田町は実はとてもディープな街です。田町と言うとあまり馴染みがないかも知れないけど、三田と言ったほうが想像しやすいかもしれないです。大学や大企業の所在地なので意外に街は賑わってる。そして何処と無く京都の先斗町に似てる感じ。集合時間よりちょっと早目に行って、日が暮れたディープな街を撮影しようと思っていたところ前の用事が思いの外時間がかかり、結局ほぼ定刻で店に到着。そして一番乗りで皆様をお迎えしようと思っていたのに、また先を越されてしまってました。待合わせ場所は、『炉端人べにや』。当初の計画では『世界の山ちゃん』にする予定だったのですが、生憎予約の電話を入れた時は予約枠はもういっぱい、との事。うっそだろ~? 対応してくれた店員さんが日本語が上手ではない感じだったので、数日後再度電話をしてみた。今度出てくれた男性は日本語に問題はなかったんだけど、本当にいっぱい、と言うことでした。“山ちゃん、恐るべき人気!”最近は安上がりで済む居酒屋に人気が集まっていると言うのは、どうやら本当らしい。

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それでもって、ここのお店にしたのは、昔ここで食べたアボカドの炙り焼きが忘れられず、もう一度味わってみたかったからであった。文字通り炭火でアボカドを炙り、むっちりとクリーミーになった上にトマトのマリネが乗せられて出てくるのだが、やっぱり好評だった。『うま~いっ』『アボカドを焼いちゃうんだぁ』『でも、トマトいらないかも・・・・』『そうだね、醤油をちゅっと少しだけかけるのでも美味しそう・・・・』『だって、みんなトマトボトボト落としてるし・・・・』と、アボカドの周りには、無残、哀れに振り落とされたトマトのマリネが・・・・・、散乱。この他にも焼き牡蠣やハマグリの酒蒸し、シシャモなども美味しかったぞ。
トマトの心配をしていたBell-Woodさん。何故か、周囲の人にはムスメが3人いるとか、更には子だくさんと思われているけど、実はお嬢さん二人だけ。子だくさん顔(?)なんでしょうかね。まだ子供が小さい頃、親子3人で川の字で寝ていたので、今自分の部屋があるのになかなか一人で寝たがらない、『上の子、部屋使ってくれないんだよ~。』って言っていた、あのハナシ、好きです!

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牡蠣のスープが食べたいなぁ、と思い立ち、買いに行ってみたものの、何度グルグル売り場を廻ってみても牡蠣の姿はなし。牡蠣酢用の酢は売られているのに牡蠣はなし。白菜やシメジ・牛乳など、その他の材料は既に籠の中なので、『どうしよっかなぁ~。』としばし考えた後、ハマグリを発見し、『う~ん、ハマグリにしよう!』と計画変更。
ハマグリは大、大、大、大好物のひとつ。プリッとしたハマグリをちゅーっと醤油をかけて芳ばしく。食べる時はハマグリを口いっぱいホウばった後、貝殻に残ったお汁をくぴっとあおる。あぁ~、海の味がする。・・・・・と言うのがワタシが幼い頃から体験しているハマグリなのだけれど・・・・・・、何これっ! 小っちゃっ! とても焼きハマグリとしてテーブルにのぼれるサイズではないけど・・・・。

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家に帰ってふと考えた。これ、生きてるんだよねぇ?砂抜きしなきゃいけないんだよねぇ・・・・? 考えてみたら、“貝”を買ってきて料理した事はあんまり無かったかも。アサリの酒蒸しくらいかな。いつも砂抜きが充分でなく、じゃりじゃりしている事が良くあるので、念入りにやんなきゃぁな。『ハマグリ 下処理』でググッてみると“海水よりちょっと濃い塩水に漬けて、一晩暗所に置き砂を十分抜いてください。” ひ・と・ば・ん。ちょっと衝撃だった。今日、これから食べたいんだけど。とりあえず塩水を用意してハマグリ達をガラガラとその中に入れた。(必要なことではないんだけど)、しばし観察。じーっと見てるとハマグリが蘇ってきた。ぶくぶく泡を吐いたり、ちょっとだけ貝が開いてぶよぶよーっとした物が出てきた。こちらは動かしていないのにボールの中の貝が、ごろっごろっと動いている。ちゅーっと言う謎の音も聞こえる。(当たり前ですが)、ハマグリ、やっぱり生きてたんだぁ。もっと更なる変化を期待して、(ボールの外に出ようとするとか、2・3個脱出に成功して部屋の中に潜んでるとか・・・・)、さらに観察してみたが、そんなアクティブな動きもあるはずも無く。他の食材を用意して、ハマグリ達にはこちらが待てるぎりぎりの時間まで塩水でくつろいでいただいて、いざ、調理開始!
ボールの中では、おとなしいハマグリ、活発なハマグリ、色々いたので、実はちょっとだけ死んでんじゃってるのもいるんじゃないかと半信半疑。鍋に火が入るに従って、ぱかっ、ぱかっ、ぱかっ、っと勢いよく開いていくハマグリ達。何個かいつまで経っても心を閉ざしたままのもいて焦りましたが、最終的には皆さんぷりっと外に出てきてくれました。身を殻から離してしまったら、小っちゃ過ぎて捜索不能に・・・・。でも確かに“ハマグリのスープ 牛乳仕立て”、美味しかったです。
因みに、ワタシが子供の頃から親しんだ、ボリュームたっぷりの焼きハマグリが出てくるお店、『えぼし』です。茅ヶ崎で道場を開いている小川直也さんはここのかぼちゃプリンがお気に入りのようで、いろんな所で宣伝してたりしてます。

