統計というのは錯覚を起こさせるのに

 

最適なツールだろう。

 

例えば、一千年前の人口統計はないが、

 

骨などで調べると、平均寿命は30代前

 

後と推測されているが、実際には30代

 

で亡くなる人が多いのではない。病気

 

に関する衛生環境や医療技術が高度に

 

は整っていないから、皆子供のうちに

 

死んでしまうのだ。

 

ふつうに年寄りはそれなりに多かった。

 

個人差が大きく、長生きするものは

 

より生き長らえた。

 

100歳以上生きる者は江戸時代でも

 

まれであって、足腰動かなかったの

 

だろう。安全な、害のない生物として

 

あらゆる法律から解放された。

 

つまり、例え人を殺しても、どんな罪

 

を犯してもお咎めを受けなった。

 

百歳になる前に亡くなるのが通常で、

 

生き残るのは困難だった。昭和でも

 

150人くらいしかいなかったが、

 

平成10年には初めて1万人を超えた。

 

平成24年には5万人を、そして、今は

 

どうかというと、来年には10万人を

 

越えるという。

 

10万人! 自分が高齢者ながら、その

 

数の老人を並べて想像すると、元気な

 

お年寄りも多いだろうが、気味が悪く、

 

魔物の世界に紛れ込んだようだ。笑

 

 

統計で見ると、老人という老化した

 

生物になるのは75歳かららしい。

 

急激に体の老化が進むのだろう、と

 

言われ、そこから精神的にも落ち込ん

 

で、それまで老人の太平楽だったのが、

 

ノイローゼかのように憂鬱が深くなる

 

など、精神不調に陥るという。

 

もちろん、個人差があり、これは平均

 

値をとると、どうしても75歳から急落

 

するという話だ。

 

 

75歳から年寄りだというのは頭で知っ

 

ていたが、統計から自分も無事では

 

済まないかも、という実際の気持ちに

 

はなってきた。

 

そうそう、車を売った。もともと中古

 

車だったが、古いので2軒で見積もっ

 

たが、同じようなもので、過去に旅行

 

した馴染みがあったのでインド人に

 

売った。たった2万5千円だった。

 

その場で現金と車のキーを交換して

 

終わりだった。速い。

 

 

仕事での運転歴は長い。2t車新聞

 

輸送や軽トラの宅配などで20年

 

近くは運転していた。おかげで運動

 

不足になり信号で走って、すぐに死に

 

そうなほど息切れがして、体の衰え

 

を知った。まだ50代だった?

 

1,2年で元に戻せるだろうと高を括っ

 

たが、1年断続的にさぼりながら運動

 

をしたが戻らず、信号を走って大して

 

息切れもしなくなるまで、7年かかっ

 

た。エベレスト登山どころではなかっ

 

た。自分の庭のつもりでいたエベレス

 

トでさえ、遠い山になった。

 

その時には読んでいなかったエベレ

 

ストなどの世界の高山の本を読んで

 

日本の北アルプス(3000m級)との

 

決定的な8000m級の高度環境の違い

 

を学んで、もう登れる体の状態では

 

ないことを知った。運動していれば、

 

と遅い後悔をした。

 

 

三浦雄一郎が丁度その時、70歳最高齢

 

でのエベレスト登頂を果たしたニュース

 

があった。TVの前で僕は号泣してしまっ

 

た。始めは、誰かが泣いている声がして

 

いると思った。それは泣き声ではなく、

 

嗚咽(おえつ)だった。初めての。

 

次第に大きくなり、泣き声になると思っ

 

たが、止められなかった。自分では

 

どうしようもないことが、また来た

 

のだ。声を上げて、子供のように

 

一人で泣いて、恥ずかしくなるまで。

 

それほど自分(体)の準備を怠った、

 

その怠惰が悔しかった。

 

運動していれば、まだエベレストは

 

自分の庭だったかも・・・後悔はな

 

く生きたつもりだったが、・・こう

 

いう後悔はこれだけだろう。

 

 

ナンガパルバートはエベレストの

 

ネパール側ではなく、インドのカシ

 

ミール地方にある。1週間壁を登るの

 

で、1週間好天でないと、命を落とす

 

ことが多い、エベレストよりも登頂

 

も下山も困難な山だ。

 

それでエベレストは自分の中では軽い

 

山だと考えていた。

 

(以下は昔記事の蒸し返し)::

 

もともとの夢というのは山とか、登山

 

ではなかった。第1位の夢はタイム

 

マシンにあった。いつの時代の、どこ

 

にでも行ける時間跳躍機械が憧れで夢

 

だったが、非現実的だったので諦め、

 

登山ぐらいにしようと格下げしたのだ。

 

ナンガは厳しかったので、まず“楽な“

 

エベレストからという順番だった。

 

そのエベレストが到底、ダメだという

 

のだから落胆も大きかったのだろう。

 

::

 

かくして、予想を大幅に超えて、ここ

 

まで生きるはずのなかった年齢を迎え

 

ていた、その感慨は大きいのだろう。

 

確かに(精神の)自殺も含めて、これ

 

まで何度も死に損なっているのに、

 

助かって来た。

 

気がつくと75歳という新しい世代を

 

迎えようとしている。統計ではここ

 

までが人生で最ものんびりな気持ちで

 

生存できるらしい。

 

先のことはわからない。変化ばかりだ。

 

この先も同じに、新しい適応への対応に

 

追われるのだろう。

 

 

最後に思うのは、(人生最後の意味で

 

間違いないが、明日にはまた明日の

 

人生最後が控えていると思う。来年に

 

