「ため息が出るほど美しい」という言葉があります。使い古された言葉かもしれませんが、先日、高校以来久しぶりに『おもいでの夏 Summer of `42』を観て、ジェニファー・オニール(Jennifer O`Neill 1948-)の美しさに文字通りため息が出ました。

 海辺の街を舞台に、ミシェル・ルグランの甘く切ない曲にのせて描かれる年上の女性との出会いと別れ。少年にとって、それは人間の悲しみと弱さを知った夏でもありました。

 

<あらすじ> ※ネタバレ注意

 1942年の夏、ハーミーゲイリー・グライムス Gary Grimes 1955-)は家族と一緒にニュー・イングランド地方にある島に避暑に来ていた。彼は15歳。同じように家族と島に来ていたオーキーベンジーとふざけあう毎日だった。

 3人が海岸で遊んでいると、海岸にある家で若く美しい女性ジェニファー・オニール Jennifer O`Neill 1948-)が夫と思われる男性と楽しそうに過ごしていた。別の日、3人が船着き場にいると、その女性が出征する男性と一緒にやって来る。涙を流しながら見送る姿に、ハーミーは心を奪われる。

 ある朝、ハーミーが街を歩いていると、抱えきれない荷物を持った女性に偶然会う。ハーミーは荷物を女性の家まで運ぶのを手伝い、彼女と親しくなる。

 ハミーたち3人の関心は、もっぱら女の子とセックスだった。映画館で女の子をナンパしたり、ベンジーが家から持ってきた医学書を読んで興奮したりと、頭の中はそのことでいっぱいだった。

 その一方で、ハーミーは年上の女性に対する思いを募らせていき、映画館でばったり会った彼女に頼まれ、海辺の家で荷物を天井裏に上げるのを手伝う。ハーミーが、あなたが好きですと女性に伝えると、彼女は、私も好きよと言って、彼の額にキスをする。

 別の日、ハーミーが女性を訪ねて行くと、彼女は家の前で手紙を書いていた。ハーミーは、夜、訪ねていいか、と聞き、彼女はOKする。女性は、ドロシーという名前を初めて教えてくれた。

 その夜、ハーミーがドロシーの家に行くと、明かりはついていたが彼女の姿はなかった。テーブルの上には、彼女の夫がフランスで戦死したことを伝える手紙があった。そこにドロシーが現れる。彼女は泣きはらした様子で、ハーミーがお悔やみの言葉を伝えるとレコードをかけて彼をダンスに誘う。踊りながら、ハーミーの頬にも涙が伝わった。

 やがてドロシーは寝室にハーミーを誘い、潮騒が聞こえる中で二人は結ばれる。抱擁の後、ドロシーはガウンを着て外に出る。ハーミーも服を着て、彼女に別れを告げて帰っていく。

 翌日、ハーミーがドロシーを訪ねると、彼への手紙を残して彼女は去っていた。手紙には、「私は実家に帰ります。どうか私の気持ちを分かってください。」と書かれていた。

 

1971年のアメリカ映画

ロバート・マリガン監督

 

 

<ジェニファー・オニール Jennifer O`Neill 1948-

 Wikipediaによりますと、彼女はブラジルのリオデジャネイロ出身で、父親はスペイン系アイルランド人、母親はイギリス人だそうです。彼女の美しさは、こうしたコスモポリタンなところからも来ているのかもしれません。

 『おもいでの夏』以外の主な作品としては、『リインカーネイション The Reincarnation of  Peter Proud 1975』や『イノセント L`innocente 1976』があります。このうち『リインカーネイション』は超常現象をテーマにした映画で、ただ彼女が出演しているという理由だけで映画館まで足を運びました。

 やはりジェニファー・オニールと言えば、『おもいでの夏』だと思います。

 