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代官山に行く前に東京都写真美術館に行ってきました。『甦る中山岩太:モダニズムの光と影』と『ランドスケープ 柴田敏雄展』とても対照的な写真展でした。中山岩太はレトロな感じ漂う映画の1場面を切り取ったような芸術写真系、柴田敏雄は今の廃墟ブームにも繋がって来るような自然(物)と人工物のくっきりとした対比が印象的です。

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最近ちょっとハマっている写りこみ写真。夕暮れの恵比寿の街並みにぽっかりと浮かび上がる『上海から来た女』。怪しい感じ・・・・。ぱっと見てどこに眼が行きます?やっぱり、『女』ですか。それが存在感ってヤツなんでしょうねぇ。中山岩太さんは、デジタル世代の写真家ではないので、ガラス乾板とか今回用に銀塩印画紙にプリントされたものとかも展示されていて、写真以外にもそう言うものを見ることも興味深かったです。『デジタル写真じゃないのに、いったい?』と言うような写真もありましたが、やっぱり、ストレートに撮影された作品に目がいきますね。雨の神戸の街角やスペイン・ニューヨークの風景、虞美人草などの静物など、あんまり凝った演出の無いシンプルな写真が良いかなぁ・・・・。
柴田敏雄さんは、ガソリンスタンドの写真が印象的でしたね。ちょっとエドワード・ホッパーっぽくて。
ちょっとお茶をして代官山まで徒歩で移動。実はかなりの方向音痴のワタシ。『車運転するのに、ちょっと意外。』とよく色々な人に言われる。『あ、今はナビがあるから関係ないか・・・・。』と言っても、昔はよく地図を膝の上に乗せて地図を頼りに知らないところでもどんどん出かけて行ったもんだけど、この頃からかなりの方向音痴だった。地図をくるくる回して常に進行方向を上にしていないとよく判んなくなるのだ。そんな訳で、歩きなれている道だけれども地図で方向確認。まぁ、一種の儀式でしょうか。無事目的地まで到着。良かった。間に合って。ガーデンプレイスから代官山交差点まで15分弱で歩きました!歩くの速いでしょ。走ってませんよ~。

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シツコイかしら?と思いつつ、今日もまた東京タワーの写真をば。昨日かなりドタバタとしたので、今日はカメラを予め窓際に設置して撮影ポイントを待つことに・・・・・。
夜のゆりかもめ、夜景は絶景ですね。レインボーブリッジあり、観覧車あり、首都高も綺麗だし、仕事で行くのは不便ですが、いや、仕事くらいの用事がないと行かないけど、小高い山の上とかビルの高層階からじゃなく、ゆりかもめでグルグル回りながら目の前を通り過ぎていく夜景を見ていると夜の街をぴゅーんと飛んでいるみたいです。
ぴゅーんと飛んでると言えば、川崎から鶴見にかけての京浜工業地帯の夜景もとてもとても綺麗です。以前時々、都内からタクシーで帰る(帰らざるを得なくなった)時、横羽の上から見える京浜工業地帯の妖しい光が好きでした。まさに視界がぴゅーんと飛んでいて、ブレードランナーを彷彿とさせます。いつか改めてあの風景も見に行きたいなぁ、と思っていますが、このご時勢だとあの終夜光を燈し煙を吐いていたコンビナートも夜はひっそりしているのでしょうか・・・・。

