狂気。40年以上前、初めて『タクシードライバー』を観た時の印象を一言で言うと「アメリカの狂気」である。とりわけ、イエローキャブがスモークの中から現れ、サックスの気だるい音楽をバックにタクシーの窓越しにニューヨークのネオンが映るオープニングに、私は戦慄を覚えた。

 

 

<あらすじ>

 ニューヨークのタクシードライバー、トラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)はベトナムの帰還兵。不眠症で、夜、眠ることができないのだったらと、タクシードライバーになった。仕事を求めてタクシー会社を訪れたトラヴィスは、採用担当者から「夜の貧民街を走れるか?」と尋ねられ、「Anytime Anywhere(いつでも、どこでも)」と答える。

 ニューヨークをタクシーで流すうちに、トラヴィスは、街とそこにうごめく人間たちの汚らわしさを見ることになる。そんな時に出会ったのが、ベッツィー(シビル・シェパード)アイリス(ジョディー・フォスター)だった。

 ベッツィーは大統領選挙候補者の事務所で働く、ブロンドの髪と青い目が美しい大人の女性。トラヴィスは彼女をデートに誘いだすことに成功するが、よりによって行った先はポルノ映画館。激怒したベッツィーは映画館を出てきてしまう。

 一方、アイリスはニューヨークに家出してきた少女で、犯罪組織に囲われるような形で売春をやっている。トラヴィスは、彼女を更生させようとするが、逆に煙たがられる。

 狂気に満ちた街、ニューヨークは、しだいにトラヴィスの精神をむしばんでいく。大小さまざまな銃を購入し、ベッツィーが選挙スタッフを務める大統領候補者を暗殺しようとする。しかし、シークレットサービスに見つかり、演説会場から逃走する。

 次に向かったのは、犯罪組織がアイリスに売春をさせるために用意したアパート。そこでトラヴィスは一味と銃撃戦を繰り広げ、重傷を負うもののアイリスを組織から救い出すことに成功する。

 トラヴィスは少女を救ったことで、一躍ヒーローになる。新聞に大きく取り上げられ、アイリスの家族から感謝の手紙を受け取る。しかし人々は、同じ人間が大統領候補を暗殺しようとしたことは知らない。

 そんなある日、運転手仲間とお喋りをしているとトラヴィスのタクシーに一人の客が乗る。バックミラーで後部座席を見ると、そこにはベッツィーが。目的地に着いてタクシーを降りる際、彼女はもう少し話していたそうな素振りを見せるが、トラヴィスはそのまま車を走らせ、光と闇に包まれたニューヨークの街に吸い込まれていく。

 

 

<当時のアメリカ社会。そして、今>

 ベトナム戦争が北ベトナムの勝利で終結してから1年経った1976年にこの映画は公開された。ジョンソン大統領の時代に本格化したベトナム戦争はアメリカ社会に暗い影を落とし、戦争が終わった後も、心や体に傷を負ったベトナム帰還兵の存在が大きな社会問題になっていた(トム・クルーズ主演の『7月4日に生まれて』が、この問題を真正面から描いている)。トラヴィスもこうした帰還兵の一人であった。

 1960年代から70年代にかけてのアメリカは、64年のケネディー大統領暗殺ベトナム戦争への本格介入。68年のキング牧師とロバート・ケネディー(ケネディー大統領の弟で大統領を目指していた)の暗殺ウォーターゲート・スキャンダルニクソン大統領の辞任ベトナムからの撤退と、まさに負の連鎖が続き、かつての輝きを失い、よどんだ空気に覆われていた。

 そんな時代の申し子ともいえる映画が『タクシードライバー』だった。トラヴィスの狂気。ごみ溜めのようなニューヨークの街。そしてトム・スコットが演奏する気だるいサックスの音色が、時代の空気を見事に描き出した。

 それから45年経った今、アメリカは再び狂気に包まれている。社会全体がコロナ禍に苦しむ中、選挙の敗北を認めない大統領に扇動された支持者たちが連邦議会に乱入し、混乱の中で5人が命を落とす。

 『タクシードライバー』の描いた狂気とはまた違った狂気。意見の異なる者をけっして認めようとしないゆがんた情熱がアメリカ社会を覆おうとしている。

 

<俳優たち>

ロバート・デ・ニーロ

 名優中の名優である。何かにとりつかれたようなトラヴィスの鋭いまなざしやうつろな目は、デ・ニーロだからこそ、というのは、さすがに言い過ぎだろうか。

 と、ここまで書いて思ったのは、役柄がなんとなく『ジョーカー』の主人公のアーサー(ホアキン・フェニックス)に似ていること。その『ジョーカー』では、テレビの生番組中にアーサーに射殺される司会者の役をデ・ニーロが演じていた。

 最近見た『マイ・インターン』『ジョーカー』の中のデ・ニーロは、恰幅の良い初老の男性だったが、『タクシードライバー』トラヴィスは、引き締まった凛々しい体をしている。40年の歳月を感じてしまう。

 

シビル・シェパード

 美しい女優である。NHKが放送していたアメリカのテレビドラマ『こちらブルームーン探偵社』で、髪の毛があった時のブルース・ウィリスと共演していた。

 

ジョディー・フォスター

 こちらも名女優。『タクシードライバー』出演後、数々のヒロイン役を演じ、『告発の行方』『羊たちの沈黙』で2度、アカデミー主演女優賞に輝いている。

 日本公開40周年を記念して行われた出演者のトークショーで、アイリスの役について、「短パンにあの大きな帽子とサングラスだもの」「初日の衣装デザイナーの前で泣いたのを覚えてる」と話し、会場の笑いを誘っていた。

 

 

 『タクシードライバー』は、社会にも影響を与えることになった。映画を観てジョディー・フォスターに一方的に恋心を寄せたジョン・ヒンクリーという男が、自分の存在を彼女に印象づけようと、1981年、当時のレーガン大統領を銃撃して重傷を負わたのである。映画の世界そのままのような事件であった。

 当時、ジョディー・フォスターは名門イェール大学の学生で、事件でショックを受け、しばらく映画出演を控えることになったそうである。

 

<受賞歴そのほか>

 この映画を初めて観た時、私は、大学受験に失敗して浪人生活を送っていたんじゃないかと思う。当時、池袋にあった「文芸坐」の固いシートに座って観たと記憶しているが、私自身も将来に対する不安や焦りを抱えていただけに、ストーリー、映像、音楽、そして俳優たちの演技に、強く引き込まれたのを今でもよく覚えている。

 その後、やはりどこかの名画座で、そして最近、Netflixでこの映画を観たが、「人々の心の奥底にある暗い情念を刺激する映画」という印象は、最初、観た時と全く変わっていない。

 優れた、そして危険な映画である。

 

 マーティン・スコッセシ監督の1976年アメリカ映画

 

 カンヌ国際映画祭 パルム・ドール

 アカデミー賞は、作品賞・主演男優賞・助演女優賞・作曲賞にノミネートされるが、受賞に至らなかった。

 そういえば、『ジョーカー』も作品賞など11の部門でノミネートされたが、受賞はホアキン・フェニックスの主演男優賞と作曲賞の二つにとどまった。社会や人間の負の側面を描いた映画は、アカデミー賞は受賞しにくいのかもしれない。      

                

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。