名前を呼ぶほどでもない距離で、
あなたは少しだけ視線を外す。
その曖昧さが、好きだと思う。
触れれば簡単に崩れてしまいそうなのに、
どこかで均衡を保っているみたいな、
危うい静けさ。
「だめだよ」と言いながら、
ほんのわずかに残る余白。
拒むでもなく、許すでもなく、
ただそこにある温度。
私はそれを確かめるように、
指先でなぞる。
———
昼の光の中で、
少しだけアルコールをまとったあと、
私たちは静かな場所に逃げ込んだ。
人工の夜が落ちてくる、
あの丸い空間。
星の代わりに、
意識ばかりがはっきりしてしまって、
うまく呼吸ができない。
暗闇に紛れるように、
距離がゆっくりほどけていく。
触れてはいけないはずの境界が、
あまりにも曖昧で。
気づけば、
どこに意識を置けばいいのか分からなくなる。
星を見上げていたはずなのに、
何も覚えていない。
ただ、隣にある温度だけが、
やけに鮮明で。
そのまま、
時間ごと落ちるみたいに、
深く眠ってしまった。
———
目が覚めたあと、
現実に戻るまでのわずかな時間。
何もなかったことにはできない余韻だけが、
静かに残っていた。
あなたの輪郭は、
思っているよりも柔らかくて、
思っているよりも、正直だ。
上から見下ろすと、
知らない表情がそこにあって。
どうしようもなく、
可愛いと思ってしまう。
それがあなたであることに、少し驚く。
駅で会うあなたと、
ここにいるあなたは、
同じ顔をしていない。
距離というものが、
こんなにも世界を変えるなんて、
知らなかった。
記憶は、あとから形を変える。
だからきっと、今この瞬間も、
少しずつ違うものになっていく。
それでもいいと思う。
曖昧なまま、
手の中に残る熱だけを、
信じていたい。
熟れる、その手前の温度を。