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仕事で台場に行きました。今まで何度か現場に呼んでもらいましたが、今回楽しみにしてたのは、この仕事を始めて以来お世話になった会議通訳者の皆様にろくにご挨拶もせずに会社を辞めてしまったので、皆様に会って直接ご挨拶できることもそのひとつ。
『ご無沙汰してま~す。』
『あらぁ、最近見ないと思ってたけど、元気でやってる?』
『実は去年、会社は退職しちゃったんです。たま~にこうしてヘルプで入ってるんです。今日はお会いできて嬉しいです。』
なーんて感じで。あ、もちろんこれは昨日の設営日の話で今日は話し込んでる時間はありませんでしたが。人生の先輩、大先輩方にいろいろアドバイス、励ましの言葉などいただき、ちょっと勇気が湧いてきました。思いがけないカタルシスです。
台場と言えば、私は新橋からゆりかもめを利用するのですが、そう言えば、東京タワーが綺麗に見えたような・・・・。設営日(前日)の朝のうちから確認して、『よし、新橋行きの左側に乗れば良いのね。』と、帰るときは是非撮影しようと意気込んでいたが、18日は休日のせいか結構混んでいて左側の座席はGet出来ず。本日は無事席は確保しましたが、どこがベストポイントだったか・・・・。『あっ、見えたっ。』『あっ。消えたっ。』『あっ、見えたっ。』『あっ。消えたっ。』『あっ、チャンスッ!』『あぁ~、ダメだぁ』の繰り返しで、(一人きりでやってた訳ではありませんのでご安心を)、汐留まで到着してしまいました。とほ。もうお終いです。白い東京タワーだと思ったのですが、あれは、クリスマス・年末シーズンだけだったのかな。

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2009年は何故だか夕焼けや曇り空の空の写真が立て続けに続いてますが、これは撮影自体は2008年の大晦日、茅ヶ崎の実家の庭にて愛犬カイ君と“とって来い”をして遊んでいた時のものです。カイ君自体はこの夕方の光ではもう撮影できませ~ん!まっくろ君だからね。既にこの時間、薄暗闇を走り回る黒い影・・・・って感じでした。

さて、今日から高校生で言えば3学期、大学生で言えば、後期の試験でしょうか。始まりました。代官山に通うのも残すところあと3ヶ月。全く早いものです。今日の講師は、『コマーシャル・ギャラリーの仕事とマーケットの仕組み』と題して、小山登美夫ギャラリー代表の小山登美夫さんでした。思えば、2003年、六本木ヒルズでの運営業務を受注せんと動いていたワタシがもと所属していたC社。その時、“六本人”を見て、初めて村上隆を知りました。その時の印象は率直に言って、『なぁ~んか、イメージキャラクターにしては、線が細いなぁ・・・・。』と言うもの。(うわぁ~。めちゃくちゃ僭越ですねぇ。) “村上隆”と言う名前は知っていたけれど、当時はてっきり“イラストレーター”と言うカテゴリーの人だと思っていた。数年後、ルイ・ヴィトンのモノグラムに描かれているさくらんぼを見て、率直に思った事は、『天下のヴィトン。どうなっちゃってるんだ?』でした。しかしながら、これまでの村上隆の活躍ぶりは言わずと知れたところでしょうが、小山登美夫さんは、まさにこのような、何の入れ知恵の無い時には『何これ?これ、いいの?』と率直に心から感じてしまったワタシのような人間が、数年後に『コマーシャル・ギャラリーの仕事とマーケットの仕組み』何て言うレクチャーを聴きに来て、『村上隆を世に送り出したギャラリスト 小山登美夫』のレクチャーに耳を傾けているようなところに、“してやったり感”を感じているに違いないです。とは言え、小山登美夫さん自体はそんなに意地が悪い感じの人でも上から目線の人でもありませんでした。そんな感じではなく、小山さんっぽく言えば、彼のアンテナに引っ掛かったものが年月を経て理解されるようになって、ファンが増えたのが嬉しい、と考えそうな感じの印象の方でした。(個人的な好みから言うと、依然村上隆に対しては今でもあまり惹かれるものはないんだけど、コマーシャリズムを上手く使ってどんどん露出していった感じですが、海外からの評価は高いんですよねぇ。(アキバのオタク文化同様) 不思議。) でも、村上隆さん、あの所業は確かな基礎力とアカデミックなバックグラウンド、それに彼自身の圧倒的なプレゼンスがあったからこそ成り立っているのであって、ただのアニメっぽいイラストレーター、と言うのとは違うようですよ。大体、美大で日本画を専攻してあの方向に進んでいく思い切りがすごいと思います。そう言う意味ではちょっとピカソっぽいかな・・・・。ってちょっと買い被りすぎ?
一応申し述べておきますと、小山登美夫さんのレクチャーには村上隆の『む』の字も出ずに、ギャラリーの仕事を丁寧に紹介していただいて終了しました。(・・・・・そんな事いちいち言わなくてもいいのかも知れないけど、何となく言い添えておこうかな、と。)

