かつて『ディープ・スロート Deep Throat 1972』というアメリカのポルノ映画がありました。映画自体もヒットしたようなんですが(残念ながら?私は観ていません)、「ディープ・スロート」という言葉は、アメリカのジャーナリズムを語るうえで欠かせない存在となりました。ウォーターゲート事件ワシントン・ポストボブ・ウッドワード記者(Bob Woodward 1943-)に貴重な情報を提供した政府高官を、ウッドワードの上司がディープ・スロートと名付けたからです。

 政府高官は、なぜメディアに情報をリークしたのか.?『ザ・シークレットマン Mark Felt:The Man Who Brought Down the White House 2017』という映画にその答えがあります。

 

<あらすじ> ※ネタバレ注意

 1972年、長年にわたりFBIの長官に君臨し、アメリカ政界ににらみを利かせていたフーバーが死んだ。フーバー長官の下で副長官を務めていたマーク・フェルト(リーアム・ニーソン Liam Neeson 1952-)は次期長官の椅子を期待したが、ニクソン大統領に近い司法省次官のグレイが長官代理になった。

 折からワシントンのウォーターゲート・ビルにある民主党全国委員会本部に5人の男が侵入する事件が起きる。この事件は、鉛管工グループというニクソン大統領側近による政敵への盗聴や侵入工作のひとつで、一連の事件は、後にウォーターゲート事件と呼ばれるようになる。フェルト副長官は徹底捜査を命じるが、ホワイトハウスやその意を受けたグレイ長官代理は捜査の中止を指示する。

 政治的に中立であるべきFBIの捜査に政治が介入することを嫌うフェルト副長官は、知り合いのタイム誌の記者やワシントン・ポストのウッドワード記者に情報を提供する。世論を味方につけて、ウォーターゲート事件の捜査を続けようとしたのだ。ウッドワード記者は、情報源を秘匿するためフェルト副長官のことを社内でディープ・スロートと呼ぶことになったと伝える。

 フェルト副長官の情報に裏打ちされたワシントン・ポストやタイム誌の記事もあって、ウォーターゲート事件はアメリカだけでなく世界中が注目する一大スキャンダルになった。ニクソン大統領自身も事件の隠ぺいを指示していたことが明らかになり、追い詰められた大統領は、事件発覚から2年後の1974年8月に辞任する。

 

2017年のアメリカ映画

ピーター・ランデズマン監督(Peter Landesman)

 

 

<リーアム・ニーソン Liam Neeson 1952->

 北アイルランド出身。

 私は彼が出演した映画を3本だけ観ていますが、このうち『シンドラーのリスト Schindler`s List 1993』ではドイツ人実業家で多くのユダヤ人を救ったシンドラー。『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス Star Wars EpisodeⅠThe Phantom Menace 1999』ではジェダイ・マスターのクワイ=ガン・ジン。『沈黙ーサイレンスー Silence 2016』ではキリスト教を棄教した元宣教師のフェレイラと、いずれも渋い役を演じています。

 『ザ・シークレットマン』のフェルト副長官も、無茶苦茶、渋い役です。

 

<『大統領の陰謀』>

 『ザ・シークレットマン』は、フェルト副長官、つまりディープ・スロートを主人公にした映画ですが、フェルト副長官から情報の提供を受けていたワシントン・ポストのウッドワードとカール・バーンスタインの二人の記者を主人公にした映画が『大統領の陰謀 All the President`s Men 1976』です。

 ウッドワード役をロバート・レッドフォード(Robert Redford 1936-)バーンスタイン役をダスティン・ホフマン(Dustin Hoffm 1937-)が演じています。ウォーターゲート・ビルへの侵入事件を取材した2人が、その背後に潜むホワイトハウスの陰謀を粘り強い取材で次々に明らかにしていく様子がスリリングに描かれています。

