実業(real business)と虚業(phantom business)
私が20代の中頃ことだったと思いますが、映画俳優の40歳前の石原裕次郎が自分の所属する映画業界に対し、自嘲気味に
映画は〝虚業〟だ。
と言い放ったことがありました。すでに英語の教師として高校生を教えていた当時の私は、
「自分の所属する教育界も〝虚業〟だろうか、それとも〝実業〟なのか? それとも…?」
と考え込んでしまいました。
常識的に考えれば人間が生活をしていく中で、必要とされる衣食住に関係する仕事、生産活動はまぎれもない〝実業〟に入るでしょう。
いちおう、(私が常識と見なす)常識に従って分類すると(大雑把な分類です)、
実業:
*食…農業(米、小麦、野菜作りなど)
漁業
その他(酪農、食肉、鶏卵など)
*住…ビル建設、家づくり、土木(インフラ整備、防災工事など)
*衣…基本的な衣類 ※ファッション性のある衣服などは何%かの虚業の部分が含まれているでしょう。
*関連機器製造業…衣食住に関連して輸送に必要な自動車、船舶、鉄道車両やそれに付属する工業製品などを生産する産業
中業:「実業」と「虚業」の中間的な業…どちらかと言うと“実業”に傾いているものとどちらかと言うと”虚業“に傾いているもがあります。「中業」というのは私(永井)の造語です。現代物理学では、すべての物質は“粒子”の性質と“波動”の性質を合わせ持っているとされています。全ての業を「実業」と「虚業」とに完全に二分することはできないと考えるべきです。実業に強く片寄っているもの、虚業に大きく片寄っているもの、どちらかに入れるのが難しい中間的なものが存在します。しかも、この実業、中業、虚業の三者は連続していると考えられます。整然と二分類、三分類できないと私は見ています。
虚業:
*娯楽産業…映画関係、音楽・美術などの芸能関係、小説や雑誌などの出版関係、スポーツ関連業
*歓楽産業…バー、キャバレー、キャバクラ等の接客業
*賭博関連業
*金融関連業
*宗教 (宗教を“業=産業”の中に入れてよいものかどうかは大きな問題ですが、一応ここに置いておきます)
さて、私が最初に問題にした「教育」は虚業と実業のどちらに入るのか、ということを検討してみます。物事を二分すると、どうしてもどちらにも分類できない、またはどちらの性質ももっている場合が出てきます。人を悪人と善人に二分すると、片寄りのある場合が多いのですが善悪どちらの性質も持っている人が出てきます。人を生物学的に男と女に二分類するとき、どちらの性質(機能)を持つ人も出て来ます。
前に述べたように物質は“波動”と“粒子”の両方の性質を持つとされます。つまり、この世の「森羅万象」は二元論的に二分類すると、どうしてもどちらにも属さない(どちらの性質を持つ)ものが出て来ます。
というより、「森羅万象」を二元論的に二分類するとき、その個々の“森羅万象(=物事情ものごと)”は多い少ないは有れ、どちらの性質も持っている場合が通常であると私は考えています。物事情はきれいに二分類できるようにはつくられていないことも多いのです(※二分類は人間がわの都合です)。まったくの悪人と見られる人にも少しは“善人”の性質があるのが通常でしょう。(※「物事情ものごと」は私の造語で、「森羅万象」と同意です。「物事ものごと」では“精神的(心的)”な要素が欠けるうらみがあるので、物事に“情”を付加しました。)
「教育」は、表面的には私たちの衣食住に直結するもの(例えば、食の米など)を生みだしませんが、米作りに関する“新知識”を生みだす人を作り出す可能性を秘めている点で「実業の食」と無関係ではありませんし、実用レベルで人工光合成によって食料を生み出す新知識を有する人を育てる可能性があります。こうなれば世界の食糧問題は解決します。
したがって、虚業と実業に物事情ものごとを二分類するとき、教育は“虚業”に属していると見なせるのですが、大きな“実業”を生み出す可能性を持つ虚業です。物事情ものごとを二分類はすることは理解を深める点において有効な手段と言えますが、常に、物事情が持つ二面性を押さえておくことが肝要です。というより、物事情は三次元的に(立体的に)どの座標に位置するのかと考える方がより正しいのかも知れません。
