「野球への愛」ですが、レイと父親が野球に深い愛情を持っていることは言うまでもありませんが、テレンス・マンの野球への愛も相当なものです。

 私はまだ読んでいませんが、実はこの映画にはW.P.キンセラが書いた『 Sholess Joe』という原作があって(邦題『シューレス・ジョー』文春文庫)、テレンス・マンのかわりに実在する作家のJ.D.サリンジャー(J.D.Salinger 1919-2010)が登場します。

 サリンジャーは、『ライ麦畑でつかまえて The Catcher in the Rye 1951』で学校や既成の秩序に反抗する高校生を描き、一部の若者の熱狂的な支持を受けました。そのサリンジャーは野球好きだったらしく、最後の著作『ハプワース16、1924 Hapworth16,1924 1965』の中で、主人公に「野球は西半球で最も悲痛で最も甘美なスポーツである」と語らせています。映画の中でもテレンスマンは、「野球のグラウンドとゲームはーこの国の歴史の一部だ。」と話しています。

 メジャーリーグの試合では、7回の表が終わると『私を野球に連れてって Take Me Out to The Ball Game』という曲が球場に流れます。残念ながら私は、アメリカの球場でメジャーリーグの試合を観戦したことはないのですが、この曲を楽しそうに合唱している観客の姿をテレビで見ていると、「アメリカ人って本当に野球が好きなんだな」という気持ちになってきます。野球はアメリカ人にとって、ソウルフードならぬソウルスポーツなのかもしれません。

 

                                 ドジャース・スタジアム(2015.6.10)

 

 そして最後が「父と息子の絆」です。私がこの映画で最も好きなシーンは、映画のラスト、レイの父親が登場してからです。シューレス・ジョーが「それを造れば彼が来る。」とつぶやきながらキャッチャーに視線を向けたことで、「彼」がレイの父親だったことが明らかになります。そして、ジョーは、レイに聞こえた声はレイ自身の内なる声だったことも説明してくれます。

 ジョーがトウモロコシ畑に消えた後、父親とレイがキャッチボールをします。私にはこのシーンが、単に二人がボールを投げ合っているだけでなく、ボールを投げるという行為を通して信頼とか愛情とか激励とかいたわりの気持ちを相手に伝え合っているように思えました。

 この映画は、「声」や「亡くなった父親とのキャッチボール」などのシーンを暗喩として使い、映画のテーマである「夢」、「野球への愛」、そして「父と息子の絆」を我々に伝えたかったのだと思います。

 

<最後に>

 私の父親は11年前に亡くなりましたが、私も小学生の時、父とよくキャッチボールをしたものです。断片的にではありますが、その時の情景や交わした会話の一部を今でも覚えています。

 場所は近くの小学校のグラウンドで、よく晴れた休日の午後でした。「シュートを投げてみる。」と言って私がボールを投げると、受け取った父が「おっ、ちゃんとシュート回転している。」と嬉しそうに言ったのを覚えています。

 私にとって、いや私を含む多くの息子にとって、父親とのキャッチボールは、ボールを通して心と心を通わす、神聖とも言える特別な時間だったのかもしれません。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。