エリザベス・キュープラー・ロスの「死の受容プロセス」というのがあります。

これは余命を宣告された人が、自らの死を受け入れるまでの心の動きを5段階にわけるもので

1.否認と孤立

2.怒り

3.取引

4.抑うつ

5.受容

と、段階的に自らの死を受け入れられるようになるプロセスを示したものです。

 

本当にそうであるかは自分が死の宣告をされていないのでわからないのですが、

こゆきを看取ったことで、自分の死ではなくペットの死を受け入れるまでにはいくつかプロセスがあると実感しました。

 

こゆきが腕の中で動かなくなった直後の「否認」

嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ

嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ目を開けて、こゆき、嫌だよ。

「孤立」

誰にも慰めてなんかほしくない。こゆきの事知らないくせに。

 

送ってしばらくしてからの「怒り」

自分のあの時の対応が間違ってた!私のせいだ。

どうしてもっと早く病院へ行かなかったんだ!

仕事なんてやめればよかった!何してんだよ自分!

 

ぐるぐるぐるぐる同じこと考えてぼーっとする「抑うつ」

こゆきは幸せだったのかなぁ。

私犬の事何もわかってなかった。

 

そして「受容」

私はこゆきといられて幸せだったよ。

次に迎えた犬を幸せにできるように犬の事もっと知りたい。

これはこゆきが示してくれた道。

 

私はこの段階になるまで半年くらいかかりました。

今思えば、その時々の感情はこゆきの死を受け止めて先へ進む大切なプロセスで、どの段階も飛ばすことができないものだと思います。

 

そして、今でも、その時の否認や怒りや抑うつは私の中にあるのです。

 

こゆきがいないのが嫌だし、

こゆきが死んじゃったのは自分のせいだと思ってるし、

こゆきの気持ちなんて今でもわからない。 

 

でも、それは全部本当の事だから、抱えて生きていくんです。

 

私にとっては「自分のせい」にすることは一番早く楽になる道です。

だって私は最終的に絶対に自分に甘いから!

自分を許すことって人を許すことに比べたらとても楽に達成できるでしょ。

「ひとのせい」にすると怒りが恨みに変わるんです。

そうしたら絶対こじれる。心が気持ちがこじれにこじれドロドロになる。

こゆきにかかわることでそんな気持ちになりたくない。

 

私はこゆきにおこった悪いことすべて自分のせいだと思っています。

もちろんこゆきにおこった良いことは全部私のおかげです。

だって、私は群れのリーダーだったから。

群れのリーダーは、メンバーが安心して幸せに生きるために守る義務と権利があるのだから。

 

こゆきと私しかいない群れだったけどね。

 

 

ああ。

こゆきに会いたいなぁ。