娯楽産業も、虚業であり、その虚業の割合(虚業率)も高いと考えられるものですが、人々に娯楽(楽しみ)を与え、明日への活力を生み出す面を考えると、一方的に虚業であると指弾することはできません。
宗教も虚業と言えますが、人々に精神的な安心を与え明日への活力を意味出す点や、神社や仏閣を中心に広がる地域、「宗教城下町」というべき地域があり、土産物業や飲食業が栄えており、宗教が実業の割合の高い仕事を人々に提供していることはいくらでもあると言えます。
金融業も直接的に衣食住を生み出すわけではないので、”虚業“です。衣食住に関係する企業に金を回し、衣食住を充実させることに貢献すれば、その分、“実業率”は増すでしょう。しかし、金が金を生むような投機的活動を仕事の中心にすれば、“虚業率”は高まり、国民大衆の利益に貢献しない存在となり、場合によっては国(外国、または自国)の経済を破壊する存在になる可能性が強まります。
2017年に米国にトランプ大統領が誕生し、彼は“製造業”を米国に回帰させ、米国人の雇用を拡大し、米国の経済的没落を阻止することを強調し、奮闘しました。2025年1月に第二次トランプ政権を誕生させると、トランプ大統領は“関税爆弾”を使って米国内に自動車などの生産工場を作る政策を強くおし進めています。国内的には、製造業を米国内に呼び戻し、衰えた製造業を蘇らせ、米国人を雇い、働く人々を応援することが彼の政治活動の重要な部分を占めています。
私はトランプ大統領の製造業を米国内に確保し、米国人の雇用を守る政策を注視してきました。米国は「世界の食糧庫」と呼ばれ、農業(食)は小麦や米を外国に輸出できる生産力があると言うことができ(食料自給率は百パーセントを大きく越えています)、衣食住の“食”については問題ないと考えています。“住”に関しては、通常の住宅の建設では米国の大手企業が中心に活動しており、問題はありません。最近では日本の積水ハウスや住友林業や大和ハウスなどが米国での活動を強化しています。この小さな“住”に関しては問題ないようです。大きなインフラ建設に関しても米国企業はまだ健在なようですが、今ここでしっかりした対応をしておかないとUSスチールのような状況が生じてくるかもしれません。
“衣”については、一般家庭用の基本的衣料は95%が外国からの製品だとされています。これは米国の政権も少し考える必要があるでしょう。“衣食住”の中で「食」が最重要でこの割合が高いことが不可欠ですが(日本は食料自給率が40%以下とされ、国家の安全にとって非常に危険な状態です)、米国は食に関しては心配ありません。「衣」は衣食住の中ではある程度自国の製造割合が低くてもよいものだと思いますが、95%も外国に依存しているのは異常だと思われます。自国に生産を取り戻すことにこだわるトランプ大統領が大統領の選挙運動集会で使っていた“赤い帽子(MAGA CAP)”も米国製ではなく中国製だと話題になったことがありました(今は米国製になっているようです)。
いずれにしても自国で製造することを重視するトランプ大統領は、“”製造業“”を行なう企業を米国に取り戻し(この企業は米企業であるか外国籍企業であるかは問わない)、外国に製造業を持って行かない(=外国に製造業を奪われない)ことを最重視しています。この政策は全体として米国内の“実業”の割合を高めることになります。
さて、トランプ大統領は自国内に“実業”が高い割合で存在することが大切である、それが“Make America Great Again”につながるのだ、と見ているのでしょう。彼が今回持ち出した〝高関税政策〟もこのために行なっているのだと思われます。
※米農業の生み出す“食”、つまり、食料自給率100%超と、他の産業の実業率が高まれば米国の国力は非常に高まり、世界最強とされる軍事力と合わせて“Make America Great Again”を実現することが可能となるでしょう。
