この 素晴らしさ
それを 伝えたい
言葉で 伝わるだろうか
この 喜び
ここに ある
ここに ・・
それが すべて
語るものは なにもない
それでも それらしい
なにかが 欲しい
伝わるために
伝える ために
この 感じているものは
愛 なのか
人は そう呼ぶのだろう
でも それでは 足りない
愛は すべてでは ないから
ましてや
神様には 出会ったことがない
数々の 神秘には出会っても
僕が 彼に 出会うことはなかった
その気配さえ
たった 一度も
感じたことはなかった
ブッダに 憧れて
自分が その弟子でなかった
数千年前に 生まれなかったことを
嘆いたという 若い時は あった
けれども その夢からは
覚めた
ブッダを知ることは
ブッダから 去ることだった
他の 超自然や 超現実などの
この世を 凌駕する者には
とうとう 出会わなかった
愛を取り巻くのは
死のゾーンだった
一度だけ 決心して 死のゾーンの
淵まで 行ったが
そこは 人が生きられる
場所ではなく
奈落の暗黒から 戻ると
三日くらい 吐き気がした
僕の 精神では 死んでしまうと
わかった
それからは 結局
この世のことに 専念しようと
思った
愛も 死ではない死のゾーンも
僕らの 人生に 関わっていたが
そこから先は
人のままでは 行けそうもなかった
愛は 悲しみの 海 だった
想いの届かない 達せられない
どうしようもない せつなさに
破れた人たちの
想いが 詰まっていた
その必死の 想いが
海よりも 深い 愛を
欲していた
誰もが 許される
感謝しか できそうもない
やさしさと 許される
ありそうもない 喜びに
包まれることを 夢見た
僕は 偶然 死んで
そこに 入った
死ななかった 気がつくと
死なずに まだ そこで
坐っていた
底もない 悲しみだった過去は
ほんとうに 過去になっていた
思い出が 自分の「自分たる」
なにかが 常に
まとわりついて いるもので
過去は 無機質のなんの
未練もなかった
過去は ただの 過ぎ去った
ことだった
そうして ’今’に入る 準備が
できたのだろう
結婚してからも ひとりで
生きることを目指して
いつしか 死の淵に
立つほど 弱っていった
それが 初めての 死から
抜けようとしたことで
その時に 体に 血流が
戻るように 熱くなり
体に 愛が 入るのが
わかった
生き返った
何も考えずに それが 愛だと
わかった
この二つの 死の展開から
20年以上の 年月のあとに
僕の中の 愛は 孵化を
はじめた
ある晩
昔の 悲しみが 思い出されて
それは 奔流になって
僕を押し流し
押し流し続けた
想いが 次から次へ
その勢いは とどまらず
僕の 日々の 小さな
悲しみを 見つけては
必ず 僕を 癒しにやってきた
1000mもある 滝から落ちて
転げまわるように
数キロも 流され
やさしさ あたたかさ
生の息吹き 慈愛の眼差し
抱きしめられ 感謝されたのだろうが
その感謝には 気づけない
僕自身が 感謝するので
精一杯の 有様で
嬉しくて 泣いて
泣いて 泣いて 泣いて
涙が 枯れても
愛の 嵐は 止まなかった
夜に
少しでも つらいことが あると
その 嵐は やってきた
僕は 呼ばなかった
すぐには 初めは 気づけなかったが
やがて その悲しみの海だった
大海の 海水が すべて
愛に 変わったようだった
洪水が
そうやって
時々に
何度も 襲って来て
僕から 意欲というものを
すべて 奪って行った
なにかを 欲する気には
なれない なれなかった
すべての 満足が
そこに あったから
あれほど 愛したこと
そして 望まないにしても
これほど 愛されること
なにを 望めば いいのだろう
なにもかもが
ここにあった
それは 誰からで
それは 誰かを という
そういうものでは なかった
すべてが
ここに 愛の形で
あった
僕は
これ以上の しあわせの絶頂と
いうものは この世には
ないだろうと
そう考えることもなかった
わかり過ぎていた
しかし ただ 一点
愛は ただし すべてでは
ないことだ
それは 水のように 大切で
それなしでは 生きられない
でも 水だけでは 生きられない
のも 現実だ
僕は 非情な決心を して
愛から 離れることを
決意した
それは 愛の嵐が 始まってから
2年もしてから 後のことだった
悲しみに 打ちひしがれた人々は
たぶん 大宇宙ほども 広い
死のゾーンに 取り囲まれた
愛のボール という
小宇宙 世界に いる
そのひとつに 僕は 突入
したのでは という 感触を
もっている
それだけで その人々が
悲しみを 愛に転換してきた
どういう風に なにが起こったのか
僕らの この世の 体の
五感や 心の
予感や 直感を 超えている
その 宇宙のことは
まだ わからない
わからないながらも
超能力や 神秘というものの
在り方と それへの 僕らの
誤解・偏見 というものが
僕の 手のひらの中に
あるようだ
この感触が 僕を
心の 健全さへと 導くようだ
自分を離れても 一緒でも
そこにあるのは あるのだが
言葉では 分離した言い方で
しか言えない
すべての 人を感じるという
幸福感 そして
ただ 一人であるという
完全な 孤絶感 が
どういうもので
どうして 同じなのか
感じなければ わからない
そして
これを体験するのは
僕には 気ちがいじみている
僕だから よかったとも言えない
これで どうやって
生き残ったのか そのほうが
不思議で ならないからだ
皆と ともにある
と言うのは た易い
ただ ひとりである
孤独だとしか 見えないことに
ついては なかなか
書けない
そこで 想いのままに 書いて
不足しがちな
ひとりの しあわせを
心のままに 楽しまないと
生きている バランスが
保てない
理解されることが 必要なのではない
そういう 自然な状態が ある
それを 放ってはおけない
この世は 自分が思うよりも
いつも 必ず (絶対に)
広い
だから 誰かが
必ず 見ている
すべてと ともにあるから
その意味が わかるのなら
世界が 僕を 包む
日本が 僕を包む
そうして 僕は 日本を
思いやる
そうした時に
僕は 日本になる
これの どこか
おかしいだろうか
そうして
心の ままに
僕は 生きる
この すべての 人と
生きる この世を
自分だけで
ひとりで
また
しあわせを 望んでいる
皆と 気持ちは 一緒に
ミトコンドリアの海: 陽秋画