いよいよ明日から12月という事で、古来より日本列島を巡る四季、師走の冬が来ないでも限りは、例年通り本格的な寒さに突入。首都圏にとってはまばらに雪が降るかもしれない時期となった。

雪の降らない土地で生まれ、育ってきた私にとっては、一度雪が舞い降りると、その新鮮な光景には、まさにひらひらと落ちる雪の如く胸も舞い躍る。当然雪を手に取る訳だが、それだけでは心の充足を得られず、小さな雪だるまを作る事になる。年甲斐もなくと言われればそれまでだけれど、それはおそらくいくつになっても作る。

昔は大きな雪だるまを作ったものだ。そう、思い返せば一昔。友達に「雪遊びしようぜ!」との契りを交わした放課後があった。

口頭で交わしたのがまずかった。

シンシンと小さな公園に降り注ぐ雪の中を一人、その真ん中で傘もささずに待っていた。何分経っても友人は来ない。頭や肩に雪が積もった。どうして来ないのか、「大きな雪だるまを作る!」友人は意気揚揚に言っていたのに。嘘つきだ!!降りしきる雪は、その場を動くことも無く待っている私を容赦なく覆った。このままでは…ハッ!雪だるまになるのは私か!!・・・【大きな雪だるまを作る!】…友人よ、疑ってすまなかった。私はその時、仲の良い友人に、嘘付きなどと一度でも決めてかかった自分を恥じた。

私は一度でも疑ってしまった友人への罪滅ぼし、なにより大きな雪だるまをつくりたいとの熱い思いを酌むため、出来る限り雪だるまになった。雪がしんしんと降り注いでいた。

後日、私は熱に苛まれた。これも友人を疑った報いだろう。

十数年後の今、同じように師走は来た。冬が来た。雪が降るたび思い出す。雪だるまを作るたび思い出す。今年は雪が降るのか?そして今年も思い出すのか?降ってほしくない。思い出したくない。