本人は覚えていないと言いますが、ぷーさんは小学生のときナイチンゲールに憧れて「看護師さんになれたらいいな」と言ったことがあったのです。
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2022年に旧帝大文系学部に合格した子どもの受験を振り返っています。
高校受験では第一志望校に不合格。中堅私立高校に入学しました。
合格大学は旧帝大のほか
早稲田大学 東京理科大学 同志社大学など。
どなたかのご参考になれば嬉しいです。
しかし、時は流れて高校の文理選択では「医療関係は私には無理。」と真逆の意思表示をしたのです。
尊い仕事であることはわかっていても、病院勤務は精神的につらいとのことでした。
本人からはっきりと聞いたわけではありませんが、原因として思い当たることがあります。
義父と実母、ぷーさんから見て父方の祖父と母方の祖母は、中学3年生と高校1年生のときに相次いで亡くなりました。
義父は、入院していた病院から自宅へ戻ることは叶わず、療養施設に移りました。私も含め親族で分担して毎日必ず誰かが行くようにしていました。
また、実母は義父が亡くなった頃から体力の低下が著しくなり、発熱をきっかけに入院した病院で亡くなるまでの間、私が毎日病院へ通いました。
ぷーさんは、義父にも実母にも大変可愛がってもらっていたので、できるだけ顔を見せてあげたいと思い、余裕のある週末には一緒に病院へ行くようにしていました。
看護師さんには大変お世話になりましたが、ケアのことで抗議したこともありました。家族が頻繁に病室に来ていることがわかると「家族の人がいるから大丈夫」と明らかにケアが手薄になり、着替えや体拭きを後回しにされることがあったりしたのです。もちろん、私たち家族はできるだけのことをするために来ているのですが、体を動かせなくなった人を素人一人で着替えさせるのは難しいのです。
でも、やはり現場は大変な忙しさだったからでしょう。
「患者さんは○○さんだけではないので!」とか
「夜中にナースコールが頻回で困るんですけど!」などかなりきつい言葉を投げられたこともありました。
ぷーさんがたまたまそのような場面に居合わせたときはいたたまれない様子でした。
ある日、ぷーさんが学校帰りに実母のお見舞いに来て、私と一緒に夕食から就寝までのサポートをしてくれました。帰りに照明が落とされた廊下を歩いていたとき、かなり年配の患者さんと看護師さんのやりとりが聞こえてきました。
「いつここを出れるんだ?」
ああ、早く退院してお家に戻りたいんだな、とわかりました。
「あのね、先生はね、退院してもいいって言っているの。だけど、ご家族がね、今は帰ってこられても困るんだって。」
看護師さんの甲高い声が響いていました。
驚いて、ぷーさんと目を見合わせました。
「そんなこと言う?」
ぷーさんが呟きました。
ぷーさんが「病院が苦手。」になった原因は恐らくこの2年間ほどに経験した病院での出来事も影響していると思います。
でも、同じような経験をしても
「もっと医療現場がよくなるように頑張りたい。」
と決意する人もきっといてくださる一方で、ぷーさんのように
「だめだ、私にはできない」と思ってしまう人もいる。
適性って、何が得意で何が苦手ということよりも
心構えを持つことができるか、覚悟を決めることができるか、
なんだろうなとつくづく思います。
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