プロフィールにも書きましたように、私は父親の影響もあって幼い時から映画に親しんできました。特に西部劇については父親が好きだったこともあり、けっこうな本数を観ています。その一つが『荒野の決闘 My Darling Clementine 1946』です。

 初めて観たのは中学生の時だったと思います。先日、何十年ぶりかで観たのですが、ヒロインのクレメンタインの美しさと詩情あふれるシーンの数々に心が洗われる思いがしました。

 

<あらすじ> ※ネタバレ注意

 ワイアット・アープヘンリー・フォンダ Henry Fonda 1905-1982)は、モーガンバージルジェームズの三人の弟たちと一緒に牛たちを連れてカリフォルニアに向かっていた。ある晩、ワイアットが、モーガン、バージルと一緒に西部の街、トゥームストーンに髭を剃りに行って帰って来ると、牛がすべて盗まれ、留守番をしていた末の弟のジェームズが何者かに殺されていた。ワイアットは犯人を捜すため、弟二人と一緒にトゥームストーンの保安官になる。

 トゥームストーンは、親子で牛を飼うクラントン一家ドク・ホリデイヴィクター・マチュア Victor Mature 1913-1999)が仕切っていた。ドクは、シェイクスピアの戯曲も諳んじるインテリの外科医だが、今ではガンマンとして恐れられていた。胸を患い、酒場の歌手、チワワリンダ・ダーネル Linda Darnell 1923-1965)を情婦としていた。

 ホテルに馬車が到着し、清楚な女性が降りた。たまたまホテルの前にいたワイアットが、彼女を部屋まで案内した。女性の名前はクレメンタインキャシー・ダウンズ Cathy Downs 1924-1976)。東部でドク・ホリデイと暮らしていたが、突然、ドクが姿を消したため、彼を追ってトゥームストーンまでやって来たのだ。病気を隠すために家を出たのかと聞くクレメンタインに、ドクは「俺はもう君の知っている昔の俺じゃない」と言って、東部に帰るよう説得する。

 ドクの心を自分に向けることが難しいと思ったクレメンタインは、東部に帰ることにする。そんな彼女をワイアットは、教会の建設を祝う会場に誘い、一緒にダンスを踊る。ワイアットは、「ドクをあきらめるのが早すぎるのでないか」とクレメンタインを励ますが、彼女に淡い恋心を持つ自分にも気がついていた。クレメンタインは、トゥームストーンにしばらく滞在することにする。

 殺されたジェームズのペンダントをチワワが持っていたことを知ったワイアットは、ドクと一緒に、誰にもらったのか彼女を問いただす。チワワは、クラントン一家のビリーにもらったと話すが、たまたま彼女の部屋に来ていたビリーに撃たれ、ドクの手術の甲斐なく死んでしまう。

 家に逃げ帰るビリーをワイアットの弟のバージルが追って射殺するが、そのバージルもクラントン一家の父親に撃たれて死ぬ。

 クラントン一家の4人、アープ兄弟にドクと街の人二人が加勢した5人がOK牧場で決闘する。ワイアットは、はじめクラントン一家を逮捕しようとしたが、拒否されたため銃撃戦となる。ドクは病気のためせき込んだところを撃たれて死んでしまうが、最後にはワイアットたちがクラントン一家4人を撃退する。

 ワイアットと弟のモーガンは、バージルとジェームズが死んだことを父親に伝えるため街を離れることにする。街に残って教師になることにしたクレメンタインが2人を見送る。

 

1946年のアメリカ映画

ジョン・フォード監督(John Ford 1894-1973)

 

 

<ヘンリー・フォンダ Henry Fonda 1905-1982

 戦前からの名優であることは間違いないのですが、私には俳優としてよりもジェーン・フォンダ(Jane Fonda 1937-)ピーター・フォンダ(Peter Fonda 1940-2019)の父親としてのイメージが強いですね。フォンダ父娘にまつわるちょっといい話を一つ。ネタ元は川本三郎さんの『アカデミー賞 オスカーをめぐる26のエピソード』(中公新書)です。

 ヘンリー・フォンダはあれだけの名優なのに、なぜかアカデミー賞に縁がありませんでした。1980年、75歳の時に名誉賞を受賞しましたが、男優賞を獲得したことはありませんでした。そこで、娘のジェーンがなんとか父親に賞を取らせたいと思い、自分の映画製作会社で父親のための映画を企画することにしました。老夫婦の愛情と父と娘との和解を描いた『黄昏 Old Golden Pond 1981』です。老夫婦をヘンリー・フォンダとキャサリン・ヘプバーン(Katharine Hepburn 1907-2003)。娘をジェーン・フォンダが演じました。

 ヘンリー・フォンダの2番目の妻で、ジェーンの母親のフランシスは、夫から離婚を迫られて自殺しています。それを知ったジェーンは、父親を激しく批判したこともありました。そんな彼女にとって、映画の中の父と娘の関係は他人ごとと思えなかったようです。父と娘が和解するシーンでは、ジェーンは自分と役との区別がつかなくなりエモーショナルになって本当に涙を流しました。そのシーンの撮影が終わってヘンリーはジェーンを抱きしめ、スタッフが二人に優しく拍手をしたそうです。

