2015/11/21 | 双極性障害のブログ

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現在の体の状態や不調について、ふと思い浮かんだことがあるので、1つ仮説をたててみる。


仮説) 
全ての不調は、体が無意識に感情を抑圧する事から発生するものである


過去をおさらいしながら確かめる。

かなり長い間、自分は喜怒哀楽を感じていない。
これは、腰のヘルニア及び椎間板炎の時期から始まった。

痛さと不安を我慢し続けることには、治療開始して1ヶ月ほどで限界を感じていた。なぜなら、自分はアウトドア派でストレス解消兼娯楽が体を動かすことであり、健康体であることが心の安定の基盤だったから。

ヘルニアのうちはまだ我慢できていたが、通常は起こりえないつい間板炎にかかった瞬間に我慢の限界を超えた。

ただ、自分では我慢できていると思っていた。昔から、親が厳しかったせいか、理不尽も含めて、我慢することは得意中の得意だった。

しかし、それから10ヶ月ほどして、喜怒哀楽がなくなっていることに気づいた。そもそも、その前に、大学の試験勉強の時、すんなり覚えられるはずの内容が全然頭に入らない予兆はあったが、その時は腰が痛いからだと思って見逃していた。

科学的なことは全くわからないが、感情を生む脳領域と、論理的な思考を生む脳領域がどこかしらで相互作用していて、本件では連鎖的に両方ともの機能が同時にシャットアウトされたんだろうか?


喜怒哀楽がなくなった時には、人の話、特に論理的な内容の話、は全く頭に入らない状態だった。分からない時は、笑ったりうなずいたりしてごまかしたが、正直これはヤバいと感じた。

しかし、何をしたいのか気持ちを伝えること、その理由を論理的に説明すること、この2つはもはやこの頭では不可能で、この2つが絡んでくる研究活動と就職活動は困難を極めた。

ストレスとなったのは、感情が湧かない虚無感と、本来できるはずの論理的な説明ができないことからくる自分のイメージのギャップ。

何がしたいのか分からなくなり、自分の能力のなさ或いは低下に困惑し、そんな状態で先何十年も生きなければならない将来に絶望し、生きる意味を自問自答することが増えた。23歳あたりでこうなったのだが、きっと32~33歳には死ぬんだと漠然と感じたこともあった。

友人関係も荒んだ。何やっても何も感情が湧かないし、言ってることも理解できず会話に乗り遅れる。耳が異常に悪くなったような感覚も。

それでも運良く仕事が見つかったため、先に進めた。

仕事は、コミュニケーション命の現場で、日本語についていけないとなると致命傷。さらに、全くの異分野で、ベース知識ゼロ。メモを取ろうにも、何言ってるか分かんないものをメモなんか取れない。先輩からも、分かりやすく言い換えてやってるのにいったい何回聞き返すんだ、というジャブを受け続け・・・
そもそも、こちらも頭が全く回ってないので、会話が成立しにくい状況もあり・・・

仕事にならないのに、疲労感ばかり人の3倍も4倍も感じて毎日クタクタに。



ここ最近は、知らない人とも良く会うし、意見の食い違いもあるし、そんな中でよく嫌だなぁと感じているような気がする。

気がする、といったのは、実際に体に現れるのが頭痛という症状であり、感情はないからである。

きっと、体が無意識に感情を押さえつけていて、でもあまりにもその負荷が大きいため、症状として溢れ出たのではないかと推定する。肩こり首こりが酷いのも、このせいではなかろうか?


以上より、体が感情を無意識に押さえつけることが正常な感情・理解・判断力を低下させ、それがストレスとなり、最終的には体の痛みとなって現れる。

こんなところではないか?と仮説を立てる。


じゃあ、もしこれがあっているなら、無意識に抑えられた感情を解放してやればいいじゃないですか。そう思ったので、次はそこをどうするか、考えてみます。