司法試験ネタ
今日は、現実逃避(笑)の一環で、司法試験の択一試験の過去問を1年分解いてみました。平成16年度です。そう、ぼくが択一に受かった年です。
この年は、合格点が45点/60点でした。たしか、択一合格者が史上最高だったと思います。母校の早稲田はきっちり全国1位でした(はず)。
にもかかわらず、今日やったら40点・・完璧に撃沈
まあ、ブランクあるのによくやったという感じもしますが、受かった年の問題がここまでできなくなってると少しへこみますね。
内訳は、憲法15、民法16、刑法9(笑)
刑法は全然時間が足りなくて終わらなかったです。
まあ、そんな感じで、司法書士の勉強もせずに、なぜ自分が論文に落ちたのかを考えていたら、昨日までの記事が頭に浮かびました。
ぼくは、当時、大学在学中に司法試験に合格できなかったら撤退することを決めていました。しかし、択一でかなり苦労して、論文対策はかなり遅れていました。そこで、択一後、「試験対策講座」と「論文過去問」「直前答練」だけで試験に臨みました。
しかし、本番の問題は、小手先で太刀打ちできるものではありませんでした。成績も総合Dだったように記憶しています。
何が言いたいかというと、小手先の勉強になっていないか、ということです。
司法試験で言えば、論証というものを準備するんですが、ぼくは予備校の作成した論証に記載されている理由、試験対策講座に記載されている理由を、論点ごとに記憶していました。辰巳の「論点本」というのが当時ありまして、それに載っている論点をすべてつぶしていました。これだと、答練ではある程度の点がとれるんですね。知っているところからしか出ませんから(正解があるものしか予備校は出しません)。
でも、本番は、かならず未知の問題が出る。そのときに使えるのは、論証でも試験対策講座でもなく、当該法律を貫く思想だと思うんです。「なんでこういう制度が規定されているのか」を場当たり的な複数の理由付けでおさえても、思想は身につきません。やはり、定評ある基本書を読んで、当該法律の思想を抽出しながら勉強していくべきだったと思います。予備校テキストでは絶対に思想は身につきません。だって、作ってる人がそんなことは意識して作ってませんから(択一合格後、某予備校でテキスト作ったことがあるので、あっち側の事情は詳しいです。基本書の切り貼りです。ホントに)。
そこで昨日の記事に戻ると、理解→記憶→表現ということがあったと思います。ここで、勉強のスタンスとして、理解のための基本書+過去問→一元化素材による記憶→過去問や答練による表現、という順でやります。ここの「理解」の部分で、相当に小手先で不十分な勉強しかしていなかったんだろうなと。答案を読む側はプロですから、その科目を理解していないな、表面的な知識を覚えてはきだそうとしているな、と思われたのでしょう。
理解の不十分さが記憶の精度の低さにつながった結果、表現面もイマイチになったのだと思います。
司法書士試験ではここまで厳密に思想を意識する必要はないと思いますが、それでもそういった意識は重要だと思います。全体を通じた理解をしようとする意識がないと、細かいピースの積み重ねになり、未知の問題に対応できません。逆に、思想さえあれば、未知の問題でも、ある程度正解らしき答えにたどりつけます。
こんなことを考えてたら、司法試験受けたくなってきました。でも、まだ我慢します。そこは何年後かなあ。
司法書士の勉強をはじめて、司法試験対策でこうやったら良いとか、いろいろ考えさせられました。ホントにやってよかったです。