人間相手のボランティア活動。
中学の時に手をつなぐ親の会の子ども達と遊ぶ事から始まった私のボラ歴は、学生時代に身障者の介助でお出かけしたり、施設へ行ったり個人宅へ行ったりといくつかの団体にかかわっていました。
時まさに「愛は地球を救い」「ノーマリゼーション」が日本に浸透しはじめた、そんな頃でした。
なんか違和感を覚えるようになったのは、いつしか「ボランティアをさせていただく」ってみんなが言い始めたから。
そこまでへりくだらなくてはいけないものなのかって思った。
困ってる人を助ける。
ボランティアってそう云うシンプルなものだと思ってたけど違うみたいだ。
道で迷ってる人がいれば「何かお手伝いすることありますか」って声かけるのは当たり前のこと。相手に障害があろうとなかろうと困ってたら自分のできる範囲で助ける。声をかける。
街角で道を教えた人は「道を教えさせていただいた」なんて思わないはずだ。
知ってるから教える。それだけ。
でも、ボランティアになった途端「させていただく」になる。
やれるからやる。それだけじゃないらしい。
そんなパワーバランスを気にしなくちゃいけない状態が気持ち悪かった。
そして団体になった時の人の集まりが苦手だった。
噂話が、他者への非難が、高尚な目的意識が、どうしても苦手だった。
精力的にやる人が偉いわけじゃない。
やれる人がやれる事をやればいい。そうじゃないの?って
いっぱい考えてボランティアは辞めた。
もちろん今なら少しわかる。
人間関係はとてもデリケートな面がある。
新しい主張は過剰なほどに騒ぎ立てなければ人に届かない場合がある。
でも、そうであるが故に離れる人も出る。
私はそうだった。
そんな私が今、お散歩ボランティアをやってる。
あれから35年、私も大人になったって事かな
まぁ、ボランティアって便宜上言うけれど、気持ち的にもやってることもボランティアなんてこれっぽっちも思っていない。
35年間それは一緒。
やりたいからやる。
それだけ。
ドッグレスキューハグさんに行くようになったのは、いくつか理由がある。
代表のめぐさんがいっつも怒ってる事
基本的に私はあまり怒らない。
いろいろ考えちゃうめんどくさい性格だからね。角度を変えて見たら私の正義は人の正義とは違う、それに対して怒っても仕方ない。
でも、保護活動してる人はみんなそうだけど、
めぐさんはすっごい怒ってた、怒ってる。
ちゃんと犬の為に怒ってあげてる。
私の周りに私と同じ人はいらない。
私と違う人といるほうが面白い。
そして、そのめぐさんがやってること。
「老犬や病気の子に家庭の温もりを」
この一言につきる。
自分と違う人が、自分が賛同できる活動をしてる。
そして、手伝う人を募集してる。
なら、行くでしょ
そして、もう一つ。
お散歩募集で付けられたコメント
「保護っ子達と信頼関係を築いて欲しい」
そのコメントで行くことを決めました。
ただ行って犬を散歩させるだけじゃない。わんことちゃんと関わって愛する人を募集してるんだと思ったから。
そして今、私にとってのこの世の天国に通ってるわけだ。
めぐさんがわんこ達のお母さんだとするなら、
私は「たまに来る親戚のおばさん」ってところかな。
へへへ
行くようになって保護されたわんこ達を前にして心から思う。
ひとりで生きないで
群れで生きるはずのあなたをひとりにしたのは人間だから、その人間の私が言うなんてひどい言い草だけど、
今あなたのそばにいたい人間もここにいるんだよって、伝わればいいなって心から思う。
わんこのお世話をするボランティアだけど、お世話だけじゃない。
わんこたちにめぐさん以外の人間を信じてもらう。その為に私が行ってるし、私が行く必要があると思う。
まぁ、私がわんこといたいだけですけどね
さて、場所は知多です。
ご近所にお住いの皆さま。
「よく来る近所のおばさんおねえさん」ポジ、まだまだ空いてますよ