こんにちは

今日は3月11日。
あの日から10年経ったそうです
ここからは普段のスイーツの話とは違い
ちょっと暗い話。
「あの日」を思い出したくない方も
いるかと思うので
そんな方はそっとこのブログを
閉じてください。
これは私の体験なので
少し書き残そうと
記憶を辿り書きます
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当時私は大学生
春休みでした
そう、卒業間近の春休み。
私が住んでいたのは東京。
震源とは少し離れていましたが
相当揺れました。
TBCのエステ体験に来ていて
ちょうど施術が終わり
タオル一枚で更衣室にいる時に
地震がきました
嘘みたいな本当の話…
「避難してください」
とスタッフの方に言われて
言われるがまま、その格好で店外に避難

地震が怖すぎで
自分がタオル一枚でいることすら
忘れていましたが
地震がおさまりふと我に返って
自分の格好がタオル一枚である
恥ずかしさと
死ぬんじゃないかと思った恐怖感とで
夢を見ているんじゃないかとさえ
思ったことを
今でも忘れません…
歩いて家に帰って
(その時はもちろん電車が動いていなかった)
電車では近場でしたが
歩きだったので2時間ほど
歩きました…
家に帰ると(当時、実家住まい)
家のものが少し倒れていて
大変なことになった…
と思って
誰もいない実家の
ダイニングテーブルの下に潜って
テレビを見て
さらに現実を知ることになりました。
LINEで家族と連絡を取り合いながら
安否を確認。
最初はなかなかLINEも届かず
不安な数時間を過ごしました
一番遠くに職場があった母が
帰ってきたのが
確か夜中。
当時の言葉で言うと「帰宅難民」
と言うやつです。
電車が動かず、
迂回経路のバスも大混雑だったそう。
その頃、私はというと
人生初めての大きな地震と
長時間ヒールで歩いたことで
疲れてしまった私は
母が帰ってくるまで
リビングで待っていながら
テーブルの下で寝落ちしていました
(怖がりで何かしても
すぐまたテーブルの下に隠れていた
)

運よく、家族みんな無事に
帰宅できたわけですが
春休み、一緒に卒業旅行へ行こうとしていた
仲間の1人が仙台出身で
実家のおうちが浸水。
そんな中、旅行に行こうと言えるわけもなく
卒業旅行はなしに。
卒業式は無くなってしまったため
袴はキャンセル。
次の日バイト先へ行ったら
階段の壁は崩れ
今日の営業はないから帰っていいよ
と言われ(もちろんだよね
)

電車で帰宅する。
テレビのCMは
ずっとJCのコマーシャルで
(今もわすれない
あのCMで流れていた音楽)
テレビからは津波や地震の被害状況が
ひたすら放映されていた
そんな数日を過ごしたことを
今も覚えています
あの日は忘れてはいけない。
震源に近い方は
津波にもあったし
もちろん、亡くなった方
行方不明で
いまだに身元がわからない
と言う人さえいる
そう、10年経った今でさえ…
東京で暮らしていた私でさえ
こんな恐怖だったのだから
福島、仙台あたりの人は
もっと恐怖だったであろう
そう思っている
10年と言う月日は流れた
だけど
きっと中には
心のどこかに傷を抱えて
”止まってしまった10年”を
歩んでいる人さえ
いるのだろうと思うと
なんだか心苦しい…
せめて、自分のできることを
ねこしゃちょー@アメブロでスイーツレビュー@miiconicomam
おはよ!今日は3月11日。タイムラインではあの日を忘れないみんなのツイートを見ながら私も出来ることを…さっきボボ様のツイートRTしたけど、献花もできるよ🌷私が好きなトルコキキョウを贈りました😌https://t.co/MEZx2a7kmi
2021年03月11日 09:38
ボーボーママ@育児中フリーランス@bowbow_mama
オンライン献花ができるんだって。https://t.co/S0kNvaY1K9
2021年03月11日 08:16
もちろん
押し付けるつもりはありません
何かのため、誰かのためになったら
いいなと思います