 ジェーンのおかげもあって、ヘンリー・フォンダはこの映画で念願のアカデミー男優賞を受賞しました。そして、それから5か月後に77歳で亡くなりました。

 

<ジョン・フォード監督 John Ford 1894-1973

 アメリカ映画史に残る巨匠です。生涯に136本の作品を監督し、アカデミー監督賞を史上最多の4回受賞しています(『男の敵 The Informer 1935』、『怒りの葡萄 The Grapes of Wrath 1949』、『わが谷は緑なりき How Green Was My Valley 1941』、『静かなる男 The Quiet Man 1952』)。特に西部劇を多く監督し、私も『荒野の対決』以外に『駅馬車 Stagecoach 1939』を観ています。

 西部劇の監督というと、なんとなくマッチョなタカ派というイメージがありますが、実はそうではありません。ハリウッドに赤狩り旋風が吹き荒れていた1950年に開かれた映画監督組合の臨時総会で、リベラル派の理事長の追い落としを図った赤狩りの急先鋒、セシル・B・デミル(Cecil B. DeMillee 1881-1959)に対して、こう発言をしています。

 「私の名はジョン・フォード。西部劇を撮っています。私はセシル・B・デミル氏以上に、アメリカの大衆が求めているものを知っている者はいないと思う。その点では敬意を払う。だがC・B、私はあなたが嫌いだ。あなたが支持するもの、今夜の振る舞いも大嫌いだ・・・」

 その上でセシル・B・デミルを含め、理事長の解任を図った理事全員の辞任を求め、最後にこう言いました。

 「もう家へ帰って寝ようじゃないか。明日も撮影がある」

 しびれますね。 『荒野の決闘』の詩情あふれる場面の数々を観ていると、こういうシーンを撮ることのできる心根の人だからこそ、政治的な理由で一方的に人を追い落とそうとするやり方が許せなかったんだろうなと思えてきます。

 

 

 ちなみにフォード監督が西部劇を撮影するときに使ったモニュメント・バレーという場所がアメリカ西部にあります。ユタ州南部からアリゾナ州北部にかけて広がる一帯です。『荒野の決闘』の舞台となったトゥームストーンは、同じアリゾナ州でも別の場所にあり、実際の撮影は、やはりモニュメント・バレーで行われました。

 モニュメント・バレーには、フォード監督のお気に入りの撮影ポイントがあって、ジョン・フォード・ポイントと名付けて観光名所になっているそうです。私も一度行ってみたいと思います。

 

                                                                                                      

                                  モニュメント・バレーのジョン・フォード・ポイント(馬のいるところ)    

                                                              撮影:Luca Galuzzi

 

<わが愛しのクレメンタイン>

 この映画の日本語のタイトルは『荒野の決闘』です。確かに最後にアープ兄弟とクラントン親子がOK牧場で行った決闘が、物語の大きなウェイトを占めることは間違いありません。しかし私には、決闘シーンよりも印象に残ったシーンがあります。

 たとえば、ワイアットがクラントン一家に殺された弟のジェームズの墓に刻まれた生没年(1864-1882)を読み上げるシーンです。「たった18年か」とその短い生涯を悼み、「この街を離れるときは子どもたちが安心して住める街にする」と誓います。教会の建設を祝う日曜日のダンスパーティーで、ワイアットが恥ずかしそうにクレメンタインにダンスを申し込み、二人で楽しく踊るシーンも心に残りました。

 特に、決闘を終えて街を離れるワイアットを見送るクレメンタインに、ワイアットが「クレメンタイン、とてもいい名前だ」と声をかけ、「Oh my darlin` Oh my darlin` Oh my darling Clrementine♪♪」という主題歌がバックに流れる中、岩山に続く道を歩いていくシーンは、胸に迫ってくるものがありました。

 この映画の原題は、『My Darling Clementine 』(わが愛しのクレメンタイン)です。フォード監督は、牛泥棒や決闘といった荒々しい西部開拓を描きながらも、実は、ワイアットのクレメンタインへの淡い恋心に代表される人間の心の機微を主題にしたくて、このタイトルにしたのだと思います。この映画に流れる詩情も、それで説明できるのではないでしょうか。

 クレメンタインを演じたのはキャシー・ダウンズでした。どちらかというと『ローハイド Rawhide 1961』などテレビドラマで活躍した女優のようですが、『荒野の決闘』のクレメンタインを演じる彼女は、美しくて可憐です。

 これまで観た時は、どちらかというとチワワ(リンダ・ダーネル Linda Darnell 1923-1965)の方が気になっていましたが、今回は圧倒的にクレメンタインでした。それは観る側が若くて純粋な時は、わけありな感じの女性が気になり、歳をとって心もだいぶ汚れてくると、純粋な女性に惹かれるということの証左なのかもしれません。それにキャシー・ダウンズは、目が大きくて垂れているという、私の好きなタイプの女性ですからね。まさに「わが愛しのクレメンタイン」です(笑)。

 何十年かぶりに『荒野の決闘』を見て、男優、女優を問わず俳優の魅力を再発見できることも、繰り返し作品を観る喜びの一つなのかもしれないな、とあらためて感じました。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。