 この映画の中でもディープ・スロートが登場しますが、映画公開の時点では正体は明らかにされていませんでしたので、顔は出てきません。ウッドワード記者は、深夜、ビルの地下駐車場でディープ・スロートに取材しますが、顔を写さないことによって、このシーンに強い緊張感が生まれています。

 

 

<ディープ・スロートの正体はなぜ明らかになったのか?>

 マーク・フェルトについてウッドワードが書いた『ディープ・スロート 大統領を葬った男』(文藝春秋)という本があります。最初、私は、この本が『ザ・シークレットマン』の原作と思いました。しかし、映画が、完全にフェルト副長官の物語になっていて、ウッドワード記者もほんの少ししか出てこないのに対して、『ディープ・スロート 大統領を葬った男』は、ウッドワード記者とフェルト副長官の関係を中心に描いているので、そうではないようです。

 この項のタイトルの「ディープ・スロートの正体はなぜ明らかになったのか?」についても、映画では、死の3年前の2005年にフェルト自身がヴァニティ・フェア誌に明かした、とだけテロップで紹介していますが、ウッドワードの著書ではかなりの枚数を使って説明しています。

 それによりますと、2002年にフェルトの息子がウッドワードに「父は永年黙っていたのですが、はじめて自分がディープ・スロートだという話をしたんです」と電話で伝えました。そして、その3年後にフェルト家の弁護士のジョン・オコナーがヴァニティ・フェア誌に「私がディープ・スロートと呼ばれた男」という記事を書き、秘密の情報源だったことを発表させてほしいと、フェルトの娘のジョーンとともにフェルトを説得したことを明らかにしています。

 このころ、フェルトは認知症が進んでいたこともあり、なぜディープ・スロートだったことを明らかにしたのか、ウッドワードは本人から確認できませんでした。ただ、著書の中で、娘のジョーンが、歴史で果たした父親の役割を後世に伝えたい、という希望を持っていたことを明らかにしています。

 

 

<記者と情報提供者>

 私も記者の仕事をしていた時は、好むと好まざるとにかかわらず特ダネ競争に巻き込まれました。私の場合は、他社に負けることがほとんどだったのですが、時には、ささやかですが特ダネを取ることもありました。その特ダネをくれたのが、映画で言うところのディープ・スロート、つまり情報提供者でした。

 情報提供者は、なぜ記者に情報をリークするのか?私に情報を提供してくれた人たちは、「なんとなく私のことを気に入ってくれたから」とか「熱心さにほだされたから」といった理由だったような気がします。しかし、フェルト副長官の場合は、FBIに対する政治の介入を防ぐため、という明確な目的がありました。

 映画でも描かれていますが、ホワイトハウスによる情報提供者探しは徹底して行われたようです。このため、フェルト副長官は、表向きは大統領に忠誠を尽くしているように見せながら、ひそかにメディアと接触していました。犯罪捜査という自らの使命を達成するためには、それしか方法がなかったからだと思います。

 『ディープ・スロート 大統領を葬った男』によると、フェルト副長官がビルの地下駐車場でウッドワード記者と会うのは午前2時とか3時でした。私も日付をまたいで取材先の帰宅を待ったことはありますが、あらかじめそんな遅い時間に取材を設定されたことはありません。ウォーターゲート事件の追及が、いかに困難だったかがわかります。

 「たとえ最高権力者であっても、罪を犯したなら法の裁きを受けなければならない」 

 「たとえ最高権力者であっても、不正があればその事実を国民に伝えなければならない」

 『ザ・シークレットマン』は、『大統領の陰謀』とともに、ウォーターゲート事件の捜査と報道が、フェルト副長官とウッドワード、バーンスタイン両記者のこうした強い信念によって支えられていたことを改めて教えてくれました。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 次回も1970年代前半のアメリカのジャーナリズムについて取り上げます。ご紹介する映画は、ウォーターゲート事件の1年前に起きたペンタゴン・ペーパーズ事件を扱った『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』です。