【神さまの道楽】 | 『自分を満たす』ために撮る写真

『自分を満たす』ために撮る写真

写真は、自分のために撮る。

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何をやりたいのか、どんな風に生きていたいのか、

それを

追い求めて

探せば探すほど

それは

遠ざかっていく気がします。


わたしも随分、探していました。

今でも、突然探し出したりします。笑


でも

探せば探すほど

見つからないんです。


わたしは何をやりたいのか?

どうやって生きていたいのか?

ビジョンだなんだと言われても

見えてこない。



それって結局、

「自分で生きている」と

思っていたからなんですね。

目の前のものを

何にも見ていなかった。



させて頂くメソッドからすると

そんな、理由や理屈がいらなくなるんですよね。

すべては神のお導き。


「神のお導き」なんて言葉を使うのも

いまだに抵抗があるんですけど

とても便利なので使いますね。




すべて原点が

「生かされている」

ここであるとすると

見えてくる世界があるんです。

全然、言葉にできないんですけど。



わたしが今ここで

息をしていて

文字を入力していることも

「私がしてる!!」のではなくて

何かよくわからんけど、そうさせて頂いてる

のだとしたら。
 
 
写真を撮るのもそう。

導かれてそうしていたのだとしたら。

武くんと出会ったのだって

偶然でも、私が引き寄せたのでもなく

導かれてそうなったのだとしたら。



何に、導かれたのだろう?とか

なんで、導かれたのだろう?とか

そんなことを考えるようになって


この世界の素晴らしさ、無限の豊かさを表現するために



なんてことに辿りついたりするんです。



ここで、視点を変えてみます。

例えば憧れのあの人。

あんなんやって、こんなんやって、

輝いててステキ!!!
 
 
あれも全部

あの人は

「させて頂いてる」

だけなんだとしたら?
 
 
あの人が「やってる」わけじゃなくて

あの人も「させて頂いてる」

そうなると

宇宙の黒幕の存在が見えてくる。笑
 
 
神さまなのかなんなのかわからないですが

何かの存在を感じます。

そうなると、

わたしも、あのひとも、

何かを表現するために

ここに存在している。させてもらってる。



それが

神さまが私たち人間を

この世界におつくりになられた理由だとしたら。



人は、自分の姿を自分自身で見ることはできない。

神さまもそうらしいです。

葉室さんの本に書いてありました。

この世界(神さま自身)の素晴らしさを

見せてもらうために

我々人間をつくられたのだと。



神さまの道楽に

つきあってやるかと

そんな気持ちで

わたしは今日も生きてます。笑



「わたしが神だ。」

via MIYABI PHOTOGRAPHY
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