※“軍事産業”は「軍事力」を生みだす源泉となる武器等を生産します。軍事産業は衣食住に直接的には関係しない産業ですが、現在の世界情勢を見るかぎり、国の安全は軍事力によって守られています。世界の国々は神仏のような道徳心・倫理観を持つ政治家、政権によって運営されているわけではなく、いつ力で他国を侵略しようとする国が攻撃をしかけてくるか分かりません。戦前、日本の世界的な台頭を恐れて何とか日本を封じ込めようとしていた米国(ルーズベルト大統領の民主党政権)は、太平洋戦争末期、日本の東京・大阪を含む日本の主要都市を爆弾と焼夷弾で焼け野原にし、広島と長崎に原爆を投下し非戦闘員の一般市民(女性子供老人)が大多数の日本人を虐殺するという非人道的行為(戦争犯罪)を行ない、日本を敗戦に追い込むことに成功しました。太平洋戦争後、非常に“強い”日本の復活と報復を恐れた米GHQは占領中にWGIP(戦犯意識埋込計略)によって日本のマスコミや政界、教育界、経済界等をコントロール(支配)し、現在の“反民的”マスコミ、全てではないが、反民的政治家、経済人、教育人を生み出して今日の日本があります。
無法非道不法の日本周辺国(中韓北露米)の反日政権をいかに“制御(=滅ぼ)し”、“親日政権”を作り出すかが現在の日本にとって最重要な課題です。“米”とはトランプ政権を指しているのではなく、日本に原爆を投下し戦後も日本の復活と報復を恐れ、日本を封じ込めることに腐心してきた米民主党政権(+DS)です。この「民主党政権+DS」は現在のトランプ政権とその後継者の政権が継続すれば破壊してくれるでしょう。ただ、トランプ政権とその後継者の政権が永遠に続くとは限らないので、日本周辺の無法非道不法の政権に対して、適切に対応できる“軍事力”を確保することは今の日本にとってきわめて重要です。
MMT理論(Modern Monetary Theory)というものがあります。簡単に言えば、通貨発行権を持つ国家は債務返済に充てる貨幣を自在に創出できることから、「財源確保のための徴税は必要ない」、「財政赤字で国は破綻することはない」、「インフレにならない限り国債はいくら発行しても問題はない」とするものです。もちろん、この国債に関しては自国通貨建で発行している国に限ります。韓国や中国のようにドル建てで国や企業が国債や社債を発行している場合はMMT理論は働きません。
いくら国債を発行しても財政は破綻しないというのは言い過ぎであり、国家が国内にどれくらいの“実業”を抱えているか、この”実業率“が高く、国民が求める物の生産力を数倍に拡大する余裕がないと、大きなインフレを引き起こし、経済が破綻する可能性が出て来ます。MMT理論をある程度有効に働かせるためには、実業が高い割合で存在することが不可欠だと私は考えています。
トランプ大統領がえらい(立派である)と私が思う点は、製造業を米国に取り戻し、米国人の雇用を拡大するのと同時に、その生産力を回復させようとしていることです。彼はMMT理論に精通しているのかどうか私には分かりませんが、自国内の実業率を高め、基軸通貨であるドルの優位性を最大限に活かす政策をとろうとしているように私には見えます。“”トランプ革命“”がこのまま継続すれば米国はここ2、30年は国家分裂の危機に見舞われることなく経過すると思います。私は2024年11月の大統領選でトランプ大統領が敗北し、米民主党政権が継続すれば2031年(=辛亥年)までには左右(の政治思想を持つ地域)に分裂すると見ていました。が、第二次トランプ政権の誕生はこの米国分裂の危機を回避させたと思います。
米国が政治的かつ経済的に安定し、日本も政治的経済的に安定すれば、無法非道不法の中国共産党の支配する中国を“消滅させる”ことができます。私は三つのブログ『中国はいつ国家崩壊するか』『中国共産党政権の崩壊 2』『中国の国家崩壊 3』を書き、“中国共産党政権は2031年の辛亥年までに崩壊する。その数年前、2026年ころから大きく崩壊し、最終的には共産党政権が消滅し、中国は領域的に3分裂、5分裂する。不法占領地域のチベットなども分裂の数に加えると7分裂くらいする可能性がある”とツイッターなどで述べてきました。何分裂するのかは正確には言えませんが、共産党政権が消滅するのは必然のように思います。