<年上の女性への憧れ>

 映画のジャンルの一つとして、「年上の女性への少年の憧れ」があると思います。残念ながら最近の映画のことは分からないのですが、1960年代の映画ではナタリー・ドロン(Nathalie Delon 1941-2021)主演のフランス映画『個人教授 1968』。70年代は、今回、取り上げた『おもいでの夏』。80年代はジョディー・フォスター(Jodie Foster 1962-) 主演の『君がいた夏 Stealing Home 1988』が代表作と勝手に思っています。そういえば、その後、2000年に公開されたイタリア映画『マレーナ』のモニカ・ベルッチ(Monica Bellucci 1964-)も魅力的な年上の女性を演じていました。

 このうちナタリー・ドロンとジェニファー・オニールは、映画を観た時、私にとってまさに年上の人で、作品の主人公のように強烈な憧れを持ちました。ちなみにナタリー・ドロンは、アロン・ドロン(Alain Delon 1935-) と結婚していたことがあり、二人の間には息子がいます。先日、がんで亡くなりました。79歳でした。

 

                                              ナタリー・ドロン

 

                                              モニカ・ベルッチ

 

 ナタリー・ドロンもモニカ・ベルッチも、ジェニファー・オニールに負けず劣らず美しいですね。モニカ・ベルッチはイタリアの宝石とも呼ばれているそうです。

 しかし、こうして見ると、年上の女性をキャスティングする条件は「美しい人」と思えてきます。少年が憧れる対象ですから、必然的にそうなるのかもしれません。ジョディー・フォスターについては若干微妙かも知れませんが(笑)、私は彼女の個性的な美しさが好きです。

 

 考えてみれば、年上の女性に憧れるのは何も少年だけでなく、20代、30代、40代の男が年上の女性に憧れてもいいわけです。ただ映画化して観客の共感を一番得られるのは、やはり10代の少年の場合だと思います。それは、少年の純粋さや性への渇望が作品のテーマになりやすく、そして何よりも、少年時代に同じような経験をした人が多いからではないでしょうか。

 

<人間の悲しみと弱さ>

 夫の戦死を知ったドロシーはレコードに針をのせ、ミシェル・ルグランの曲にあわせてハーミーと踊ります。そして、音楽が終わった後、ハーミーと寝室に行き、潮騒が聞こえる中、彼に身をゆだねます。このシーン、もう何十年も前ですが、映画評論家として有名な淀川長治さんが、テレビか雑誌で、すべての映画の中で最も美しいラブシーンと解説したのを覚えています。 

 その翌日、ドロシーは、ハーミーに充てた手紙の中で「私は実家へ帰ります。どうか私の気持ちを分かって下さい。ゆうべのことは何も言いません。月日がたてばー 分かってもらえるでしょう。私たちの思い出がー あなたの重荷にならないことを祈ります。どうか幸せになってねハーミー。それだけよ。」と書き残します。

 一方、ハーミーは大人になった後、「それきりだった。その後のことも知らない。あの頃 私は子供だった。理解できないことばかりだった。」と回想し、最後に「そして私自身は、幼い私を永遠に失った。」と語ります。

 この映画のテーマは、ドロシーの手紙とハーミーの回想に凝縮されていると思います。

 夫の戦死を知らせる手紙が届いたその日に、ハーミーの愛を受け入れるドロシー。自分に対するハーミーの気持ちを知っていながら、そうしてしまうことを無責任と言うのは簡単です。でも、ドロシーの悲しみがそれだけ深く、誰かに癒してもらわずにはいられなかったのだと考えると、その切なさが観る者の胸に迫ってきます。それを人間の弱さと言えば、そうなのかもしれません。

 そしてハーミー。なぜ夫を失ったその日にドロシーが彼の愛を受け入れたのか。そして、その翌日に去ってしまったのか。少年らしい純粋さで一途にドロシーを愛した当時のハーミ―には、そのことは分からなかったでしょう。ドロシーの手紙にもあったように、理解するには、さらに人生経験を積む必要があったはずです。

 海辺の街を舞台に年上の女性との出会いと別れを描いた『おもいでの夏』。 人間の悲しみと弱さ、そして少年の純粋さを描いたこの映画は、ジェニファー・オニールの美しさととともに、いつまでも私の心に残り続けます。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。