日航機墜落事故から30年 その時私は | 渡る世間は鬼ばかり

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韓国に住みながらも嫌韓の立場を取っていた私。
でもある時、突然に、中立な目で日本と韓国を見れるようになりました。
勿論今でも日本の方が良いですが、どの国に住んでいるかが問題ではなく自分の心が重要なんだと悟れた。
そんな私の日々を綴っています。

ふと日航機墜落事故と聞くと
思い出すことがある。

当時私は、19歳。
未成年者という事で、献身したくとも
親権が親にあると言うことで
出来ないでいたのだが
何故かこの年の春くらいに
家出をして献身する事になった。
言われた通り荷物を少しづつ何日もかけ
家から運び出し
最後、体一つで家を飛び出し献身した。
それからすぐに新潟市内では
活動できないので
高田市(現上越市)の
上越教会に身を置いた。

一応変装っぽくしてたけど
ほとんどバレバレ状態だったが
住所を知られて連れ戻されることも無く
夏になっていった。

それでどうゆう訳か家に帰らなければ
ならなくなり3日程帰ることになった。
どうして危ない感じなのに
時のアベルは私を
家に返したのかわからない。
あとでアベルは上の上の人に
どうして私の帰省を許可したのかと
怒られたみたいだったが。

とにかく3日程の約束で家に帰った。
最初は普通に過ごしていた。
その頃にニュースで日航機墜落事故が
報道され始めたのだ。
最初は飛行機の行方が
わからなくなったとの一報が。
ドキドキしてニュース報道に
釘付けになっていた。

そうこうしているうちに
私も教会に戻る日だと身支度をしていたら
急に親の顔が変わって
教会には、もう行かせない。
いついつに反対牧師の集会があるから
話だけでも聞かせに連れて行くという。

あ、しまった。これが監禁か?と思った。

しかし前に、親や親戚が
私を反対牧師に任せて監禁させた方が
いいのでは?と話し合いをしていて
その時、おじさん(父の姉の夫)が
反対牧師に監禁を頼むと
お金が物凄くかかるから辞めよう
の一言でそれだけはお流れになった。

外にも出してもらえず
何か食べたいので店に行きたいと言えば
何が欲しいんだ。
買ってきてやると言われる。

何かダメそうだ。
逃げられそうにない。
親は教会に
うちの子はもう教会に戻しません。
と電話していた。

絶対絶命な気分になっていた。
ただここは生まれてからずっと住んでいる
我が家だったので
安心ではあった。

監禁されて知らないアパートに
鍵を掛けられている訳ではない事が
救いであった。

書くの疲れたのでやめます。
だから日航機墜落事故と聞くと
ちょうどこの頃だったので
思い出すなあという事で、書きました。

もし続きが知りたかったら
コメント残してもらえたら
書く気が起こるかもしれません。

今のところ面倒くさくて
書く気無し。