戦後70年 東淀川遺産のまち歩き | nikoのちょっと聞いて~ ♪

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冬ソナから始まった大好きな韓国ドラマと 旅行の備忘録です。

再び 去年の12月のことですが・・・
戦後70年 東淀川遺産のまち歩きに参加しました。


今も残る戦争遺跡 高射砲台(国次高射砲陣地)

コンクリートに荒々しく鉄筋が露出した柱が放射状に広がる梁
米軍機を撃ち落す高射砲を配備するために旧日本軍が作った砲台。
現在2基残るうちの1基で現在は鉄筋工場として使われている。
 
12角形の高射砲台 直径10m、高さ4.5m
指揮所を囲むように6基の砲台の上に高射砲が1台ずつ置かれ米軍機を狙い撃ちしたのだという。
  
延原倉庫 (のぶはら)

 
開戦翌年 昭和17年軍需用に完成した5号・7号倉庫の他、当時の倉庫が現在も配送倉庫として稼働中である。
戦争が始まり軍需工場に指定されると軍艦用蒸気エンジンや大型ボイラーの他
石炭を液化して「人造石油」を作るための反応塔を製造した。

5号倉庫は鉄筋コンクリート造で全長280m、幅20m、高さ18mの巨大空間。
戦時ということで元々阪神百貨店の建設に使用予定だった鋼材が用いられたという。


 
戦時中の建物とは思えないほど しっかりした建物で倉庫が広すぎて終わりが見えません
 
7号倉庫・・・ 木造建てで、倉庫内の注意書きが旧漢字なので昔を感じます
 
  
延原倉庫の入口に無造作に置かれた防火用水
 
 
人口石油を作って戦うなんて無謀としか思えません。
短い時間のまち歩きでしたが、
戦争の悲惨さと平和の有難さを痛感する貴重な体験でした。

文章は大阪市東淀川区役所 戦後70年わたしの東淀川遺産からの抜粋です