岐阜大学動物病院から病理解剖報告書をいただきました。
データと所見と診断と専門用語で詳しく4枚にもわたる報告書です。
添え状にはドクターが
甲状腺機能低下症として通常よりも重度な神経症状を呈していたのは、手厚い介護で、他の症例よりも長生きし、その分重篤になったのかもしれないと云った趣旨のコメントを書いてくださいました。
何もできなかった、こゆきを死なせてしまった私に対しての慰めの言葉だと思います。
本当に本当に優しいドクターでした。
最初はちょっと緊張して行った大病院でした。
でも、担当ドクターの笑顔と、こゆきにかける優しい声がとても嬉しかった。
じっくりと時間をかけた問診と具体的な診断仮説と検証プロセスの説明。
(著作権を守るため板書はボカしました)
もうそれだけで、どれほど安堵し救われたことか。
輸血で救われ、検査後にはこゆきに病名がついて、治療の方針が決まった。
輸血の時は、夜中誰もいない病院に入院させたくなくて、
夜遅く22:00過ぎに迎えに行き、次の日の朝9:00に連れて行った。それも今思えば祝日で通常なら病院お休みの日だったんですよね。
何度も時間外の裏口のインターフォンを押して、いつもいつも22:00過ぎまでドクターは病院にいらして、いつ休んでいらっしゃるのかと心配になるほどでした。
最後に真っ白いお布団にくるまったこゆきを託したのも時間外でした。
飼い主はわがままです。犬の具合が悪ければなおさらです。
病気の犬を前にして医者には絶対的な奉仕を求めてしまうものです。
さらには、私みたいに長い長い手紙を送り付けたりします(可哀そうに)
こゆきの診察中に岐阜大学獣医学部の学生さんが数名立ち会われたことがありました。
ああ、ここはただの病院ではなく教育機関でもあるのだと実感しました。
動物の医療。
さんざんこゆきを医者に連れて行った私が、今、こゆきは病院なんて行かずに家で私に抱かれていたかったんじゃないかという思いにかられています。
言い聞かせられない、飼い主の助けたいという意図を伝えられないままに怖い思いをさせ続けたんじゃないかと。
ドキュメンタリーで見た動物のお医者さんの「動物は長生きしたいとは思っていない、飼い主と一緒に幸せになりたいだけ」の言葉がやけに刺さる。
その言葉だって人間が介した言葉で、本当に犬がそう思ってるのかなんてわからない。あのお医者さんの正しさで、私のものじゃない。なのに刺さる。だから刺さる。
どこにも正解がない。
その正解のない場を職業にしている獣医さんたちだからこそ、あのドキュメンタリーのお医者さんのように確固たる哲学と、そして柔軟性が必要になる。
飼い主の思いに寄り添い、病気の正しい診断と飼い主の出来る範囲での最大限の治療方法を提示できる、頼れ安心できる動物のお医者さんがたくさん世の中に出てきてくれることを願ってやみません。
岐阜大学動物病院に行ってよかった。
あのドクターに診ていただけて飼い主の私が救われました。
本当にありがとうございました。