はまた来年の最期が。それが人生訓

 

だろうか)ゲゲゲの鬼太郎を描いた

 

戦争で片腕を失った漫画家の水木

 

しげるがアンニュイにまたニヒリス

 

に言ったように「この世で何かする

 

ことに意味はない、」ということだ。

 

水木しげるは片腕を負傷して、その

 

腕が腐り、うじがわくまで寝かされ

 

ていたが、食糧事情も悪かったが、

 

その不運のおかげで全滅した部隊で

 

ただひとりだけ生き残った。偶然だ

 

ろうが、腕は犠牲になった。

 

 

僕は確か、つい1年前までは明確に

 

その虚無観に反対・反発を感じていた。

 

しかし、さすがに死と共に隣同士で

 

60年以上もやってくると、その意味を

 

納得する日がくる。どんな理由もなく、

 

ただそれが自然だろうな、と世の中の

 

ことが無駄なあがきに見えてしまう。

 

なにか意義あるとか、価値あることな

 

んか、皆、錯覚なのだ、と。

 

それがひとたび、家族や国という組織

 

単位でまとめようとすると、それぞれ

 

の考えや限度とか態度や責任とかを

 

頭から取り出さざるを得なくなって、

 

僕らは必ず、古くなって適応しなく

 

なる制度やルールを発明して、現実

 

に適応することと生活の幸福を犠牲

 

にすることの区別がつかなくなり、

 

言葉と現実との間で揺れ動き、大きく

 

判断すればいいことを、気持ちが許せ

 

ないでいつまでもこまごまと争うのだ。

 

 

互いの了解の上にある平和という言葉

 

は(そういう使い方であるならば、と

 

限定すれば)かなり間抜けな象徴に

 

過ぎない。まだ平和は僕らの気分に

 

過ぎないと言ったほうが正当に聴こ

 

える。

 

 

現実を理解するということは、奇跡に

 

も近い、只事ではないと、気がつく

 

のはこういう時だろう。(たった今)

 

ここまで来てやっと、人類の知を見て

 

いるという気がする。

 

僕らはもっとこの地球でよりやさしく、

 

より自由に生きることができるのに、

 

実存の芯を持たない知に依存して、

 

(それはそれで高度に発展させたもの

 

だが、)比較動作による狭い文化・

 

高度な文明しか作り出せなかった

 

ために、同じ袋小路に陥ろうとして

 

いる。

 

その実相というものは、見なければ

 

わからないものだというのが端的な

 

感想だろう。

 

 

トータルで見ると言っても、経験に

 

よる実感のない<感想や予測・未来

 

予知・観測>は無意味だ。

 

その意味は知っていたが、その「意味

 

は知っていた」ではわかっていないん

 

だという、そういう具合に意味が

 

わかる、そうでなければその考えは

 

無駄なものだ、ということを如実に

 

認識するのだ。

 

絶対認識が歴史上誰かにあったとか、

 

形而上でもそういう事実ははないだろ

 

うが、これはひとつの限界認識だろう

 

とは、想像できる。

 

 

<僕はなんという馬鹿げたことを言っ

 

ているのだろう。この音楽の素晴らし

 

さを言葉で伝えようとしている。>

 

音のしない言葉で、音楽の感動を伝え

 

ようとしている。>>こんな下手糞な

 

解説はないだろう。(承知はしていたが)

 

誰も信用しないでくれ、と言ってしま

 

うだろう。

 

だが、この場所では確かにそれが、見え

 

るし、聴こえるのだ。ここはどこか。

 

口が裂けても、ここが現実だとは言え

 

ない。それは止められるからだ。それ

 

はもう一人の僕という、内奥の声、

 

なのだろう、たぶん。

 

僕らはそれを飽くまでも、「絶対」と

 

いう憧れにして夢にしてしまうからだ。

 

僕はもっと柔軟な精神に近づけたいが、

 

それが簡単なことは知っている。

 

僕らに天変地異の何が起ころうとも、

 

それらを全体で受け止めず、いくらか

 

流して、生き残る可能性を随所に、

 

また多くの工夫で乗りこえるのは

 

できることだろう。これまでの主張は

 

そのことではない。それはどうでも

 

いいことだ、僕らは知による思考の

 

狭さと感覚の抑制で奴隷状態だから、

 

そう考えるが、そうではない、とい

 

うこと。

 

日常の気づきに気遣うこと、行動し

 

てみないでそれを考えないこと、

 

それは無理することではなく、さぼり

 

ながらでも、継続する心の芯に止め

 

置くこと。それらは自然に“自分とは

 

何か“に結びつく。自分とはこの世界

 

であり、自分用に、自分風に認識

 

した狭い世界であることに、やがて

 

気づく。そのために僕はまだその

 

確認という高い山岳を幾度も越える

 

長い旅を続けている。

 

毎日、最後の旅だと思いながら、それ

 

を当然に否定して、いや、うまくいく

 

と自分を信じさせながら。

 

ここには言葉の矛盾があるが、言い

 

難い現実のものごとの統一がある。

 

そう思っている。今はまだ、のん気

 

だ、空も晴れるし、鳥も飛ぶ。あいつ

 

らが嘴(くちばし)で包丁をもって

 

料理をしないのが、おかしく思える

 

くらいだ。

 

 

この現実という壮大な音楽をどうし

 

たら、伝えることができるのだろ

 

うか。もう一度このテーマを洗い

 

直すべきだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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オーボエ・フルート 意味は、不安・

 

感動から怯え(オーボエ)、震える

 

(フルート)、ということ。6.11