1. ア・デイ・イン・ザ・ライフ
ふと、ここに、それはこの
部屋の空間に、ということだが、
考えを挟んでみる。なぜ、自分
は縛られないのか。それは本来、
自由を意味するはずだったが、
快意であるべき自由がそう感じ
られないのはわかる。自由は
ある抵抗に対しての開放・解放
だからだ。所詮、人間の知恵の
所産の一物に過ぎないと言えば、
反発も多かろう。
僕らが朝起きてから、自分という
自意識も目覚めさせてから、その
目まぐるしい思考の動きから、
あらゆる事象が自分へのつまづき
石になりうる、そういう生活の
場面に入る。
あれをしろと、他人ばかりでなく、
多くは自分がすべきと思うので、
自分が自分に命令するものだ。
それでもすべてを受け入れるのは
容易ではなく、何かしらの我慢と
ともにそこを抑えて、行為する、
行動する。朝、歯を磨くのでさえ、
そうだ。磨かない勝手もあるが、
虫歯になり、歯科医のあの嫌な
機械の音や痛みをまた経験するの
は嫌だ。それを防止するために
それよりはつらくない選択をする。
1カ月に一度くらい、歯を磨かな
くてもいいだろう、と休みの日に
それをサボる。そして、それが
快感だったら、それも小さな一日
だけの自由だろう。
オレらはそれよりももう少し大き
いと思う自由を望み、それを自分
の自由の基準にしている。その差
があるだけで、開放ということで
は実は、歯磨きサボタージュも
刑務所からの出所も同じ開放で、
そも我慢の日数の長さに比例して
開放感の度合いが違うに過ぎない。
言ってみれば、それがオレらの
自由の範囲、そこそこの望みとい
うのが、ほんとの事実で、開放感
は一時的なもので、それほど続か
ない。
それはそういう状況を直ちに理解
すれば、そうなるべくしてそうなっ
たことを知るのだから、ああ、自由
になりたいという声は、半分も沈ん
だ声になってしまうだろう。
自由になりたいというのは、自由に
なれないくらい自分が感情をコント
ロールできない未熟さにあり、思考
をうまく理解に役立てないほど、
軟弱であることであり、つまり、
冷静もない、とものごとへのいい加
減な態度の表れである、という、
なんのことはない、自由になれない
恥の表明だ、自由になりたいという
言葉は。
オレらは生活をマイナスから考え
ない。停電になる、真っ暗になって、
夜の不自由さを満喫してしまう。
その時は電気が点くことはありがた
いことだったと思うが、ほんとうは
夜の照明はオレらに自由を与えて
いた。
自由になりたいというのは、よくわ
からない、それぞれの人の不自由な
表明で、しかもいい加減な表明だ。
それを愚痴にくり返す人は、すでに
周囲の人間からはそう思われている
だろう。家族でも親身な人でなけれ
ば、それを教えてくれる人はいない。
自分でも気づけなければ、自分は
まわりから嫌われている、と半誤解
気味に勘違いして、ますます自分を
狭くする。叱ってくれる親とか、
友人がいたのは有意義なことだった、
のだが、・・・。
オレは母性愛の象徴のような女性を
見たことがあるが、そのサークル
ではすでに信者が周囲を取り囲んで、
モテていた。近くにいるだけで、
そのオーラのようなものに惹かれ
たが、取り巻きの多さにバカバカし
くなって、近づくのもやめてしまっ
た。人気者を独占するのは大変だし、
できたとしても、その先は楽ではな
い気がする。ほんとうに母性が異常
に強いと、一人の人間の独占のまま
になってはいないからだ。自由に、
人を助けに赴いてしまうだろう。
もしもそういう天女だったら、
どうにもつなぎ止めておく方法は
ないだろう。中には家を守ろうと
する、一般女性的な天女もいるだ
ろうが、それは男を、家庭を守る
ために、なんらかの代償を払って
いる。それは老後に、ストレスと
病気などで結果、崩れてしまう。
例えば、欲望があって、悟りがある、
というのが正と反の関係の観念だが、
そう思われているが、それはそれほ
ど決められたものではない。
ブッダもそれを知っていたから、
激しい欲を持ってはいけないとか、
欲を強めてはいけない、とか、
そういうニュアンスで教えたらしい。
欲を無くすのが悟りだなどと、言う
ことはなかっただろう。
今、衆院選挙だから、Tvで候補者が
皆が手を差し伸べる、お金はいらな
いんです、と言っていたが、言葉が
足らない。お金が生活を支える社会
機構のなかで、お金はいらない、
などと不用意に言うものではない。
それを概念のことで言えば、お金が
必要なのは生活費で、闇雲になにが
なんでもお金がいらないとは言えな
い。食うためだけで必要で、文化生
活もとなれば、それなりにそれぞれ
の人の、いい加減だが、標準がある。
生活の贅沢の程度というのは、標準
などなくて、その人ごとに、財布経
済の潤滑程度に応じて、あるだけだ。
そこにはふつうにその国の文化や
経済の大まかな基準があるが、
それも先進国や後進国やその間の国
では生活水準がはっきり異なる。
お金が要らない、というためには、
洞窟で誰にも見つからずに数十年も
暮らしていた(先日、TVに出演した。
そのへりくだりながらもユニークな
発言がユーモアにもなって、マツコ
だか、さんまも笑っていた)仙人の
ような生活術をもって生き抜いた人
にしか言えないこと(発想)だ。
だから、そういう人に自由でしたか?
自由をどう思いますか?と聞いてみ
るがいい。オレらの自由はガラスの
箱に入った裸の金庫のようなもの
であるように感じられるのでは?
金持ちになってもいいのか、という
疑問を言うのがいるが、それはお金
を不道徳なものに分類しているだけ
で、お金持ちを理解していない、
また、お金を理解していない。
お金は面白くて、きちんとそれなり
の世話をしなければならず、それを
怠ったり、気を抜くと、簡単に
離れてゆく。その手間を終始続け
なければ、 2. 2
資産は目減りするし、
誰か部下の横領にあったり、使い
込みをされる。つまらんことだが、
そういうプライマリーバランスに
気を配ったり、組織立てなければ、
大金持ちの地位は保てない。
好きな時に旅行とか、パーティ、
好きなものが食べられる、という
のは小金持ちでもできることだ。
金持ち父さんを書いた。有名な
ロバートさんは、提携していた?
子会社が傾いて、自分の会社も
危うくなったので、その子会社を
切り捨てざるを得なかった。
キャッシュフローであとは何もし
なくてもお金が稼いでくれるシス
テムをつくればいい、と本に書い
ていたが、現実はそう甘くなかっ
たということだ。ま、すぐ修正し
たのだろうけれど。
2.
だから、人生の相場というのは、
数字ではなく、心が市場になる。
そこでいつも思うに、街を歩く
ことが自由に感じられる人は、
その感覚が続く限り自由だ。
本当は足を失っても、工夫して
精巧な義足を使ったり、作らせ
たり、自分で発明したりして、
また歩く自由を満喫するものだ。
どうして誰もが楽にできること
をすることにオレらは自由を
感じないのだろうか。
それは自由になりたいという、
心の環境ばかりにいるからだ
ろう。そして、その環境を毎日
せっせと作っているのが、オレ
らということだ。はじめから
自由ならば、オレらは初めから
自由なのに。
しかし、この論理はわかりにく
いと思う。まさに、それこそが
自由になりたい、という各自の
(自分の)心境を語るから。
2. 3
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思いつくままに語ったとしても、
いつでも最後には終わりがない。
語り尽していない、という味が
舌先に残る。つい、なぜだろう、
と考えてしまう。