隠岐騒動
と言う歴史自体
島根県民でも
殆ど知られていない と思う
余り知られてはいないが
日本で初めての
住民による
自治政府
が成立した
時は幕末
文久から
慶応へ そして
明治へ
文久元年(1861年)
ロシア軍艦が対馬の一部を約半年間にわたり占拠された
これを機に
文久3年(1863年)松江藩が隠岐の島に480人の
農兵部隊を組織した(農民の武装化は「攘夷」に傾く
時代の要請だった
日本では
花神 大村益次郎が
慶応2年(1866年)
島根県益田市
旧 石州口で
親藩の浜田軍たちと
戦い(戦う振り)
一気に
現在
世界遺産となっている
【大森銀山】まで手中に収めていた
当時世界有数の銀産出を誇っていた銀山が
長州軍の手に落ちたのだ
翌年 慶応3年(1867年)
松江藩 島民に武芸差し止めを命じる・・・農兵隊組織より4年後のこと
同年 5月
島後(隠岐諸島)の有志73人が文武館設置の嘆願書を
郡代に提出する
同年12月 王政復古
ここに
隠岐の住民たちが攘夷・尊王 王政について
気運が高まって行く
そして
世間では余り知らされぬ・話題に意図して昇らぬ
隠岐騒動 と言う
きな臭いが
隠岐の島で起きた事
必然性があった事
その裏側で静かに、言い伝えられていた
物語が静かに幕を開けて行く