今までさして深く意識していなかったシューベルトの4番の交響曲。
今、こちらは大変な気に入りようです。何度か聞いてようやく理解できたような感じでしょうか。
今までは、あゝジュリーニさんが相当気に入っていらした曲だという簡単な認識のみでした。
20数年前に聞いた時、あゝ、とかそう、くらいの反応でそれから特別な感情を全く抱くことなく聞かなかった交響曲でした。
今でも、9番、未完成のように常に意識して何度も何度も聞いてきた中で4番は……と斜に構えてしまう感じはございますがそれでも天才の曲を無視は到底できず、思い立って聞き始めました。
何度か聞いて、おゝこれは案外理解できるのではないか心中に入ってくるのではないかと思えるようになりました。
明確にどなたの演奏でそのように受け入れたということははっきりいえませんが、以下印象に残った演奏をあげていきます。
クレンペラーさん、コンセルトヘボウ管の演奏。
なるほど、テンポ感の良さが謳われるクレンペラーさんですが、それをまじまじと感じられる素晴らしい演奏だと思います。後年のゆったり感は皆無、疾走するような速さ、弾力は60年代のあのスタジオ録音で確認できるクレンペラーさんらしくなく50年代末まであったスピード感と「悲劇的」の表題が相まって個人は惹かれた、たまたま見つけた演奏が大当たりだったと嬉しくなりました。
加えて、やはりコンセルトヘボウ管の木管の音色でしょうか。クレンペラーさんの木管楽器の際立たせるという
特徴も確認でき、またその演奏の上手さと美しさを聞くことができます。大変気に入った演奏です。
久しく滅多に名前があがらないミュンヒンガーさん、ウィーン•フィルの優れた演奏。
こちらも意外感満載の大変素晴らしい演奏。
今では本当に現役盤が少なく滅多に顧みられない名指揮者、ミュンヒンガーさんのシューベルト。
複雑な気持ちで聞き始めました。今までこの巨匠で聞いてきた演奏は本当に少なく、CDもほとんど持っていませんが、皮肉なことにCDが売れなくなった今だからこそYouTubeでお名前を検索して簡単に、かつて50、60年代のデッカレーベルを支えた時代の名演が即聞けるという時代になって良かったのではないか、改めてミュンヒンガーさんの才能を再確認できるのではないかと考えさせられたのでした。
こちらも力強さと速いテンポで聞き応えがあって優れた演奏だと思います。ウィーン•フィルもミュンヒンガーさんの解釈に歓迎的ではないかと感じられた演奏でした。
惜しい……ですね。この方もペーター•マークさんと同じく商業主義に反していたのでしょうか、70〜80年代の演奏を全く知らないです。
日本のオーケストラはミュンヒンガーさんを熱心に招聘すべきだったのではないでしょうか……。
長くなって読んでくださるのが申し訳ないです。お詫び致します。
こちらは一通り演奏された後に聴きどころを独自に編集されてアップされています。
カラヤン、ベルリン•フィルの変わった解釈の特に3楽章の演奏。
大半の方が違和感をどことなく感じる、まるで4番でチューニングをしているような、オーケストラの音や技能がどれほどあるかを確認して曲をそれほど意識していないような空回りしているような部分があるような演奏でした。
カラヤンでもこのような一面があるのか、3楽章のまるでチェリさんのような、否、チェリさんでもやらないような遅すぎるテンポの解釈になるのかお伺いしたい(到底無理です。身分が違いすぎます)くらいです。
まずまずです。音が重過ぎる感じで9番はそれが良いと思いますが、少し……と感じる演奏でした。
ジュリーニさんはいずれも端正ですがライブが良いかもしれませんね。録音は少しテンポが重く感じられて構え過ぎているようなー特にシカゴ響の分はー印象でしょうか。清らかな旋律とジュリーニさんの音楽が合致していていいなと感じられます。
端正といえばこちらは意外と感情が露わになった、サヴァリッシュさん、ドレスデン•シュターツカペレの演奏。
毎回申し上げますがさすが魔法の竪琴とワーグナーが評されたほどの美しい音色が印象に残る模範的でかつファーストチョイスに最適過ぎるほどの優れた演奏だと思います。
長くなりました。申し訳ございません。
何度か聞いて漸く良い、素晴らしい曲だと感じるにいたったシューベルトの悲劇的交響曲。いくつかの旋律ー1楽章の展開部、2楽章の中間部、3楽章の冒頭(合わせるのが難しそうな印象ですね)、4楽章の冒頭と中間部の爽やかな音楽……チャイコフスキーの悲愴のような絶望感ではなくイライラしたような頭に手をあてて、あれやこれやネガティブなことを想像しては髪を掻きむしるシューベルトが個人はイメージされました。
あゝ、(客観的に軽く)悲しくて嫌だ嫌だ、くらいのノリを描いた交響曲でしょうか……。
ブリュッヘンさんの演奏は革新的で攻めに攻めた演奏でした。
