今回は彼女と京都に鎮座されています大徳寺総見院さんにお参りさせていただきました🙏

今回もかなりの長文でスピの内容にもなります🙏
僕の個人的見解なので否定的なご意見もいらないです。またスピが苦手な方は読まないで下さい

それでも良ければお付き合い下さい🙏

では………

 僕がお参りの参考にさせていただいている著者の作者 桜井識子さんのブログになります😁
良ければご覧下さい🙏

 桜井識子さんが再訪されていました



 彼女のブログです🖐️😁


こちらの大徳寺総見院さんに、秀吉公が奉納された木造の織田信長公坐像が安置されているそうです😁
ホームページによると
羽柴(後の豊臣)秀吉が、本能寺の変に倒れた織田信長の追善菩提のために建立した、大徳寺総見院。信長亡き後の政権争いの中、秀吉がその主導権を握るための建立した、歴史的に大変重要な寺院が公開されます。
本堂には秀吉が奉納した木造織田信長公坐像(重要文化財)が安置されていますが、その大きさは高さ三尺八寸(約115cm)の等身大で、慶派の仏師、康清によって作られました。らんらんと輝くその眼光は信長の面影が良く伝わります。

表門 土塀


境内
総見院のワビスケ


土塀
信長公をはじめ、徳姫(信長の息女)、濃姫(正室)、おなべの方(側室)など、一族7基の五輪石や墓碑が並びます。
信長公一族墓碑
信長公は京都の阿弥陀寺さんに弔われているのでこちらは墓碑だけになると私個人的に想っています。
信長公の墓碑になります

 

 
何故かはわかりませんが、織田信長公のお墓が京都の阿弥陀寺さんに弔われている事を桜井識子さんのブログや著者で拝見してからお参りに行かせてもらわなくてはいけないと想っていました。
今だに何故そう想うのかわかりません。
昔、信長公について行っていた足軽だったんですかね😅わかりませんけどね

僕のブログです😅


 

来年、また改めて信長公のお墓参りに伺わせて頂きたいと想っています🙏



井戸😅
鳴らしたくなる(笑)
寺額

茶室
総見院には3つの茶室が並んでいます。総見院と茶の湯は関わりが深く、秀吉による「大徳寺大茶会」では、総見院方丈に秀吉が茶席を設けたとの記録が残っています。

鐘楼
大徳寺さんの境内


信長公の木造坐像があるのを知ってお参りさせていただきましたが、やっぱり特別開帳の時でないと拝見出来ませんでしたね😅
信長公にそっくりらしいので特別開帳の時にお参りさせてもらおうと彼女と話して総見院さんを後にしました🙏

ここからは僕の個人的な考えなので違うと想われる方はそう想っていて下さい😅
批判コメントはいりませんのであしからず

こちらの大徳寺総見院さんで見られる信長公の木造坐像は秀吉公の主導権争いの為に作られた坐像である事
また供養塔とお墓は違うという事
つまり信長公と特定出来ていないから供養塔を建てている事になる

阿弥陀寺さんの信長公のお墓については、
阿弥陀寺さんの開創は清玉上人さんで、織田家と深い親交があったので天正10年6月2日の本能寺の変の際、本能寺に駆けつけたが間に合わず近習の武士達に託され遺骨を持ち帰りその後、明智光秀の陣を訪れ織田家家中百余名の遺骨の収容と供養を明智光秀に清玉上人が申し出て、それを明智光秀が承諾した事で織田信長親子や百有余名の遺骨を集めこちらの阿弥陀寺さんに埋葬されたそうです。
阿弥陀寺さんの御由緒に書かれています。

なので僕個人的には大徳寺総見院さんには信長公の生前のお姿を拝見されたい方におすすめだと想いました😅
信長公のお墓参りをされたい方は阿弥陀寺さんにお参りされた方がよいのでは?と想いました😅

主導権争いの為と本当に故人の為に現地までおもむいて明智光秀公に直談判をして弔わせて欲しいとお願いをされた方

どちらの想いのあるお墓に信長公がいらっしゃるのかのご判断は皆さんでご判断下さい🙏

今回は以上になります😅長々と長文にお付き合い下さりありがとうございます🙏