日付が変わってしまいましたが昨日8月15日は終戦記念日でしたね


日本人のほとんどが戦争を経験したことのない人になった今 終戦記念日といってもピンとこないのは仕方がないことかもしれないけど・・・



日本でも昔 戦争があったこと・戦争によって生まれた悲しい事実を忘れないように語りついでいかないといけない


今年の終戦記念日は 特にそんな気持ちが強かったように思います



亡くなった父は少年航空兵として戦争に行きました


今でいう高校1年生の時だったそうです


体操でオリンピックに出場することを目指していた少年は病弱で戦争に行けない父に代わり自ら志願して入隊しました


少年航空兵としての訓練を受け 指令係としてボルネオやスマトラにも行ったと話していたのを覚えています



神風特攻隊


戦争を知らなくても聞いたことがない人は少ないはず



敵の軍艦に向かって戦闘機ごと突っ込んでいく


鹿児島・知覧にあった知覧特攻基地


ここから飛び立って行った戦闘機は二度と戻ってくることはない


父はこの特攻隊の生き残りでもありました


特攻隊として出撃していった方たちは今で言えばエリートと言われる大学の学生が多かったそうです


しかし 戦況が悪化していくと特攻回数が増え特攻隊員がどんどん出撃していき人員が足りなくなったために少年航空兵も特攻隊へと入隊させられるようになったのだそうです


『連合艦隊』という映画の少年航空兵の言葉で『飛び方は知っていても着陸の仕方は知りません』というようなセリフがあります


特攻していく人間は生きて帰ってくる必要はない!

だから着陸の仕方は教えなくてもいい


最後はそんな状況だったのだそうです



父は特攻の命が下る直前に終戦を迎えました


あと1週間戦争が終わるのが遅かったら出撃命令が下って自分はこの世にいなかっただろうと話してくれました


自分のことを可愛がってくれた人たちが 二度と帰ってこられないことを知りながら飛び立っていくのを見送るのが辛くてしかたなかった


基地の上空を別れを惜しむように旋回していくのを見る度に胸が苦しくなった



父はそう話しながら涙ぐんでいました


生前 父は知覧にもう一度行きたいと言っていました


現在 知覧特攻基地があった場所には 知覧特攻平和会館という施設が建っています


ここには特攻隊員の写真・遺書などの遺品が展示されているほか特攻隊員の遺影1,036柱が展示されているそうです


自分が生きているうちに知覧に行かなくては・・・

父はどんな思いを寄せていたのでしょう


そんな父の願いを叶えてあげることが出来なかったことが今でも悔やまれます



小さな頃 父の自転車の後ろに乗ってよく公園まで散歩にいきました


お馬のおやこ・はとぽっぽ・一緒に歌を歌いながら行くのが楽しかった


そんな歌の中に こんな歌もありました



貴様と俺とは同期の桜


同じ航空隊の庭に咲く


咲いた花なら散るのは覚悟


見事散りましょう


国のため



これは『同期の桜』という軍歌です


小さかったカシュは歌の意味も判らず一緒に歌っていました


そしてこの歌が大好きで 父に桜のお歌を歌って!とよく催促していました



大人になり この歌の意味を知り なんて悲しい歌だったんだろうって気付いた


そして 父が『同じ航空隊』と歌っていたところが本当の歌詞は『同じ兵学校』だったことを知りました


一緒に過ごし出撃していく姿を見送った人達


戦争に行っていなければわからない感情


娘の私にさえ話さなかったことが沢山あったと思います



父は生前よく言っていました


特攻隊として命を落とした人には生きていればスポーツ界や日本経済に重要な存在になったであろう人材がたくさんいたんだ



父は自分が戦争に行った経験を通じて命の尊さを教えてくれました


そして 国と国だけじゃなく個人と個人でも争いごとからは明るい光は得られないこと



思想や宗教の違い・領土問題など今この時間にも世界の何処かで戦争が起きている


この先 日本が絶対に戦争に巻き込まれないという保障はどこにもない



聞きたくないから 興味がないからと耳を塞ぐのではなく 1年に1度8月15日という日だけでも戦争というものについて耳を傾けてほしいと思わずにいられません