今日は何か釈然としない...。
さっき帰宅してから、ずっと考え込んでる。
「湯灌の時間」って、どういう時間なんだろう........と。
だいたい湯灌は御臨終からお通夜までの間に行われる。
一番バタバタとした時間。
家族が亡くなって、葬儀社との細かい打ち合わせや親戚や会社関係への電話連絡など.....。
御臨終の時の悲しみから、一気にあれやこれやと段取りに追われる御葬家。
そんな間にお伺いする。
それは重々承知している。
ただ.......。
今日の施行は何だかやり切れない思いが残り、様々な思いや疑問を頂く施行となった。
葬儀社の担当さんとの打ち合わせが長引いてたみたいで、指定時間から30分程待って部屋に準備に入った。
私達が準備に取り掛かってる間も、担当さんと打ち合わせされてた。
こういう事は、時々あるけどポイントはその後....。
浴槽の用意や、故人様のお身体の手当て等準備を済ませて。
亡くなった時のお顔から、安らかで穏やかな微笑みを浮かべた表情を作り上げ、浴槽の上に故人様をご移動。
その瞬間打ち合わせされてた葬家さん達は浴槽の周りに集まり、穏やかなお顔の故人様を見て皆さん涙を流された。
御臨終から今まで、気を張り詰めて段取りを組んでいた葬家さん達の心が緩んだ瞬間だった。
このままお湯灌に入れたら、きっと忙しくてなかなか向き合えない故人様への想いや思い出と向き合う、この葬家さんにとって必ずいい時間になる......と確信した。
が、また直ぐに担当さんは葬家さんを呼び、葬家さんはまた凛とした顔に戻り再び打ち合わせが始まってしまった。
こちらの準備が終わる頃、担当さんは気をきかせてくれて「湯灌始めて下さい」と言ってくれ、葬家さんは浴槽の前に並んで座り再び故人様に向き合った。
皆さんが一人ずつ故人様に「かけ湯」をしながら、そこに居た全ての葬家さんが故人様に想いを寄せて涙を流している.......そういう想いがひしひしと伝わってきた。
このまませめてお湯灌の間だけは、慌ただしさを忘れ故人様への想いに浸って欲しいと思った。
が、湯灌が始まるとまた担当さんは打ち合わせを促し、葬家さんは全員涙を拭い、浴槽に背を向け慌ただしさの中へ帰って行った。
葬儀社さんとの打ち合わせや決めなくてはならない事が沢山あるのは、重々承知している。
準備の間の打ち合わせも、仕方ないと思う。
ただ。
せめて湯灌の15~20分の間は、故人様の為にも葬家さんの為にも、打ち合わせを中断して欲しいというのは私の思い違いだろうか?
一番慌ただしい時間帯にお邪魔する。
何度も言うが、それは重々承知している。
一番悲しみたい家族は、なかなか想いに浸れないのが葬儀である。
せめて。
たとえ15分でも、湯灌の間だけは故人様に想いをはせる時間として提供したいという私の思いは勝手な「おごり」なのだろうか?
葬家さんが他人の私達に遠慮も気遣いも無く、故人様と向き合い時には自分と向き合い、涙を流したり御生前の様子を話したり.......。
たった15分間やけど、もの凄く「いい時間」だと思ってる。
そんな「家族だけの束の間の一時」を提供したいというのは勝手な「押し付け」なのだろうか?
金額的にも決して安い物じゃない。
身体のお手当てをして、お風呂に入れる。
着付けと化粧を施し、納棺する。
それだけだろうか?
含み綿一つにしても、入れ具合によれば全く印象が違ってくる。
「何か違うな~」と思っても、他人の私達にハッキリ「こんなん違う!!」って言ってくれる葬家さんは珍しい。
御生前の様子や性格、葬家さんの御希望を伺いながら、徐々に心の距離を縮め葬家さんはやっとポツリポツリと本音を言ってくれる事の方が多い。
やはり遠慮や戸惑いがあるのだろう。
他人(私達)に本音を言える空気。
他人(私達)の目を気にせずに故人様に向かい合える空気と時間。
故人様を綺麗にするのは当たり前。
そんな空気と時間を提供するのも、大きな役目であり料金の一部だと思ってきた。
せめて湯灌の15分は、打ち合わせはご遠慮頂いて葬家さんと故人様の時間にしたい。
そう帰社してチーフに言ってみたけど.....。
「そんなん葬儀社の方もイロイロ段取りも打ち合わせもあるだろうし、湯灌の15分は中断してくれっていうんはお前のワガママや。
そんな中でも、思った施行が出来んのやったらそれはただのお前の力不足やし、ただの押し付けになる。」
とピシャリと言われ、考えてしまう.......。
確かに。
どんな状況であれ、目の前の葬家さん・故人様に一番適した施行をしなければならない。
「こうでありたい」という固定概念や心情が強ければ強い程、「押し付け」になる危険性は高い。
自分の信じる「目指すべき施行」とは何処なのか.....?
目指すべき所にがむしゃらに走ってたら、気付かない事もある。
目標はそこでいいのか?
目標への道筋はこれでいいのか?
見落としてる事は何か?
