小6の女の子が自殺した事件。学校側はいじめを否定しているみたいですね。



いじめがないなんてよく言えるね。


いじめは一種、人間の本能だから無くなるなんてない。



なぜいじめが人間の本能かと言うと、人間は優劣を決める生き物だから。


誰が強くて誰が弱いかを決めるから。



戦争だってそう。政治背景やら欲望だのいろいろ渦巻いていただろうから、一概には言えないけど極端に突き詰めれば「どちらの国が強いか」という本能のもと、戦争は起きた。



元々スポーツが生まれた起源も戦いから生まれた。戦って負けた方は死ぬので死なないようにルールを決め、そのルールの中で勝敗・優劣を決める。そこからボールを使ったり、足で蹴るのか手で投げるのか、そういうルールを付け加えて独自で進化したのがスポーツ。



こういう事から人間は優劣を決めたがる。しかし優劣を決めるものが問題になる。


ケンカの強さか学校の勉強か。それとも皆から慕われる人気者っぷりでか。


優劣を決めようと思えば何でも優劣を決める事は出来る。


人間が生きていられるのは「少なくとも○○よりかは□□出来る」という考えが無意識にあり、無意識に自分より下の人間がいると思っているから生きていられると思う。



逆に言えば「自分が誰よりも劣っている」と思えば?


多分死にたくなると思う。



自分も少なくとも何回かは死にたくなったから。


その時に思っていた事は「自分は使えない人間だ」


結局ちょこちょこあって思いとどまって「あー、もうキレた。てめーらより優れた人間になって見下してやんよ、死ねボケ」って思うようになってから図太く生きてきてるつもり。




結局のところ自分にどれだけ自信を持てるか。自分だけかもしれないけど、人を見下すのは好きだし見下されるのはキライ。




最終的にこの女の子は「生きる自信」が無くなったから自殺してしまった。



じゃあ逆になぜ生きる自信がなくなったか。それは学校の先生達が気づけてなかったから。



子供達はいじめている自覚がなくとも結果的にいじめになっていた環境は?行動は?言動は?



それが友達がいなくて1人で給食を食べる環境でしょ。



クラスメートの子供達はただ単に自殺した女の子を「好きじゃなかっただけ」かもしれない。「いじめている」自覚はない。

だけど「好きな子達同士で給食を食べる」その環境が1人で給食を食べるになったとしたら。


女の子は自分に友達がいない事を悟る。自信がなくなる=自殺。




女の子が自殺に至るまでのプロセスを1㍉も関係ない自分でさえ想像する事は出来る(当たり外れはともかく)



じゃあなぜ学校はいじめがないというかって言うと「いじめがある事を認めたくない」いじめがある事を認めると教師たち自身が子供たちに接してきた態度、教育は正しくなかったと認めざるを得ないから。


教師たちが自信持って生きていきたいからいじめを認めない。


結局見栄っ張り。




人が死のうが自分が正しい、自分が正しいから死んだ人の事をどうこう言われる筋合いはない。

極端に学校側はこう言ってる。




この学校の教師らがやってきた教育は正しくなかったから人が死んでるのにね。




もし本当に殴る蹴るなどのいじめがあったとして、こういういじめっ子に教育した事は教育は正しくない。

どう転んでもこの学校の教師はカス。



多分校長、教頭クラスが馬鹿なんだろうけどね。そんな馬鹿にこんな状況で付き従ってる教師も頭弱いけどね。






ま、どんなに声を荒げて胸ぐら掴んで教師全員、クラスメートの子供達全員半殺しにしても死んだ子は返ってこないから。






自分は死にたくなった事もあるから自殺は否定しない。

ただ自殺するなら全世界の人々が自分が死んでも悲しくないって思わせる事。それが出来なきゃ自殺はするなと思う。生きてて迷惑だって思うなら死んでも迷惑かけるな。悲しませるな。

生きてて迷惑かけて死んで迷惑かけたら一緒じゃん。それだったら生きて一生懸命努力して人の役に立て。


本気出せば死ぬなんていつでも出来るから。ただいついかなる時でも生きてるのは今だから。