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年が明けてから寒い日が続きますが・・・・・。今日もとても寒かったです。寒空の中、元町までお散歩に。と言うのも、Mみんが新杉田に住む彼の家に遊びに来ると言うので、ちょっとその前にランチでも、と言う事になったからだ。人も世の中も日々、刻々と変化しているけど、以前からの彼女ではこれは考えられない事だった。私がいくら『お休みの日に遊びにおいでよ~。横浜でも鎌倉でも、江ノ島でも茅ヶ崎でも・・・・。案内するよぉ。』と誘っても、『遠い』『行く気がしない』などと言って、ガンとして応じなかったものだ。それがある日、『江ノ島に遊びに来ました~。焼きハマグリが美味しかったで~す。♥』なんてメールが入り、驚かされたものでした。ありゃ~? 変われば変わるものですねぇ。ま、本人も自分でそう言ってました。殿方のパワーは計り知れないものがありますなぁ。行動範囲が広がるのは良いことだし、世界が広がったんですね。う~ん、羨ましいですね。思えば、Mみんの活動は昔からしっかりしていた。習い事をしている先の先生に釣り書きを提出し、紹介された方と時々デートをしていたのも知っている。だけど、『みんな直ぐに結婚の事とか口にして・・・・、そう言うんじゃないんだよねぇ。』とつぶやいていた事があり、『え~っ!?友達同士の合コンじゃあるまいし。そう言う風に紹介された人はみんなそう言う風に考えると思うよぉ・・・・。』と苦言を呈した事もあった。“じっくりと知り合いたい”と言うのがMみんの当時の持論のようだった。でも結局、今の彼は自力(?)で知り合い、自然と向き合うようになった人だから、有言実行ってところですね。一人っ子だから、自分には頼りになる人が必要だ、と言っていた事もあったなぁ。一人娘がいつまでもひとりでいるのも親御さんは心配だろうけど、うちは4人もいるけど、心配のパーセンテージは高いぞ。姉もまだ実家にお世話になっているし、そんな訳で、例え親戚筋を通してお見合いの話なんてがあったとしても、一般的な常識からして次女の私にはそのハナシは来ない。『学生の頃は家に寄り付かないし、ふらっと外国に行って1年で帰るって言って4年も帰ってこなかったり、帰ってきたらあっちだこっちだと遊び回って。全くお前は好き勝手ばっかり・・・・。』と母が嘆いていた事があった。そして私にこっそりと、『お母さん、順番はもう気にしてないからね。』と囁いた事もあったなぁ。いやいや、私自身、そんな事は気にしてませんでしたから・・・・・。娘の私がこう言うのもなんだけど、うちの母も相当暢気である。京都に旅行に行って縁結びの神様で有名な神社に行って、私と姉にお土産に買ってきたのは、なんと!『交通安全』のお守り。あれにはさすがに娘のワタシもびっくりした。確かにワタシも姉もそれぞれ自分の車を所有してますが、娘の良縁より交通安全祈願かっ!むやみやたらにプレッシャーをかけられるのもどうかと思いますが、ここまで素っ頓狂だとちょっと複雑な気分です。
一頻りハナシをして店を出たらもう夕方。元町の彼方に西陽がべかーーーっとさしていました。あ、喜久家の看板が写ってますね。子供の頃、横浜に住んでいた叔母がうちに遊びに来る度“ラムボール”を買ってきてくれたもんです。子供の味覚にはラム酒たっぷりのあの味が大人の味に感じられたものです。

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ついでにこれは、“元町リカちゃん”だそうです。元町が誇る老舗ブランド「キタムラ」「フクゾー」「ミハマ」「スタージュエリー」「ポンパドウル」そして「近沢レース店」などを身にまとい、2008年夏バージョンだそうでーす。もちろん、リカちゃん、ワタシも持ってましたよ~ん。

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