日本も実業の根幹である“食”の自給率を高め、国家の基本を取り戻す必要があります。移民労働によらず、日本人が農業で余裕のある生計を立てていくことができる政府の施策、支援が必要でしょう。日本の経営者、経済人も“金儲け”だけを考えるのではなく、日本国民の利益(安全・名誉・幸福・平和)を常に念頭に置いて経済活動をすべきです。利益を出す(金儲け)のは企業活動の根幹ですが、常に日本国民の利益に沿ったものであるかどうかを考える必要があります。その哲学を持つ経済人(経営者)はほとんどいません。
日本国民の利益に反するような政治家やマスコミや企業は排除消滅の方向に向かうでしょう。
(2026年2月11日記)
※実業と虚業の割合ですが、この関係は+と−、陰と陽のようなもので、物質を構成する原子が+の電荷を持つ陽子と−の電荷を持つ電子で構成されている(+も−も持たない中性子、中間子も存在する)ように、私たちの住むこの世界も実業と虚業が適度のバランスを保っていることが必要だと私は考えています。ただ、一方が強くなりすぎると問題です。虚業に属する(と私が見る)宗教が強くなり、一つの国に生産活動をせず、瞑想と托鉢の生活を送る僧侶ばかりになると、その国は立ち行かなくなるでしょう。
逆に、正当な宗教活動を弾圧し、文学・芸術活動を排除し、小説家や詩人のいない国には新しいエネルギーを生み出し国家・国民を豊かにする活動は生まれないと思います。“”詩人“”のいない国にはノーベル賞を取るような科学者も生まれないでしょう※※。 虚業と実業は(その中間の存在も含めて)適度なバランスを保っていることが肝要です。(2026年2月21日追記)
※※(一時期)文科省が大学の文学部を軽視し、実用に直結する工学系や理学系の学部を重視し、予算配分や補助金を近視眼的独善で配分する姿勢に私は異を唱えました。2017年に書いたブログ『英語教育は破綻するか』「英語教育の問題」の中で次のように述べています。
日本は、戦後、多数のノーベル賞受賞者を出してきた。彼らは日本語も書け、英語も読め、英語を書くことも(書くことは手助けがあったかもしれない)できたはずである。『英語教育大論争』(1975年 文芸春秋刊)で国会議員も務めたことのある平泉渉氏と論争を展開した、英語の読み、書き、話しの達人である渡部昇一氏は、「英文法をしっかりと身につけ、英文を正確に読みこなす訓練をくりかえしたことで自分の知力も高まった。英文法を使って英文と格闘することが知力を磨く」という趣旨のことを述べられている。日本人のノーベル賞受賞者も日本語で自分の専攻の学問、物理や化学や医学を勉強し、英語とも格闘して、ノーベル賞を受賞したのである。母国語で教育を受けられない国、インドやフィリピンやアフリカ諸国ではノーベル賞の受賞者はいない。母国語で自由に詩を書く人たちがいて、美しい詩を創り出すことのできる詩人が生まれる国こそ一流の学問の追究者を生みだすことができると私は思う。実用のみを追求する現金な教育からは一流の詩人も生まれないし、一流の科学者も生まれない。
二葉亭四迷はロシア語の達人でありツルゲーネフの『めぐりあひ』を翻訳し、日本語の言文一致運動をすすめ、小説『浮雲』を発表し読みやすい日本語の確立に貢献した。もちろん、四迷には漢学の素養があった。そして、漢学と英語学の達人であり、『ぼっちやん』や『三四郎』の著者・夏目漱石によって私たちが現在、思索するときに用いる日本語が完成されたのである。現在の日本語は大和言葉が古くから漢語の強い影響を受け、近代に入って英語を中心とする西洋語の影響をも受け、その中でもまれて熟成され高度に完成された言語である。明治期に完成されつつあった日本語と、英語・ドイツ語とが格闘することで現在なら、当然、ノーベル賞に値する科学者が現れた。北里柴三郎(破傷風の治療法の確立)、高峰譲吉(タカジアスターゼ、アドレナリンの発見)、野口英世(黄熱病の研究)である。北里や高峰は家系的にも漢学に対する深い素養があった。明治から大正にかけて、深い思索、研究を可能にする日本語が生みだされたのである。 (2026年2月24日追記)