一度立ち止まって、よく考えなければいけない時期......なのかもしれない。
さっき帰宅してから、ずっと考え込んでる。
「湯灌の時間」って、どういう時間なんだろう........と。
だいたい湯灌は御臨終からお通夜までの間に行われる。
一番バタバタとした時間。
家族が亡くなって、葬儀社との細かい打ち合わせや親戚や会社関係への電話連絡など.....。
御臨終の時の悲しみから、一気にあれやこれやと段取りに追われる御葬家。
そんな間にお伺いする。
それは重々承知している。
ただ.......。
今日の施行は何だかやり切れない思いが残り、様々な思いや疑問を頂く施行となった。
葬儀社の担当さんとの打ち合わせが長引いてたみたいで、指定時間から30分程待って部屋に準備に入った。
私達が準備に取り掛かってる間も、担当さんと打ち合わせされてた。
こういう事は、時々あるけどポイントはその後....。
浴槽の用意や、故人様のお身体の手当て等準備を済ませて。
亡くなった時のお顔から、安らかで穏やかな微笑みを浮かべた表情を作り上げ、浴槽の上に故人様をご移動。
その瞬間打ち合わせされてた葬家さん達は浴槽の周りに集まり、穏やかなお顔の故人様を見て皆さん涙を流された。
御臨終から今まで、気を張り詰めて段取りを組んでいた葬家さん達の心が緩んだ瞬間だった。
このままお湯灌に入れたら、きっと忙しくてなかなか向き合えない故人様への想いや思い出と向き合う、この葬家さんにとって必ずいい時間になる......と確信した。
が、また直ぐに担当さんは葬家さんを呼び、葬家さんはまた凛とした顔に戻り再び打ち合わせが始まってしまった。
こちらの準備が終わる頃、担当さんは気をきかせてくれて「湯灌始めて下さい」と言ってくれ、葬家さんは浴槽の前に並んで座り再び故人様に向き合った。
皆さんが一人ずつ故人様に「かけ湯」をしながら、そこに居た全ての葬家さんが故人様に想いを寄せて涙を流している.......そういう想いがひしひしと伝わってきた。
このまませめてお湯灌の間だけは、慌ただしさを忘れ故人様への想いに浸って欲しいと思った。
が、湯灌が始まるとまた担当さんは打ち合わせを促し、葬家さんは全員涙を拭い、浴槽に背を向け慌ただしさの中へ帰って行った。
葬儀社さんとの打ち合わせや決めなくてはならない事が沢山あるのは、重々承知している。
準備の間の打ち合わせも、仕方ないと思う。
ただ。
せめて湯灌の15~20分の間は、故人様の為にも葬家さんの為にも、打ち合わせを中断して欲しいというのは私の思い違いだろうか?
一番慌ただしい時間帯にお邪魔する。
何度も言うが、それは重々承知している。
一番悲しみたい家族は、なかなか想いに浸れないのが葬儀である。
せめて。
たとえ15分でも、湯灌の間だけは故人様に想いをはせる時間として提供したいという私の思いは勝手な「おごり」なのだろうか?
葬家さんが他人の私達に遠慮も気遣いも無く、故人様と向き合い時には自分と向き合い、涙を流したり御生前の様子を話したり.......。
たった15分間やけど、もの凄く「いい時間」だと思ってる。
そんな「家族だけの束の間の一時」を提供したいというのは勝手な「押し付け」なのだろうか?
金額的にも決して安い物じゃない。
身体のお手当てをして、お風呂に入れる。
着付けと化粧を施し、納棺する。
それだけだろうか?
含み綿一つにしても、入れ具合によれば全く印象が違ってくる。
「何か違うな~」と思っても、他人の私達にハッキリ「こんなん違う!!」って言ってくれる葬家さんは珍しい。
御生前の様子や性格、葬家さんの御希望を伺いながら、徐々に心の距離を縮め葬家さんはやっとポツリポツリと本音を言ってくれる事の方が多い。
やはり遠慮や戸惑いがあるのだろう。
他人(私達)に本音を言える空気。
他人(私達)の目を気にせずに故人様に向かい合える空気と時間。
故人様を綺麗にするのは当たり前。
そんな空気と時間を提供するのも、大きな役目であり料金の一部だと思ってきた。
せめて湯灌の15分は、打ち合わせはご遠慮頂いて葬家さんと故人様の時間にしたい。
そう帰社してチーフに言ってみたけど.....。
「そんなん葬儀社の方もイロイロ段取りも打ち合わせもあるだろうし、湯灌の15分は中断してくれっていうんはお前のワガママや。
そんな中でも、思った施行が出来んのやったらそれはただのお前の力不足やし、ただの押し付けになる。」
とピシャリと言われ、考えてしまう.......。
確かに。
どんな状況であれ、目の前の葬家さん・故人様に一番適した施行をしなければならない。
「こうでありたい」という固定概念や心情が強ければ強い程、「押し付け」になる危険性は高い。
自分の信じる「目指すべき施行」とは何処なのか.....?
目指すべき所にがむしゃらに走ってたら、気付かない事もある。
目標はそこでいいのか?
目標への道筋はこれでいいのか?
見落としてる事は何か?
一度立ち止まって、よく考えなければいけない時期......なのかもしれない。