内的敵対心 | 徒然なる生活と浅はかなる豆電球 Renewal LemonColaのブログ

徒然なる生活と浅はかなる豆電球 Renewal LemonColaのブログ

一年の休止期間を経たにも関わらず意味の分からない題名とは全く無関係の内容のブログです。

端的にいうと「敵は己の中に居る」ということだ。
これはただ自分を見つめ直せ言葉では無い。
敵はなにも悪いだけの概念では無い。
スポーツを見てみると分かりやすいが,敵とは自分を高めることのできる機会を与えてくれる存在だ。
敵と対峙するにあたって,勝利するためにはそれ相応の努力が必要となるだろう。
人は誰でも敏腕家ではない。
それ故,常に自律出来ているわけでは無い。
敵という存在を意識することによって,勝つという目的のために自律し努力する。
その一連のステップを乗り越えた先にあるのは,己の成長だ。
自律というステップを敵に対する意識によって成り立たせ,努力というステップを自律によって成り立たせ,成長というステップを努力によって成り立たせる。
この一連の動作に必要なのが,敵に勝つという動機だ。
その動機から向上心が生まれる。
では敵が居なくなったならどうなるであろうか。
敵に勝つという動機は当然現れない。
自律というステップが既に成り立たなくなり,成長は立ち往生してしまう。
少し話が逸れるが,盛者必衰の理はこういう理由から来ているのではないだろうか。
盛者には敵が居ない。
その間の成長は横這いだ。
そしてその間の他者の成長は凄まじいものだ。
なぜなら敵が居るからだ。
盛者という巨大すぎる敵が,自らを成長させるのだ。
いずれ盛者でない者は盛者を凌駕する。
そして盛者を滅ぼし新たな盛者となるのだ。
もし自らの成長を望んでいるのならば,常に敵が居なければならない。
つまり。
滅ぼして終わるだけの外的な敵を作るだけでは甘いのだ。
そこで,「敵は己の中に居る」ということだ。
自分とはあくまで自分だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
永遠に超えることの出来ない唯一の存在が自分なのだ。
自らを敵とみなし対峙する。
その結果,上に述べたような成長の過程が成り立つ。
昔の自分を打ち負かした時,今の自分は成長する。
今の自分に勝つために,未来の自分は努力するだろう。
自分に勝利した自分をまた敵とみなす。
また完全に同等な敵が現れるのだ。
また成長の過程を踏めるのだ。
そうすれば成長に限りはなくなる。
更なる高みを目指すならば内面に目を向け,敵を自分の中に作るべきなのだ。